- ベストアンサー
「梶の葉に文を書く」?!典拠は?
七夕の回答で「自称 歴史作家」が述べておられる中で、平安時代は紙の代わりに梶の葉に歌を書いたと説明されています。早速、我が家の庭に落ちている青葉と枯葉に筆で書いてみましたが、青葉に書いた字はよく読めました。 細かな質問になりますが、梶の葉はこうした落ち葉を蓄えて、一年中、紙の役割をしていたのでしょうか?また、その事実を記した資料は、何を見ればよいのでしょうか? 我が家の庭に根を張る梶の木が七夕の日にスポットを浴び、此の葉に願いを書いて笹に吊るせば千年タイムスリップした気分になるのではと高揚しています。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
角川書店「有職故実 日本の古典」には「七夕梶葉宸翰図」(「恒例公事之図」より)が載っています。「図は、天皇が三間の上段に出御、女官が広蓋に硯七個をいれ、筆・墨とともに奉る。天皇は七首の歌を梶の葉に書く」とあります。 中国伝来の「乞巧奠(きこうでん)」と、日本古来の「棚機姫(たなばたつめ)信仰」が結びつき、万葉集でも多くの歌が詠まれていますが、芋の葉に受けた朝露で硯墨を摺り「梶の葉」に歌を書く風習は平安中期以降のようです。梶の木の皮はもともと楮(こうぞ)であり、紙や機織り木綿の原料となることも関わっているのでしょう。 短冊に歌を書いて笹竹に結び付ける風習は、江戸時代の関東の寺子屋の普及に伴って広まったらしく、享保20年(1735年)刊の「続江戸砂子」では関西では行われていない旨の記述があるといいます。
その他の回答 (1)
- Willyt
- ベストアンサー率25% (2858/11131)
梶の葉はいつの頃からか、七夕の短冊に使われるようになっていたようですから、保存のためではないと思われます。その由来は源氏の棟梁たる諏訪氏の家紋で、頼朝挙兵の折、武田の当主がこれに応じて出陣するとき、梶の葉の紋をつけた武将が夢枕に立ち、そのために軍功を上げることができたという言い伝えが縁起のいいものとして拡がったということのようです。詳しくは下記を参照して下さい。
お礼
ありがとうございます。わからないことが、少しづつ埋まっていく感じです。
お礼
ありがとうございます。庭の梶の木を眺めながら、充足感が増します。図書館で原典も当たってみます。ありがとうございました。