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「先の先」を呼び込んで、…

機械の初期動作の為のエネルギーと同じく、 始まりには何らかの外的な犠牲が伴なわざるを得ないのでしょうか。 つまり、何かの終わりが次の始まりの切っ掛けになっているのか、 ということを、此処では伺っておりますから、宜しく御願い申し上げます。

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noname#150036
noname#150036
回答No.5

>次の時代の新しい文化が台頭する時には、従来の価値観が受け入れられ難くなる可能性が増しませんでしょうか。 ★仰る通りだと思いますね。この問題は、地球上に於ける全ての科学に対して、問を投げかけた、 いわば物理数理が万能であると、勘違いしているであろう現代人に、警鐘を鳴らすものであると思います。 むしろ、社会科学、環境科学、生物学、観象学を含む、大きな命題であるはずなんですが、 皆さん、まだ気が付かれていないようですね。 ちょうど今、井上ひさし氏の、日本語講座を記録した本を読んでいたのですが、 「言葉は常に乱れている」この節の中で、「日本語で、本来の意味とは逆の意味で現在使われている言葉がある。しかし、皆が逆の意味で使い始めたのだから、それが新しい文化であり、新しい母国語として正しいのである。」 と、氏は語っています。 また、あまり参考にならない回答をしてしまって申し訳ないです。なにしろ多忙なものですから。 お許し願います。

littlekids
質問者

補足

再度の回答で、重要な部分の確認への御協力を賜れまして、大変に嬉しく思います。 因みに、別のページ(http://okwave.jp/qa/q6823771.html)に此処の話題をスピンオフさせました。

その他の回答 (4)

回答No.4

もし始まりの前の抵抗の排除を話題に盛り込めるのでしたら、 初動負荷理論が当て嵌まるのでしょうね。

littlekids
質問者

お礼

安定が自発的に破れていく、という「建設的」な犠牲の存在が、新たな進歩を促せるのではないでしょうか。

littlekids
質問者

補足

それだと前置きが乏しく御座いませんか。

noname#150036
noname#150036
回答No.3

うーんん、、、意味深いですねー。 このテーマで、本が一冊書けそうです。というのも 因果関係が異なる座標系からの流れである可能性もなきにしもあらず。 これは皆さんの意見を聞いてみない事には何とも、、、、 一つ例をあげてみます。現在も生き残っている鳥類ですが、 恐竜が繁栄した時代には存在しませんでした。翼を持った 翼竜というのが居たそうですが、体重が重すぎて空を飛ぶなんて もってのほかだったらしいですよ。 空を飛べる鳥類が出現したのは、恐竜時代が衰退してからなんだそうです。 この因果関係は、ただものじゃないと思います。未来の座標系が関係したか 異空間の干渉があったかは知りませんが、突然やってきた多様化の波が、必要にかられて犠牲を払ったのか・・・ やっぱり学者の意見も聞かなきゃだめみたいですねー。 僕はサラリーマンで作家なので、てきとーで、なんでもありです。 あまり、あてにならなくて申し訳ない。

littlekids
質問者

お礼

次の時代の新しい文化が台頭する時には、従来の価値観が受け入れられ難くなる可能性が増しませんでしょうか。

littlekids
質問者

補足

有り難う御座います。 勿論ながら、仰る通りに、相互の様々な影響のことを考えております。 食物連鎖とか自然淘汰とかトレードオフとか財源確保とか… 該当し得る事例は比較的に多い、と思われます。

回答No.2

量子論的世界像において、存在性(確率的有限性)は、 認識される事において生じます。 つまり、始まりは、あなたの心です。 現在(感受表面=光速)から、過去(超光速=経験=時間的 流れ=自我仮説)と、未来(光速下=予測=空間的広がり= 時空仮説)は、対発生しているのです。 したがって、あなたの死が、あなたにとっての全ての終わりです。

littlekids
質問者

お礼

「或る出来事が始まっていない状態への固執」が犠牲になりませんと、その出来事の始まりが認識され難いのではないか、と考えていましたが、そういう発送は唯の勘違いなのでしょうか。

littlekids
質問者

補足

有り難う御座います。 自由化がリスクヘッジの保障を損ねる可能性の存在を踏まえまして、 此処では「犠牲」という言葉を採用しました。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.1

何か判らんと言う奴じゃね。人生の始まりは、両親の喜びと、幼児少年期のあんたの生の悦楽じゃ。何処に犠牲があるちゅうんじゃ。そして、次にやって来るのが両親の失望と、その失望した相手を何とかしようと言う親の犠牲じゃ。そして、本人も失望して、犠牲がどうのこうのと言い出すんじゃないんかね。こんな質問そして来ることが、その何よりもの証拠だ。 世の中はあんたの考えている様にも出来ており、そうでない様にも出来ている。ちゅうことは、世の中に対するあんたの特徴付けが、まるで的を射ていないと言うことなんじゃないの。 世の中は澄むと濁るで大違い 刷毛に毛があり禿げに毛がなし ってんだ。あんたの考えていることの反対が正しいってこともあることを忘れちゃ駄目だ。

littlekids
質問者

補足

有り難う御座います。 畏れ入りますが、此処では価値判断に言及していません。 生命の誕生にもエネルギーの消耗が伴なうのではないか、 と考えまして、こういう質問を致しているつもりなのですが、 それは完全な謬見なのでしょうか。

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