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キリストにおける油注ぎの意味とは

キリスト教信徒です。 よく祈祷会や礼拝などで、祈りをする方が「どうか、主による油注ぎが豊かにありますように・・・・」 と言う言葉を口に出されることがあるのですが、「油注ぎ」とはいったいどういう意味なのでしょうか?

noname#139595
noname#139595

みんなの回答

  • cincinnati
  • ベストアンサー率46% (606/1293)
回答No.3

インターネットで検索してみますと昔イスラエルの王などがその地位に就くときに油を注ぐ儀式があったようです。そのような歴史が後に油を注がれた者はメシヤという概念が生まれてきたようです。また聖書は実際の行為だけでなく象徴的に言葉を用いておりますので、キリスト者にとって、油を注がれるとは何かの使命を与えられるということに通じるものだと思います。 まず、よくぞキリスト教徒になってくださったということに感謝を申し上げたいと思います。一人の人が救われると天に歓声が上がると学びました。しかし私どもクリスチャンは聖書が述べているからという理由でなく、ほかの誰でもないいま私の心の中でご質問者さんがクリスチャンだと表明されたのを読んで歓声を上げています。 さてそれでは油を注がれたのは何か神様により牧師や宣教師やその他の教会の指導者になるものだけに与えられたのでしょうかと考えます。油を注がれるという言葉の意味は今や私ども一人ひとりのクリスチャンにも適用されていると考えるべきではないかと思います。つまり私どもがクリスチャンになった瞬間に実は油を注がれて、ある人にとっては自分のすべきことや人生の目標やはっきりしたり、ご自分の生きる理由がわかったりするのではないかと思います。(私の場合はその瞬間、ただ歓喜、歓喜でしたので、その後牧師にも宣教師にもならず、自分の目標がはっきりしたわけでもございません。ただその瞬間から、人生とは何ぞやとか私は何者なのだなどと尋ねる必要性を感じなくなりました。幸福感でいっぱいだからだと思います。) これからも一人でも多くの方が油を注がれて幸いな日々を送ることができるように、質問者さんとともに少しでも人々の役にたてるようなりたいものです。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

メシア。 この単語をヘブライ語で<油を注がれた人>という意味を持ちますが、ギリシャ語(コイネー)にはその概念のある単語は無かったので、翻訳されたとき、ギリシャ語で救世主を意味するキリストとしたので、メシアの概念が救世主となってしまったのです。 で、油を注がれた人とは何かというと、油を塗られた人ってことです。 大祭司も就任の儀式か何かの時、油を塗られていたのだそうです。 <頭>に。 で、これは、古代のインド方面の宗教儀式だったそうです。 女神に選ばれた男が、女神の地上の体現者と結ばれる(性交をする)際に、女性にナニを挿入しやすいように、チンコに油を塗っていたのだそうです。 ><; 女神に選ばれた男ということで、油を塗られた者となっていた。 その宗教派閥の人が、後にパレスチナと呼ばれるところに移住してきて、隠遁生活をしていたが、そのスタイルを真似て仲間で集まって生活をしていた人たちが、ナザレと呼ばれており、その人たちが住む地域がやがてナザレの町となったらしいです。 ですから 旧約聖書にはナザレという町の名前が出てこないのだとか。 で、宗教スタイルも影響を受けて、油を塗られた者も移植されたのですが、神によって選ばれた男という概念が取り込まれ、頭に塗るようになったのだそうです。 ヨーロッパのどこだったか忘れましたが、大都市の地下を都市計画かなにかで工事のため彫っていたら、地下に大きな岩が祭ってあったのだそうです。 「おお 本当にペトロに岩の上に町が作られとる」とびっくりしたらしいですが、これは古代からの概念で、ペトロ あるいはぺトラというのは岩の意味で、男根岩崇拝があったんです。 たくさん子供を持っている男は、女神から祝福を受けて子沢山という考えがあったので、岩を男のナニとしあがめていたんです。 古代の遺跡住居跡から 土偶みたいなのがたくさんでてきて、クビから下は人間なのですが頭だけチンコの形・・・・ 男岩崇拝の証ですね。 そういうわけで、油を塗られたものは、もともと女神から選ばれたのでたくさんの子供を恵みとして与えられた男 という概念があって、それが選ばれた男は油を塗られるとなり、油を塗られたもの=メシア と呼ばれるようになり、女神崇拝が紀元前3500年頃で終わりを迎え、男神崇拝に変わっていって、名残そして男神から選ばれた男ってのが、メシアとなり、大祭司になると儀式として頭に油を塗っていたのだそうです。 もちろん ユダヤ教は一夫多妻だったので、大祭司はたくさんの妻を持っていて、当然子供も多かったわけです。 逆に 結婚をしたのに子供に恵まれなかったら、神から呪われた者とされたので、祭司になったのに結婚後子供ができなかったら、大祭司にはなれないってことですね。 神との契約で神から祝福をもらったものは、子沢山となったと書かれている。 だから、神から祝福されたという意味は、神から権力をもらったとか、裕福になったとかじゃなくて、子孫が豊かになったて意味。 なぜか神から祝福されるってのが、別な意味だと勘違いされて残っていますが、聖書には明確に「祝福され子沢山となった」って書いてあります。 ただしぃ もともとは女神に愛され選ばれた、女神によって子孫をたくさん与えられた男って意味。 カッパドキアはキリスト教徒が住んでいたらしいが、、、岩を見ると「きゃ」って思う。 そこに住んでいたって、子沢山に恵まれますようにってあやかりで住んでいただけで、迫害されて住み着いたんじゃないんじゃないかと。 ちなみに彼らが移住してきたときは既に住居としてできあがっていて、先住民はクロマニヨンだったといわれています。 キリスト教徒がクロマニヨンを殺して住居を奪ったのではなく、既に廃墟だったらしいですが、、、 クロマニヨンも、この岩の形が気に入って子沢山を願ってあやかって住んでいたんでしょうかね。 http://www.wallpaperlink.com/bin/0709/03888.html これが油を注がれた者の御神体? ぺトラ神殿にこれと同じものがあったのかはわかりませんが、、、 ぺトラ(ペトロ)と名前がついているし、あの地方にも男根岩崇拝はあったそうです。 あ、、こっちは女陰のほうですね。 ダビンチ:「結局 男岩崇拝 性交崇拝じゃないか」 http://ameblo.jp/sonosono159/theme-10020787262.html って言わんばかりの絵画ですね。

回答No.1

 んー・・・ユダヤの始祖アブラハムさんが 神に感謝する際に香油を注いだ事に由来して いるのでは(酔汗)

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