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お祓いについて(霊関連)
前置きになりますが、霊関連を否定されている方は回答をご遠慮いただきますようお願いします。 本題です。あることがきっかけで心霊写真が日を渡って撮れてしまうようになりました。 金銭等の絡みのない知人数人から「生き霊だ」と同じ指摘を受け、お祓いをしたほうがいいとのアドバイスを受けました。 思い当たることもあり、実際 写真が撮れ始めたころから、いくつもの問題も起き始めました。 ただお祓いといってもどこへ行ったらいいのか検討もつきません。 残念なことに悪質なものも多々あるのが現実… お祓いはどのように、またどこへ行ったら良いのでしょうか。是非アドバイスをお願いします。 当方、神奈川在住で、車での移動は可能です。 もし写真を鑑定できる方(写真から何かを読み取れる方)がいらっしゃいたしたらアップも可能です。 どうぞ、宜しくお願いいたします。
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- 吉田 千祐(@y-chihiro)
- ベストアンサー率34% (14/41)
こんにちは、もし僕で良ければ少しは力になれるかも知れません、良ければ写真を一度拝見させて下さい
まず、その霊の人の真実を考えてみて下さい。 その霊の人の心が大きく、高く、強く、広ければ、何の心配も要りません。 また、その霊の人の心が弱く、小さく、狭く、低ければ、その霊の人は真実、臆病者であり、小心者であり、泣き虫で、べそかきで、気が弱く、弱気な人であるということが真実なのです。そして、その霊の人にも優しさや思いやり、理性がやっぱりあるのです。だから、何の心配も要りません。その霊の人は悪魔でも、化け物でも、邪霊でも、モンスターでもないのです。気が弱く、優しさも理性も持っている人なのです。悪魔や化け物、邪霊、モンスターなど本当は実在しないのです。気が弱く、優しさも理性も持っている人に、そのようなレッテルを張っているだけにすぎません。 幸せは、あなたの心の外ではなくて、あなたの心の中にあると思います。困難や苦難を、自分を傷つけ苦しめる嫌なことと、そう捉えることも決していけないとは思いません。でも、それが唯一絶対のものの見方ではないと思うのです。別のものの見方もあっていいと思いますし、また出来ると思います。例えば、困難や苦難は、僕の魂を成長させるチャンスなんだと。そういうものの見方もあっていいと思うのです。ようし、僕の魂を成長させるぞ! と。 また、相手を嫌な奴、恐ろしい奴と、そう捉えることも決していけないとは思いません。でも、それが唯一絶対のものの見方ではないと思うのです。別のものの見方もあっていいと思いますし、また出来ると思います。例えば、相手は、僕に魂を成長させるチャンスをくれている大切な人なんだと。そういうものの見方もあっていいと思うのです。 このように心のあり方を努力していくと、あなたの心の中で、困難や苦難が魂を成長させるチャンスへと変わっていき、嫌な奴や恐ろしい人が大切な人へと変わっていきます。そうすると、あなたのまわりには魂を成長させるチャンスと大切な人たちであふれかえると思います。 幸せは、あなたの心の外ではなくて、あなたの心の内にあると思います。僕は一生懸命頑張って、心の修養をしています。あなたも心の修養を頑張ってみて下さい。
- burahuman
- ベストアンサー率27% (167/604)
本気で心配しているようですからそれ以上大きな悩みを抱えれば心霊写真など気にならなくなります。 手っ取り早いのは町金で借金して“霊能者”に50万円ほど貢いでみれば次から次へと霊だ悪霊だお祓いだと請求されますからあっという間に数百万円もの借金地獄。 その苦しみから比べれば心霊写真など全く問題になりません。 お試しあれ。 参考までに心霊写真を否定はしませんが心霊写真を鑑定するだのお祓いだの言う人は全く信用できませんがそれでも良いなら被害者になってください。
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
自分は見えるとかいう人の言うことは聞かない方がいいですよ。まず殆どはデタラメですから。 また真の霊能者は金銭を受けないというのも嘘です。 確かに金銭に関係なく霊能を発揮する人も居ますが、そういう人は相手に伝える事を殆どしませんし、多くの場合、自分ではなくても寺社などに金銭を差し出すようにさせるはずです。それは金銭の役割を理解しているからで、「真の霊能者は金銭を受けない」と言っているのは、逆にその人が金銭を“金儲けの手段”としか見ていないからです。 本来、霊能は誰にでもある能力ですが、人間は進化の過程で、他の感覚の発達とともに退化してしまっただけです。なので、たまに霊能が戻る人が居ますが気にする必要は無いのです。 でも、写るのは嫌ですよね。私もせっかくの記念写真を何枚もだめにした事があります。 心霊写真が撮れる原因は幾つかあります。でも全てを異常事態だ、御祓いしなきゃいけないと思うのは大間違いで、それこそ売名行為の霊能業者やマスコミによる煽りでしかありません。 ・霊というと特殊なもののように感じますが、私達は肉体を持った霊であり、生霊とは私たち自身のことです。 よく生霊が怖いと言いますが、親の愛情、友情、これらも生霊の業です。喩えるなら、ドラマ「げげげの女房」で水木茂が戦地で死に掛けたとき、両親の必至の呼びかけで助かった。茂は両親の声を聞いたという場面がありますが、コレがまさに生霊の業なんです。 死霊といいますが、死とは肉体を離れ本来の姿に戻るだけ。 この経過には、西洋型の天国に行ってしまうという考えと日本のように自由に行き来するという考え、一部霊研究をしている人達のように根本の魂と霊世界も現世も繋がっているという考えなどがあります。江原さんは英国のこの研修所(学校?)の出身だそうです(自称で、未確認ですが)。 後の二つの考え方では、この世にも普通に霊がいておかしくないわけで、街中で写真を撮ったら通行人が写ったのと同じように霊が写りこんでいるだけです。ただ、霊の波長では通常は写真に写りませんが、たまたま貴方の波長が霊をカメラとを同調させ易い波長を持っているということなのです。 この場合は通行人と同じく、殆どの場合目線はそっぽを向いています。なので霊の目線が訴えかけて居なければそのままでも捨てても構いません。 ・もう一つの場合、霊自身は浄化したいが、それは生きている人の手を借りなければ浮かばれないという事があります。 この場合は霊はこちらを向いていますし、心を落ち着かせて見ると訴えかけが伝わってくるはずです。なので、近所の神社かお寺に行って、賽銭を上げ、浮かばれますようにと祈ってください。その後の写真は捨てても何しても構いません。 先ほど霊能者は金銭を受け取るか寺社に捧げると書きました。 お札は別名「兌換券」といいます。「兌」は悦ぶと同字です。つまり悦びに換えるものという意味なんです。また金銭は水と同じで流通させなければ腐ります。つまり金銭は「得て喜びを入手する権利を得る」「出す事によって悦びを得る」というものなんです。 更に仏教では布施という徳を与える行為があり、この一つが「財施」という金銭を別ち与えるという行為があります。寺社に金銭を捧げて徳を得、その徳を他人(死者を含む)に与える事によって巡り巡って更に大きな徳となって戻ってくるという考え方です。 だから、真の霊能者は、当然その仕組も理解・或いは体得して居るはずなので、きちんと金銭を受け取るか、寺社に捧げろというはずなのです。 ・マスコミや霊能業者の主張するような、取り憑いて悪さをするという霊は、実際にはあまり居ませんし、居る場合も相手を特定せず、誰にでも接したものに悪さをします。自分だけが悪さをされるというのは、自分に原因があるか、似たような素質(因縁)を持っている場合に限ります。 この場合は根本的解決は、自分自身の性格や生き方、ものの考え方を改める事です。 何か問題が起きたという場合や人から相談されるという事は自分自身に尾同じ問題を発生する要素があるという事です。なので、その問題を真剣に取り組んで解決し、それを教訓とすれば自然と離れる事が出来ます。 解決するまでは神仏の加護にすがればいいのです。 急に写る(見える場合も同じ)ようになったのは、自分の体質が変ったからです。 つまり体質を変えれば見えなくなる(写らなくなる)簡単な場合は、カメラを変えただけで写らなくなることもあります。 それには第一に、受け流す事。写っても通行人や動物が写りこんだのと同じように考えれば気にしないで居られるはずです。 「どうしようか」とか気にしている間は、そこに精神を集中させてしまうので、体質は変えにくいものです。 また、アルとき急に写らなくなるという場合も無いではありません。 自分の心の中で、どこかで御祓いを受けたいと思うなら、心に従うのがいいでしょうね。 第一は天台宗や真言宗の密教寺院です。 第二は密教系の神社や山岳信仰です。山王神社が主なものですが、現代ではその全てが密教系を伝承している訳ではないです。関東で山岳信仰で大きいのは御嶽山と月山でしょう。 密教や山岳信仰・修験道ではないですが、古い仏教も修験を行なうものでは同じような事をします。 第三が修験者や陰陽道・民間信仰によるものです・・・でもこれは胡散臭いものも山ほどあります。 神奈川なら、お大師さんが多くあると思います。 実は神道(これは神社本庁所属の神社神道を言います)の御祓いは、心霊写真などを祓うというのとは意味が違うんです。だから普通の神社で受けるよりは、元々邪気祓いの加持祈祷などを行なってきたお寺の方が専門なんです。 でも全てがやってくれるとは限りません。まずは電話なりで問い合わせしてください。 お金をかけたくないのであれば、まずは参拝、その後、写真の霊の成仏を念じながら家内安全などの御札を頂き、一緒に重ねて祀り、一年間供養をして、御札はお寺にもって行って供養し、写真はその後に捨てればよろしいです。 御札は汎用のものですが、選ぶ前に念を込めて選べば大丈夫です。 御札の祀り方は頂いたときに聞いてください。成田山新勝寺のサイトにも一例が掲載されていると思います。
- pokkorinnk
- ベストアンサー率50% (784/1556)
ココが結構有名です http://butsuganji-yokohama.or.jp/kojin/ okwaveの過去質にも載っています
- AVENGER
- ベストアンサー率21% (2219/10376)
>お祓いといってもどこへ行ったらいいのか検討もつきません。 どこでも好きな所へ行けばいい。それで気がすむのなら。