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女学生
女学生がはかまで学校にかよっていたのは正式にいつまででしょうか?
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- oska
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>女学生がはかまで学校にかよっていたのは正式にいつまででしょうか? 正式には、決まっていません。 平成の今でも、はかま姿で通学しても問題ありませんからね。 今度のNHK大河ドラマに決まった、同志社大学・同社社女子大でもはかま通学は可能です。 まぁ、強いて言えば「戦後、高度成長期まで」でしようか。 女性が、普段着で着物を着る事が無くなりました。 多くの方が、成人式で始めて着物をつくり、そのまま箪笥の肥やしになっていますよね。 昭和30年頃までは、着物で通学していた女学生が居た様です。 「二十四の瞳」大石先生のモデルになった女性は、香川県高松市の女学校時代に着物・はかま通学していた写真が残っています。 彼女の場合、戦前に女学校を卒業して女学校出の先生(当時は、代用教員が多かった)として好奇心の目で島民から見られた様です。 まぁ、戦前からあった大学・女学校では「伝統として、卒業式にはかま姿」になる様です。
- dayone
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◇リサーチ・ナビ国立国会図書館> ミニ電子展示 本の万華鏡> 第148回常設展示 女學生らいふ http://rnavi.ndl.go.jp/kaleido/entry/jousetsu148.php を順に読み進めていただければその変遷が辿れます。 「明治初期、政府は例外的に男袴の着用を女学生に認めていましたが、 女子の男袴の着用に対する世間の反発は根強く、 明治16(1893)年には政府が着用を控える旨の通達を出すに至り、 女子の男袴は姿を消してしまいました。」と記述されていますとおり、 文部省より「習風ノ奇異浮華二走ルコトヲ戒ムルハ、教育上惣ニスヘカラサル儀二候」と、 男袴の着用を禁止するという女学校の服装規制が定められましたので、 その終焉は明らかなようです。 そこで、明治18年に華族女学校(学習院女子部の前身)が創設されたとき、 当時の学監だった下田歌子が宮中の女官がはいていた袴を元に「女袴」を考案し、 制服に指定したと言われています。 やがて日本各地の女学校が華族女学校の女袴を真似て、 明治30(1897)年頃から広まり始めた海老茶色の女袴ですが、 「正式にいつまで?」とおっしゃられましても、 それぞれの学校の制服採用時期には差異があるでしょうから 特定には無理がありますが、 「大正12(1923)年の関東大震災を境に生徒の間で洋装が増え始め、 それとあいまって女学校でも洋装の制服が次々と採用されていきます。 中でも、既に明治末期に運動着として取り入れられていたセーラー服を、 正式な通学用の制服として採用する学校が、昭和の初めには大半となりました。」 と記述されてるとおり、 「大正12年9月1日~昭和初め」の間に制服の洋装化がなされたようです。 ◇ニコニコ大百科>女学生- セーラー服への移行 http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A5%B3%E5%AD%A6%E7%94%9F 明治38(1905)年、女子高等師範学校教授の井口阿くりにより、 上衣をセーラー服、下衣を膝下までのブルマーとする体操服が提案され、 以来、セーラー服は一部の女学校で運動着として用いられていたが、 大正時代に入ると世相が変化し、洋装化や女子体操教育が推進されるようになって、 大正9(1920)年、平安女学院が日本で初めてセーラー服を制服として採用、 その後、ミッション系女学校を先駆けとして、女学生への洋装の普及と、 セーラー服の制服化が進んでいった。大正末期には和装と洋装が入り交じるようになり、 昭和に入るとほとんどの女学校がセーラー服を導入している。 以上少しでもヒントになれば幸いです^^
- k-a-r-a-p-a-n-a
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女学生のはかまは正式な服装ではありません。 着物が女性の正式な服装だった明治、大正時代に 男まさりの女学生が、男性の袴をはいて 自転車にまたがったり、大股で走ったり出来るので着用するようになったのが 始まりです。 蝦茶色がはやりだったらしく、「えびちゃ」というだけで、 男子学生は興奮したそうです。 今でいうとなんでしょうね。 スクール水着とか、そんな感じですかね。 (わたしは、えびちゃにも、スクール水着にも興奮はしないよ) ですから当時は、女学生のクセに袴なんぞをはいてと言われました。 んー。 ジェームス・ディーン主演の映画「理由なき反抗」で、 女優アン・マーグレットが、前にジッパーのついたジーパンをはいて 当時話題になりました。 それまでの女性のパンツは、横にジッパーかボタンがついているのがあたりまえだったからです。 女のクセに男物のジーパンをはいていたからなんですね。 それと同じで、袴をはいた女学生が我が家に出入りするのを 家族のものは大変いやがりました。 まあ、男まさりということですね。 ということで 正式ではなく流行ですから、 いつまでということはむずかしいのではないでしょうか。