• 締切済み

お金を使うのにためらってしまう

お金を娯楽につぎ込むとよく、世界中の貧しい人、飢餓で苦しんでいる人を考えてしまい、 浪費をするくらいなら一刻も早く募金をして人の命を救わなければいけないんだろうか、と思ってしまいます。 海外旅行なんかも僕はすごく好きなのですが、毎々このお金を寄付したら・・・と思います。 いつもいつも思うわけではないのですが、今日使ったお金をすべて寄付すれば何人の人を救えたのだろう、自分がお金を使うたびに助けられる命を見捨てているのだな、と感じてしまいます。 でもマザーテレサのように人生すべてを献身できるほど意志はなく、自分が偽善者なのではないか、と言われてしまっても仕方がないとも思います。 あとテレビで億万長者の特集や芸能人の豪邸特集なんかも見ているとむかむかしてしまいます。 私欲を肥やす人へのいら立ちなのか、それともただの嫉妬なのか、自分でもよくわかりません。 乱文すいません、みなさんはどうですか。

みんなの回答

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.7

世界は今、食糧危機、資源危機、電力危機に苦しんでいます。 日本人はインド人の10倍以上の石油と電力を消費しています。日本が吐き出した温室効果ガスによって、地球温暖化が促進し、世界のあちこちで干ばつが起きて、穀類が不作になっている。食糧の供給が不足して世界食糧価格指数は毎月最高値を更新しています。だから貧しい国は高くて食糧を輸入できない。そういう国ではデモ、暴動、テロが相次いでいます。しかし日本は有り余る外貨準備高と円高を武器に世界から食糧を買いあさって買い占めている。日本が価格を吊り上げて、乏しい食糧を独り占めしているのです。日本の食糧自給率は40%です。つまり60%は輸入に頼っている。日本人は世界の苦境に気づいていない。だから菅総理は、寿司店・焼肉店・イタリア店を一晩でハシゴして恥じることが無い。国民は牛肉の放射能汚染を心配している。 日本が石油を買い占めて価格を釣上げている。だから貧しい国は高くて石油を輸入できない。火力発電所があっても燃やす石油が無いから発電できません。311福島原発事故以来、原発の休止が長引いて原発の稼働率が落ちている一方で火力発電所の稼働率が上がっています。いままで以上に温室効果ガスを排出し、今まで以上に石油を買い占めている。 私たちが電気やガソリンを無駄遣いすればするほど世界の貧しい人を飢餓で苦しめる。 京都大学の小出裕章は火力発電所が余っているのだから石油をじゃぶじゃぶ使えと主張しています。彼には飢餓で苦しむ貧しい人達の慟哭の声が聞こえないのでしょう。 問題なのはお金の遣い方でしょうか。私はそうは思わない。頭の使い方、資源の使い方、電気の使い方ではないでしょうか。世界の人々を苦しめるのか、それとも助けるのか。 それは日本人一人一人の頭の使い方、資源の使い方、電気の使い方にかかっているのではないでしょうか。京都の小出のようになったら、人間として終わっていると思う。いくら社会的に成功したとしても弱者に対する思いやりの感情を持たない人間は人間として認められない。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.6

餓えた人にに魚を与えても、その魚を食い尽くせば また餓えが始まるだけです。 しかし、釣りを教えれば、その人は一生生活して いけます。 お金など与えても、一時的です。 それに何で見ず知らずの人を、助けなければ いけないんですか。 自分を犠牲にしてまで。 彼らが餓えているのは、私の責任でもないのに。 そんなことをやるから、日本は財政赤字になる んですよ。このままでは貧困者に食いつぶされて しまいます。 億万長者云々は関係ない話です。 ただのルサンチマンで醜いだけです。 結果だけ見ているからです。 億万長者になるために、彼らはどんなことをしたか その経緯を考えないからそんな感情に襲われるのです。

  • ka28mi
  • ベストアンサー率41% (969/2315)
回答No.5

お金を使うという行為自体には、善も悪もないと思います。 なぜなら、「貨幣」というのは、労働の成果を交換するのに便利なように考えられた社会上の約束事にすぎないからです。 一度、とことん考えて見られてはいかがですか? 貧しい人、飢餓で苦しむ人が、なぜ存在するのか? 寄付をすることで、どうなるのか、その結果は「救い」と呼べるのか? ご参考までに私なりの考えを述べてみます。 まず「貧しい」理由はいろいろありますよね。 本人の怠慢もあるだろうし、仕事がないから、戦争や内乱のせい、天災のため、複数の理由が重なっていることも、もちろん多いと思います。 寄付を受けることで、これらの問題は解決するのでしょうか? 質問者さまのように海外旅行をする人がいなくなれば、その国の観光産業に従事している人は失業してしまいます。 豪邸を建てる人、贅沢な家具や衣類、食事などにお金を使う人がいなくなれば、それらの産業に従事している人が失業してしまいます。 失業した人たちに、お金を渡して、生きてはいける状態にしてあげる。それが善いことでしょうか。仕事があれば、その人たちは自分で生きていけたはずではありませんか? そして、寄付の結果についてです。 質問者さまは、難民キャンプの出生率が高いこと、子どもに故意に障害を与えている親の存在が疑われていること、一部地域の住人の増加のため環境が破壊され野生動物が危機にさらされていること、をご存知でしょうか? とんでもない意見だと受け取る方も多いと思いますが、未来に対する希望もあてもない状態で、ただ命だけを助けることが本当に救いになるとは、私には思えません。 私が自分で「できる」と考え、実行していることは3つです。 自分で働き、一定以上の税金を納め、経済的に他人の世話にならない。 自分が好きだと思うものを正当な対価を支払って手に入れる事で、経済活動に貢献する。 自立に向かう支援をしているものに限り、できる範囲で寄付をする。 具体的に言うなら、今回の東日本大震災にかかわって、3月には寄付をしました。個人的にと職場を通じて。でも、4月以降は、東北産の物を買うようにしています。現金での寄付はやりません。 善悪の概念など、人によって、周囲の状況によって変わります。 寄付をしない人を悪人と呼ぶ人もいるでしょうし、寄付だけをする人を偽善者と呼ぶ人もいるでしょう。経済援助をする人を自己満足にすぎないと考える私のようなへそまがりもいます。 結局、その人なりの考え方でしか、自分を納得させることはできません。 「分からない」と感じられるのであれば、とことん突き詰めて考えたり調べたりすれば、すっきりするかもしれませんよ。

  • e3tatsu
  • ベストアンサー率51% (78/151)
回答No.4

寄付で人を救うこともできるでしょう. ですがあなたが海外旅行をすることで救われる人もいます. あなたが何気なく自販機で飲み物を買っただけでも救われている人がいます. どんな使い道であったとしてもお金を使えば救われる命はあります. たとえ娯楽であったとしてもです. これが事実なわけですが,私自身の心情的にはそもそもお金で救える(買える)命があることがおかしなことだと感じます. 何だか命に値札を付けられているようで,世の中がそうゆう仕組みになっているんだと理解はしていても納得はできてないですね. "世の中金が全て"という文句を認めるようで寄付をすることに強い抵抗を感じます. 寄付は人を救うことの記号としては最もわかりやすいですから 得られる自己満足度も他とは比べものにならないほど大きいです. 少なくとも私にはあなたが偽善者に見えます. ただ私は偽善が悪だとは決して思っていません. これが私の考えです.何だか纏まってなくてすみません.

回答No.3

はじめまして。 私もNo.1さんの意見に賛同します。 後悔しないお金の使い方は人それぞれあって良いと思います。 私は被災地に住んでいますが(「またかよ」と言われるかもしれませんが)自分のお金をどう使おうが自由だと思います。 最近「仮設住宅を早く作れって言ったくせに入居しないってどういうことだよ!」とお怒りの方も多いようですが、あれはメディアがその部分だけピックアップして報道するために誤解がある部分も少なくありません。 仮設住宅を作る場所にも問題があったりするのです。 阪神淡路大震災に比べたとえ規模が大きかったといえども、いまだに瓦礫の処理もままならず、沿岸沿いでは「ここに家を建ててはいけない」「それはまだ決まったことではない」と、国策のゴタゴタに巻き込まれて半ば被災地に住む人は「じゃぁ、勝手にやっちゃうよ」と思っているでしょう。 私も、お金があったらこんなところで暮らしてないで海外にでも行って贅沢三昧生活をしたいと思っていますよ。 今まで10万円の給料だった人がぎりぎりの生活をしていたとして、たとえ給料が20万円の倍になったからと言って10万円で今までの生活をして残りの10万円を将来のために貯金できるか? 結構できないものですよ。 人は人、自分は自分。 ちょっと気付いた時に『あ、しばらくお金使ってなかったな』と余力があるようだったら募金なり貯金なりすればいいだけの話です。 あなたのお金はあなたの自由に使えるお金です。 あなたの募金で命が助かったりした人は決してあなたの事を”偽善者”などとは思いません。

  • dspdsp
  • ベストアンサー率35% (23/65)
回答No.2

私もそんな風に考えたことがありました。どんどん突き詰めていくと、自分が生きるのをやめたら、アフリカあたりの貧困の村で何人の子供が生きられるだろう、という考えにたどり着きました。何もせずに毎日食事したり家賃を払ったりしているだけで相当なお金をつかっているのですから。 では今すぐ死んでしまうのが世の中のためなのかな、とも思えたのですが、そうする代わりに、勉強して、就職して、社会貢献度の高い仕事につけば、自分が今すぐ死んでしまうよりずっと多くの命を救えるのかな、と考えました。 そのためには、 ・お金や時間の浪費はやめる ・自分に投資するためのお金は、惜しまずにつぎ込む(将来社会貢献する自分に投資すれば、寄付するより効果が大きい)。 が必要と悟り、今に至っています。 私も旅行はよくしましたが、いろいろな生活があるのだなということがわかり、今の自分の糧になっていると思います。 豪邸に住んでいる人をテレビで見ると、「この人は豪邸に住むことでストレスを解消したり客人を招いたりして、結果として社会貢献をしているのだな」と思えるので、腹も立ちません。ただ、自分のできることにまい進するだけです。 私の場合はそんな感じです。

  • copemaru
  • ベストアンサー率29% (895/2998)
回答No.1

知っていて何もしない人より,たとえ「偽善者」と言われても行動する方が尊い,と思います。 100%でなくても,自分にできる範囲で善意を示せばそれで十分です。

bosessa
質問者

お礼

ありがとうございました。参考にさせていただきます。

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