- ベストアンサー
奇妙な吊るし上げについて
- 奇妙な吊るし上げについての要約文です。
- 吊し上げとは、集団で相手を萎縮させる威圧的な行為です。
- 吊し上げは不当な要求や冤罪の発生を引き起こす傾向があります。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
以下、コメントです 『擬似的吊るし上げ』の意味がよくわかりません。擬似とは ほんものでないとか 論理的でない とかの意味でしょうけど 吊るし上げにくっ付くとニセの吊るし上げとなり 吊るし上げを追及と理解しますと 本物でない(無視してよい)追求の意味のように思われます。無視してもよい は 追求を否定している わけで 追及になってなく 単なる 話ということになります。まあ このカテでは多少お目にかかりますが。不要なのでは と思います。 なぜ このような擬似的吊るし上げが発生するのか、切っ掛けを創るひと の気持ちが よく分からないということです。普通は追求にすればいいのです。参加者は付和雷同的と思われます、これは分かります。 質問者さんのご指摘のように 質問者の威圧に対抗するための方便でしょうか あるいは 質問者への反論ができないため 質問をいい機会とみて 擬似追求意見なるものを 出す のでしょう。いずれにしても 『擬似的吊るし上げ』は無視しても何ら問題はない と思います。 以上 失礼致しました。
その他の回答 (1)
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
頭の良い方たちの言っていることは凡人にはよくわかりませんが、なにやらワイドショウを見ているような倦怠感が充溢していますね、そこらここらで。 嫉妬と憤怒の渦の中に馬の脚もチラ見えるようでおぞましさと逆行性に神経すり減らす無明長夜のごとし。 まあ、ワイドショウとはいえ話題に取り上げてもらえるだけ人気者ということではないですか。^^;
お礼
あぁ えぇ ワイドショウのごとしですね。はこぶるさんも 読んでいらっしゃるのですか。――あっ ご回答をありがとうございます。―― つまり考えてみればわざわざこのような質問を挙げましたのは 今回は《放っておけばよいのだけれど・・・》とか《基本は無視しています》というのが多いように感じたもので それらとの間合いを測っておきたい。と思いました。(それは けっきょく つねに間合いは測るということでしょうけれど)。 ★ まあ、ワイドショウとはいえ話題に取り上げてもらえるだけ人気者ということではないですか。^^; ☆ たぶんですが はこぶるさんは 言うなれば正統派です。批判者としてと言えばよいでしょうか。やり玉には挙げ難いでしょう。 わたしの場合は いつも批判する思想や行為を一方の極として それに対する他方の極にまで振り子を振らせた上で さらにしかも輪をかけて 批判を与えるのをつねとしていますから。 いっそのこと その人たちは ほんとうに王さまになっていてくれたらよいがと思います。 昔の人たちの《無明長夜》は おれはどん底にいるといった思いを深めつつ 或る種の仕方で王さまになっていました。そこから突破口を探し出したかも知れません。 なぐり書き風になってしまいましたが このままにてお礼に代えます。
補足
おぎないです。 ☆☆(趣旨説明欄) さて 質問です。(9)や(10)は 取り上げません。その吊るし上げをおこなう側のそれぞれ人間の問題です。 ☆ この(9)や(10)は 取り上げても一向に構わないし それに値するかとも思い直しました。一般性として捉えれば問題はないと思われます。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ま じっさいのところは 正直を申して 間をつなぐための質問です。間合いを測るものです。 もちろん 一応 定義を明らかにしておくことと 情況の把握をみなさんがどうおこなっているのかといった正式の質問にもなっています。 そうですね。 ふつうの吊るし上げは 相手が萎縮しないのなら 成り立っていないということですから この際関係ありません。うっすらとやはり欠席裁判のそしりはまぬかれないとも思っておりますが。 そこでこの《擬似的吊るし上げ》というのもあるそうで これにからめて問うてみました。 わたしの理解では 《何らかのきっかけで受け身の立ち場に立たされてそれでも自分の立ち位置を保持しなければならないということから 集団を成してかたちとしては普通の吊るし上げを手段としつつ力を結集する》になるのかなと考えます。 ★ いずれにしても 『擬似的吊るし上げ』は無視しても何ら問題はない と思います。 ☆ 基本的な態度として 二点あると思います。 ひとつに 吊るし上げは 正式のも擬似的なのも 無視する。仮りに損害をこうむっても その行為は無効であると規定してよく 放っておいて差し支えなく 相手はそのとき一時的にでも人間でない状態の人間存在となっていると思われます。 ひとつに それがいわゆる欠席裁判というかたちを取るのならば それは 当事者であるか第三者であるかを問わず 人間であるならば すべからく弾劾せざるべからずだと考えねばならないはずです。 そしてむろん 特定の会員を主題として誹謗中傷を表現することは 規約違反です。 それにしても そういう振る舞いを何ら心の内に返り見るところなく 哲学カテでその自己表現をすすめている人間というのは いったい何だということになりましょう。ガキのまま大人になったのか それともすでに精神錯乱に落ち入っているのか。 集団心理なんでしょうか 寛大に見てやるとすれば。 ★ 参加者は付和雷同的と思われます、これは分かります。 ありがとうございました。 もう少し間合いを測っていようとしてみます。
補足
追記します。 はこぶるさんのご見解(No.2)を読んで――お礼欄そして補足欄を書いたあと――さらに思ったことですが これは《哲学以前》だと おふたりから言われているというようにも受け取りました。 てつがく以前。 そう言えば 《虚数部》のモヤモヤ・ワールドの問題であると見られるなら 同じ趣きではあるのですが。 この哲学以前のその以前である人から 欠席裁判だと言うのなら 回答へのブロックを外せと言われました。欠席裁判に出るのは本意ではないがなどときちんと断るひと言があったなら 哲学以後になるかも知れなかったのに。 また相変わらず二階から目薬の見解も見られます。