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歴史上の人物の生没年月日
明治以前(特に古代から戦国時代)の歴史上の人物の生没年月日はどのようにしてわかったのでしょうか。皇族と僧侶の場合は古くから生没年月日はっきりしているものは多いですが、戸籍や出生届や死亡届もなかった時代、貴賎を問わず生没年月日はどのように記録していたのでしょうか(律令制度ができたころ戸籍はあったようですけれど)
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- TANUHACHI
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歴史や史実を記した記録を「史料」と呼びます。そこには御指摘にあるような戸籍などの公的記録もあれば、『権記』や『山科家礼記』等の様に貴族の個人的な記録としての「日記」そして『源平盛衰記』『太平記』といった「軍記物」と呼ばれる文学作品、更には公式史書としての『六国史(日本書紀・続日本紀・日本後紀・続日本後紀・文徳実録・三代実録)』や『吾妻鏡』『後鑑』『徳川実紀』そして私撰の史書(稗史あるいは野史とも呼びます)である『四鑑(大鏡・今鑑・水鏡・増鑑)』や『愚管抄』『玉葉』『明月記』『太平記』『神皇正統記』を始め寺社に伝わる記録として『東大寺要略』『大乗院寺社雑事記』『蔭涼軒日録』など様々な史料があります。 人物の誕生や没年を知るにはこうした史料から一つ一つあたっていくしかありません。またAという史料には○○年○○の月に生まれた(或いは没した)と記録があっても別のBという史料には異なった日付が記されていた等の話も珍しくはありません。ここで大切なことは「こうした違いがなぜ生まれたのか」を知る事であって、そのためには更に多くの史料に目を通して「史実を確定する」と同時に「史料の信頼性を確かめる作業」が必要です。 また質問者様が事例に挙げられている「戸籍」が持つ史料としての信頼性ですが、これは戸籍を丹念に読んでみると、同じ世帯でありながら前回の戸籍作製の時とは異なり「幼児」「老人」「女性」「奴婢」の数が異常に多い家族構成の世帯ケースが散見されます。これを「偽籍」と呼びます(この辺に関しては早川庄八氏の『日本古代の文書と典籍』吉田孝氏の『律令国家と古代の社会』岸俊男氏の『古代籍帳の研究』等に詳細な研究があります)。これはなぜだとお考えですか?。 律令体制に基づく徴用課役などから逃れることを目的とする行為であり、それほどに当時のシステムが過酷なモノだったことをうかがい知ることができます。 因みに前出の史料を御覧になるには『史料総覧』が便利です。記載されている史料の出典先を探し、該当史料の原典を『大日本古文書』や『大日本古記録』『古事類苑』等に求めていくことで、ご自身の目で確認することもできます。