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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:南京”大虐殺”の根拠はありますか?)

南京大虐殺の根拠はあるのか?

raky753の回答

  • raky753
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回答No.1

このサイトを見れば分かるのではないでしょうか。

参考URL:
http://beauty.geocities.jp/nankingharuhi/
truthofjapan
質問者

お礼

このサイトは結局何が言いたいんですかね? 日本軍側の日記と国際委員会の証言などに依拠しているようですが。 埋葬記録は四万三千しかなかったんでしょ? いったい誰が何人の民間人を殺害したというのでしょうか? 軍規が厳しく士気の高かった日本兵? 便衣兵や督戦隊、清野作戦などを使って訓練もろくにしていない掠奪が褒美のシナ兵? ちなみに便衣兵の処刑は虐殺とは言いません。

truthofjapan
質問者

補足

http://www21.atwiki.jp/nankin1937/pages/30.html ちなみに便衣兵の処刑は合法であるというのは上のURLで詳しく解説されています。 『大本営が中支那軍の戦闘序列を解いた1938年2月14日が南京攻略戦の終了にあたる』 ということですので1938/2/14までは軍律裁判無しで処刑できた、ということです。

関連するQ&A

  • 南京”大虐殺”の根拠、民間人被害者は何人?

    人口の推移とかスマイスの調査結果とか、反証はたくさんありますが、虐殺の証拠がありません。 1.紅卍会の埋葬記録には女子供は皆無に近い。(約4万3千体) 2.数千の便衣兵が安全区に紛れ込んだが国際委員会は何らのチェックもせず入場させた 3.中国兵は訓練も足りず規律も良くないから不祥事が起こるかもしれない、と唐生智は南京陥落前、外国人記者会見で語っていた。 4.日本軍からの降伏勧告に応じなかった。(返答しないまま司令長官唐生智は逃げ去った) 5.陸戦条約によって便衣兵は捕虜としての待遇を受けられない、したがって処刑されてもやむを得ない。よって兵士や便衣兵の死者は大虐殺の中に数えるべきではない。それは戦闘行為であり、または陸戦条約違反の処刑である 6.昭和60年に崇善堂の死体埋葬11万は捏造であったことがわかっている。産経新聞S60.8.10 7.中国軍はおよそ5万人の兵力であった。 8.訓練も足りず規律も良くない中国軍が司令官を失い南京に大混乱がおこったことは推測に難くない 秦郁彦氏は自身の著書で「上限は4万人」と結論づけている。しかしそのうち便衣兵でない民間人が何人なのかは明確にしていない。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6#.E7.99.BA.E8.A8.80 これら事実を総合すると、結局、民間人を理由もなく30万人も殺害し、シナ人女性を何万人もレイプしたという反日プロパガンダ映画で描写されているようなことはまったく『立証されていない』のではないでしょうか? 何万人もレイプしたのであれば少なくとも数百単位のハーフが生まれていたはずですが、そのような記録はないのではないでしょうか? 仮に大量殺人があったとしても、そのほとんどは戦闘行為によるものであったり、便衣兵の処刑であったり、捕虜となった兵士を食糧事情からやむを得ず処分したということではないでしょうか?これらを虐殺と呼べるのでしょうか? 秦郁彦が言う上限4万人説と紅卍会の埋葬記録約4万3千体ですが、これは中国兵5万人の約8割に相当する数で、ほとんどすべてが惨敗した中国兵の死者(正規兵と便衣兵)であって、一般市民はほとんど殺されていないのではないでしょうか? 虐殺の証拠はやっぱりないのでしょうか?

  • 南京大虐殺はやっぱりプロパガンダ?

    人口の推移とかスマイスの調査結果とか、反証はたくさんありますが、虐殺の証拠がありません。 1.紅卍会の埋葬記録には女子供は皆無に近い。(約4万3千体) 2.数千の便衣兵が安全区に紛れ込んだが国際委員会は何らのチェックもせず入場させた 3.中国兵は訓練も足りず規律も良くないから不祥事が起こるかもしれない、と唐生智は南京陥落前、外国人記者会見で語っていた。 4.日本軍からの降伏勧告に応じなかった。(返答しないまま司令長官唐生智は逃げ去った) 5.陸戦条約によって便衣兵は捕虜としての待遇を受けられない、したがって処刑されてもやむを得ない。よって兵士や便衣兵の死者は大虐殺の中に数えるべきではない。それは戦闘行為であり、または陸戦条約違反の処刑である 6.昭和60年に崇善堂の死体埋葬11万は捏造であったことがわかっている。産経新聞S60.8.10 7.中国軍はおよそ5万人の兵力であった。 8.訓練も足りず規律も良くない中国軍が司令官を失い南京に大混乱がおこったことは推測に難くない 秦郁彦氏は自身の著書で「上限は4万人」と結論づけている。しかしそのうち便衣兵でない民間人が何人なのかは明確にしていない。 これら事実を総合すると、結局、民間人を理由もなく30万人も殺害し、シナ人女性を何万人もレイプしたという反日プロパガンダ映画で描写されているようなことはまったく『立証されていない』のではないでしょうか? 何万人もレイプしたのであれば少なくとも数百単位のハーフが生まれていたはずですが、そのような記録はないのではないでしょうか? 仮に大量殺人があったとしても、そのほとんどは戦闘行為によるものであったり、便衣兵の処刑であったり、捕虜となった兵士を食糧事情からやむを得ず処分したということではないでしょうか?これらを虐殺と呼べるのでしょうか? 秦郁彦が言う上限4万人説と紅卍会の埋葬記録約4万3千体ですが、これは中国兵5万人の約8割に相当する数で、ほとんどすべてが惨敗した中国兵の死者(正規兵と便衣兵)であって、一般市民はほとんど殺されていないのではないでしょうか? 2011.6.23 04:59 産経ニュース 虚実不明の「南京大虐殺」を初めて世に紹介したのは、英マンチェスター・ガーディアン紙特派員、ティンパーリーが1938(昭和13)年に刊行した『戦争とは何か』です。ティンパーリーは当時、国民党中央宣伝部顧問で、資金提供も受けていたことが北村稔・立命館大教授らの研究で判明しています。同著の出版をはじめとする「大虐殺」宣伝は、世界中で反日世論を高める戦時プロパガンダだったのです。 『別冊正論』15号では、3人の筆者が、このプロパガンダへの中国共産党またはソ連の関与を示す根拠を提示しています。 (1)『戦争とは何か』中国版の序文を書いた有名文化人の郭沫若(かくまつじゃく)は、日中戦争勃発にあわせ、亡命先の日本から中国共産党やコミンテルン(戦前~戦中の国際共産主義運動指導組織。本部・モスクワ)の支援で極秘帰国し、戦時宣伝を担当した(中西輝政・京大教授)(2)同著の日本語版序文を書いた青山和夫こと黒田善治という人物は、コミンテルン秘密工作員とともに中国で活動していた(近現代史研究家、長塩守旦氏)(3)「大虐殺」の証拠の一つとされた『ラーベ日記』筆者、ジョン・ラーベは、ソ連の大物スパイ、ゾルゲの活動を上海で支援していた赤軍諜報部員の友人だった(江崎道朗・日本会議専任研究員)-。  アメリカでは近年、第二次世界大戦前後のルーズベルト政権内にソ連と通じた秘密共産党員が多数潜入して政策に影響を与えていたという実証研究が進み、共産主義の世界革命戦略が当時の情勢分析に欠かせないという見方が強まっています。「大虐殺」宣伝もその中に位置づけられるとしたら…。今後の検証が待たれます。 時間的にも空間的にも曖昧にしたままで外交カードに使う中国共産党はしたたかですよね? これでも南京大虐殺があったという方はいないですよね?

  • ”南京大虐殺”の被害者はいったい何人なのか?

    ”南京大虐殺”って根拠はあるんですか? と言う質問をしたら 1.加害者側の手記(中島今朝吾師団長の日誌ほか) 2.火葬記録 3.当時のNewYorkTimesの記事 くらいしか出てきませんでした。(自称”被害者”の証言とか捏造された写真は論外です) 1.の中島今朝吾の手記というのは「敵軍が捕虜になりたがって困るから殺害しようか」というものですが、たとえこの手記が捏造ではなく本物であって、この通り殺害したと仮定しても民間人殺害やレイプということはまったく根拠になりません。捕虜と言っても敵軍です。督戦隊とか清野作戦とか自軍の兵士を虫けらのように扱っていた国民党軍や中国共産党軍には責められるはずもありません。便衣兵として卑怯きわまりない事をやっていたのなら尚更です。 2.火葬記録については30万もの遺体を焼却処分したのであればそれなりの物的証拠があるはずですがそれはまだ提示してもらっていません。記録と言うからにはいつ何処で遺体何人分を償却したとわかっているはずですから、遺骨が記録通り出てこなくてはいけないはずです。 3.NYTの記事はダーディンとか捏造記事を書いた人がいましたので記事があると言うだけでは証拠として採用できません。その記事の裏付け資料が必要です。当時は反日プロパガンダがアメリカで行われていましたので当然ですよね? 参考)『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディン通信員は、1989年10月号の『文藝春秋』においてインタビューに答え、「(上海から南京へ向かう途中に日本軍が捕虜や民間人を殺害していたことは)なかった」と断言し、「私は当時、虐殺に類することは何も目撃しなかったし、聞いたこともありません」と述べていることが伝えられている。 結局、民間人を理由もなく30万人も殺害し、シナ人女性を何万人もレイプしたという反日プロパガンダ映画で描写されているようなことはまったく立証されていないのではないでしょうか? 仮に大量殺人があったとしても、みずから捕虜となった大勢の国民党軍兵士をやむを得ず処分した、ということにとどまるのではないでしょうか?それを大虐殺といっていまも外交カードに使うのはどう考えてもおかしいですよね? そもそも毛沢東は自国民を7千万殺したと言われています。 通州事件とか民間人が残虐な殺され方をした日本から見て完全にダブルスタンダードです。 そもそも南京大虐殺というのはいつからいつまでの間に起こったのでしょうか? 1937年12月14日ジョンラーベから日本軍司令官へ http://divdl.library.yale.edu/ydlchina/images/NMP0144.pdf すくなくともこの手紙以前は南京には秩序が保たれていたはずです。 国民党軍には便衣兵がいたのですから便衣兵はもちろん便衣兵と間違えられた民間人は虐殺の内には入りませんよね? 当時南京で殺された人数の内、兵士でもなく、便衣兵と間違えられて殺された民間人でもなく、さらに国民党軍に殺されたシナ人や日本人でもない、そういう”南京大虐殺”の被害者はいったい何人なのか?

  • 南京大虐殺はプロパガンダですね?

    日本軍が民間人を大量虐殺したという立証はなされていません 南京大虐殺はもともと中国国民党(蒋介石)のプロパガンダです。それを中国共産党が拾って現在に至っています。 http://www.youtube.com/watch?v=CIuPz7zrVX0 彼らは2次大戦当時、スパイ工作で日本と中国国民党を戦わせ、漁夫の利を得て中国を支配しました。南京大虐殺というのはその戦いの中で当時の首都南京陥落時に起きた事件と言われています。この日中戦争(シナ事変)で漁夫の利を得たのは中国共産党であり、今の共産党はその当時から中国を一党独裁で支配しています。 毛沢東は生涯、南京大虐殺について言及することはありませんでした。1964年7月、日本社会党訪中団が戦後、過去の戦争について謝罪したとき、彼は「日本のおかげで共産党は中国を統一できた」と感謝すらしました。文化大革命や大躍進政策で自国民を7000万人以上殺した毛沢東を建国の父と未だに崇拝している中国共産党のこういう体質は2次大戦から今まで続いています。 天安門事件、ノーベル平和賞でもわかるとおり、民主化運動は徹底的に弾圧し、言論の自由もありません。チベットやウイグル、法輪功で国際的に非難を受ける中、批判の矛際をかわすために南京大虐殺が使われています。70年も前の戦時中の事件と現在進行形のチベット・ウイグル、どちらに目を向けるべきでしょうか? 蒋介石・毛沢東こそ大虐殺をしていた? http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-247.html 「私はアメリカの世論を操るために(中国政府に)雇われたのだ。」 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-246.html 満州事変当時の中国兵の実態 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-244.html シナ人は公開処刑が好き ※残酷な画像が含まれています。 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-242.html 日本人居留民大量殺害「通州事件」と冀東防共自治政府の裏の国民革命軍 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-237.html 東中野氏と田中正明氏に対する肯定派の批判、笠原十九司のウソ http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-236.html 南京大虐殺捏造の証拠 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-234.html あのとき南京で何が起こったのか? http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-96.html 南京大虐殺は実は「漢奸狩り」 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-232.html パール判事は南京大虐殺など認めていない http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-175.html 南京大虐殺 国際連盟も議題にせず http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-170.html 南京大虐殺と欧米人の証言 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-169.html 「南京大虐殺」宣伝の裏に共産勢力 http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-115.html 軍規厳正を常に誇りとしていた日本軍、と顧維鈞は認めた http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-177.html 崇善堂の11万埋葬のウソ 南京大虐殺の証拠は捏造だった http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-174.html ゆう氏による「南京事件 初歩の初歩」 http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html によると、南京大虐殺の実態については主に以下の5つからなるものだそうです。 1.幕府山事件 2.安全区掃討 3.下関の捕虜殺害 4.その他の捕虜殺害 5.民間人殺害 スマイス報告 1,3,4についてはすべて「捕虜の処刑」となっています。 そもそも、なぜ南京に大混乱が起きたのか? 第二次上海事変や通州事件、広安門事件、大山中尉殺害事件、漢奸狩りなど中国側からの日本に対する挑発行為、民間人大量虐殺などを経て南京攻略戦に至りました。 連戦連敗の中国国民党軍に対し、日本軍は降伏勧告を行いましたが、国民党軍司令長官唐生智は降伏せずに南京から逃亡しました。その一方、督戦隊という非人道的な戦法を使い南京が戦場になってしまったのです。 数万にも上る捕虜の処刑を責めるのなら、なぜ司令長官は降伏せず逃亡したのでしょうか? 「仮に」ゆう氏の言うとおり捕虜を大量に処刑したとしても、中国側が日本軍を責められるはずもありません。 2の安全区掃討については、数千の便衣兵が安全区に紛れ込んだとき、国際委員会は何らのチェックもせず入場させたのであり、責任を問われるべきはジョンラーベやベイツ、マギーらの国際安全委員会が責められるべきです。そして戦闘員であるにもかかわらず一般市民を危険にさらす便衣兵となった中国兵の責任です。 南京は国際法に違反しており捕虜としての資格を有しない http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-243.html スマイス調査は日本軍による虐殺の証拠たりえるか? http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-238.html

  • 中国「本当の和解望むなら南京に来い」だって

    ま、民間人が100人ほどは殺されたかもしれません。 中国軍将校は兵士を後ろからけしかけるだけ。 ちょっと日本が攻勢に出ると退却していました。 日本軍は正規の戦闘より民間人の格好をしたゲリラ兵、いわゆる便衣兵に市街地でよく攻撃されました。相手は民間人の格好をしているのだから性質が悪い。 便衣兵を殺したおかげで民間人を虐殺したことにされてしまいました。そりゃ中には本物の民間人もいたでしょう。しかし自宅をアジトに提供した民間人は兵隊と同じです。 戦争をしていてある程度民間人の犠牲が出るのは仕方がないです。 南京虐殺30万なんて詐欺そのものではありませんか?

  • 【便衣兵】旧陸軍による中国大陸での虐殺は無かった【国際法】

    【便衣兵】旧陸軍による中国大陸での虐殺は無かった【国際法】 当時の国際法(戦争法)であるハーグ陸戦協定では、便衣兵(ゲリラ、テロリストの類)は交戦資格が無いとし、捕らえた場合は裁判せずに即処刑してよいこととなっております。 これを根拠として、便衣兵の大量処刑は戦争法で認められた戦闘行為の一部であるとし、虐殺数に含まれない、といった論があります。 ですが、この裏を返せば、裁判無しなのですから便衣兵である証拠なしで処刑してよい、と言うことになります。 つまり仮に、旧陸軍の部隊が無辜の一般市民を虐殺したとしても、「これは便衣兵の処刑である」と、いくらでも言い逃れが出来るということです。 とすると、旧陸軍による中国大陸での一般市民の虐殺は一切無かった、といえることになるのではないかと思いますが、 みなさんは、この論についてどう思いますか?

  • 南京大虐殺再び

    ■【コラム】南京事件の1次資料と3次資料 http://www.d3b.jp/npcolumn/4435 これって、日本人なら、南京城の安全区から、逃げる中国兵を中国軍が虐殺したのが事件の発端なのに、なんで朝日新聞の嘘報道が真しやかにいわれるのでしょうか?

  • 南京大虐殺はあったのでしょうか???

    参考URLによると 「南京大虐殺の遺体の埋葬を担当した紅卍字会によると、一日2百体は 無理だった」 ということです。 多く見積って、一日200体を埋葬できたと計算すると、 一ヶ月⇒6000体 二ヶ月⇒1万2000体 三ヶ月⇒1万8000体 四ヶ月⇒2万4000体 中国が主張している30万人ならば、 遺体の処理に4年と二ヶ月かかる計算です。 南京大虐殺はあったのでしょうか? あったとすれば、何人くらいが犠牲になったのでしょうか? 参考URLの元の本は国会図書館にはあるようです。 参考URL:http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page002.html, http://www1.vecceed.ne.jp/~swtamura/asaba.htm

  • 南京の虐殺の疑問

    http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/656291 ここを読んで疑問に思いました。 処刑時、機関銃の列に移動する際に抵抗する中国人がおらず、大人しく日本兵の銃口の前に並ぶ人たちばかりだったのはなぜですか? 南京で虐殺が起きたとされる時以前は日本兵と中国兵は激しく戦闘していたのに矛盾しませんか?

  • 南京大虐殺の嘘・・・調べりゃ分かるのに・・・

    ■南京攻略戦 昭和12年12月12日 日支が激しい攻防戦の最中、南京死守と豪語していた唐生智将軍が幕僚とともに 挹江門から脱出して逃亡してしまいました。 この逃亡が支那軍に知れ渡ると支那の指揮系統が崩壊し、支那軍も我先にと逃亡し始めました。 支那兵は安全区に逃げたり、唯一の開いている挹江門から脱出しようとする者、 さらには城壁から紐を結んで城外に脱出する者に分かれました。 悲惨なのは挹江門です。 ここから逃げようとパニックになって殺到した支那兵がこの門を通って逃げますが、 門の外にいた督戦隊によりこの逃亡兵を射殺しました。 そのためここの出口には多くの支那兵が圧死したのです。 陥落2日後にこの大量の死体を目撃した「シカゴ・ディリー・ニューズ」の記者は 「南京虐殺物語」という記事を載せ、死体の小さな山は日本軍によるものだと報じました。 この記者の名はダーディンとスティールといいます。 しかし昭和62年、この両記者はこの記事は支那兵同士の衝突での死体だと認めたのです。 つまりこの頃支那がやっていた宣伝戦の一環であり、根も葉もない作り話です。 でも、また反日朝日新聞が、自社の戦前のアサヒグラフなどのニュース写真などを流用し、南京大虐殺と銘打って一大キャンペーンを張りました。 ■1971年 南京大虐殺 朝日新聞・本多勝一(本名 崔泰英=在日朝鮮人)『中国の旅』 近年はこれが一人歩きしています。 中国では.30万人虐殺という記念館まで出来ました。 もちろん虐殺したのは支那督戦隊です。 こんな売国新聞社をどう思いますか? ※裁判員として (南京外交部跡の野戦病院にて皇軍の衛生隊の看護を受ける支那傷病兵。 昭和12年12月20日撮影「支那事変画報 第十一集」) ※虐殺してたら、手当などしますか