• ベストアンサー

ミリタリー、 軍用語の英訳

下記の言葉の英訳をお願いします。 "第一師団 歩兵第四連隊 第三中隊 所属" 単語は分かるのですが師団、連隊、中隊の語順や前置詞の有無などが分かりません。 division 師団 regiment 連隊 company 中隊 また、実際に使用されているweb上の文章などがあれば、あわせて教えてください。 よろしくお願いします。

  • 英語
  • 回答数2
  • ありがとう数2

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • drmuraberg
  • ベストアンサー率71% (847/1183)
回答No.2

通常は the 3rd Company, 4th infantry Regiment, 1st Division の様に、最初に来るユニットは定冠詞付きで、以降のユニットは無冠詞です。 冗長さを避ける、軍隊独特の表現と思います。(infantryでもInfantryでもよいでしょう。) 話が師団を中心に展開しているような場合は、逆順の表記も見られます。 the 1st Division, 4th infantry Regiment, 3rd Company です。 冠詞に付いては、次のような用例も有ります。 the 3rd Company of the 4th infantry Regiment,..... Zawahiri (=the 3rd) Company, 4th infantry Regiment,.... 日本の軍隊に関する訳なら、師団から始まる表記がそれらしくて良いような気がします。 「所属」は難しい問題です。 assign は「配属」というニュアンスで、将校XはY中隊に配属された・・という感じです。 belong はX中隊はY連隊に属しというニュアンスです。 affiliate は傘下に置くと言う感じで、ニュアンスは判りません。 結局「所属」に関する表現はbe動詞かserveからくるserviceが使われている様です。 ネット辞書からの用例です。 11.軍務{ぐんむ}、兵役{へいえき}、〔陸・海・空のいずれかの〕軍隊{ぐんたい} ・Which branch of the service was your father in? : 君のお父さんはどの軍に所属されていたのですか? 国と時代によって異なる色々な表現が有り、これはと言うサイトは見つかりませんでした。 Private Ryan の検索は無駄骨でした。

zawahiri
質問者

お礼

詳細な説明ありがとうございます。大変分かりやすく勉強になりました。 感謝します。

その他の回答 (1)

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

Assigned to the 3rd Company, the 4th Infantry Regiment, the 1st Division. とも。

zawahiri
質問者

お礼

ありがとうございます。いろいろな表現があるのですね。役立たせてもらいました。

関連するQ&A

  • 日本陸軍の「歩兵団」の設置理由について

     日本陸軍が師団制を導入してしばらくは、四単位師団の編制が取られていました。すなわち、師団は4つの歩兵連隊を保有し、それを2個連隊づつ旅団にまとめて、2人の旅団長が指揮し、師団長はこの2個旅団を統括指揮するという編制です。  その後、三単位師団への改編が進み、師団に所属する連隊は3つとなったわけですが、ここでよくわからないのは、旅団の代わりに師団内の3個歩兵連隊を統括指揮する「歩兵団」が設置されていることです。  師団内に4つの連隊があれば、旅団という結節点を設けて運用するのが師団長の負担軽減の意味もあって効率的かもしれませんが、3つであれば、師団長が直接連隊を指揮してもあまり支障はないのではないでしょうか?  師団の基幹兵力である3個連隊の指揮権を歩兵団長におろしてしまったら、実際の戦闘の主務者は歩兵団長ということになり、師団長の存在意義が希薄になってしまうような気がします。師団長は歩兵団長を経由してしか各連隊を指揮できず、歩兵連隊のみに歩兵団という中二階があるので、師団内の他の部隊(砲兵等)との連携がうまくいくのかも疑問です。組織論としてもむやみに結節点を増やすことは、運用や指揮命令系統の複雑化やあいまいさを招き、プラスではないと思います。  せっかく三単位師団にしたのに、わざわざ歩兵団長ポストを新設した理由については、 1.旅団の廃止によって生じる少将クラスのポスト確保のために無理やり作った。 2.軍団編成を持たない日本陸軍において、歩兵団長に事実上の師団長的役割を与え、師団長はその支援部隊指揮と上級司令部との結節点である軍団長的役割を与えるようにして、欧米陸軍の運用の仕方を実質的に取り入れようとした。(実際に軍団制を取り入れ、師団長を少将ポストにする制度変更を実施しようとしても、さまざまに困難があるので、事実上の扱いとして性格分けを図った) のどちらかかなと思っているのですが、詳しい方ご教示ください。

  • 日本陸軍30代師団

    日本陸軍30代師団について、素朴な疑問です。 師団番号は、何故32からなのでしょうか? また、所属歩兵連隊番号は、何故210からなのでしょうか? 201~209連隊は、どこいっちゃったのでしょうか? また、何故編成されなかったのでしょうか? 201~209の欠番連隊は、師団3コ分だから、同様な編制、装備で3コ師団の編成予定があったのでしょうか? また、201~209連隊で師団編成予定があったなら、師団番号は何の予定だったのでしょうか? 更に、編成地は、どこが担当だったのでしょうか? 教えて下さい。 防衛研究所行けは、お断り。

  • 日本陸軍30代師団

    日本陸軍30代師団 日本陸軍30代師団について、素朴な疑問です。 師団番号は、何故32からなのでしょうか? また、所属歩兵連隊番号は、何故、他の30代師団と同様時期に編制されず、210からなのでしょうか? 201~209連隊は、どこいっちゃったのでしょうか? また、何故、編成されなかったのでしょうか? 201~209の欠番連隊は、師団3コ分だから、同様な編制、装備で3コ師団の編成予定があったのでしょうか? また、201~209連隊で師団編成予定があったなら、師団番号は何の予定だったのでしょうか? 更に、編成地は、どこが担当だったのでしょうか? 教えて下さい。 戦史叢書は読みました。 防衛研究所行けは、お断り。

  • 『昭和陸軍の独立歩兵団』

    昭和15年頃から、常設師団の満洲永駐化と、師団3単位化に伴い、 50代師団と独立歩兵団が新設されました。 その内、第61~67の独立歩兵団は、 師団3単位化の余剰施設(甲府、佐倉、東京赤坂、札幌、豊橋、福知山、鯖江、奈良、篠山、松山、松江、福山、大分、小倉、) 大正軍縮から保管管理していた施設(高田、村松、佐賀) 他兵種等の空施設(騎兵第4旅団の盛岡の2つ)、 その他新設の施設(溝の口、郡山、加古川)を使い編成されました。 同時に、 東京麻布の第3連隊の跡地は、近衛歩兵第5連隊が新設され。 青森第5連隊の跡地は、電信第4連隊が新設されました。 札幌第25連隊は、上敷香に移駐(跡地は新編成の歩兵第125連隊新設に)。 そして、これら独立歩兵団の設置で、従来の師管の概念が崩れ、 更に上級司令部として軍管区が設置された。 50代師団と、独立歩兵団は、 予備役兵その他の短期急速訓練を繰返し実施する目的とした編成内容とされ、 平時2コ大隊編成で、動員の際に3コ大隊となる様になっていた。 以上は、分かっています。 (1)独立歩兵団の各歩兵連隊の徴募は、どの様にされたのでしょうか? 単純にその地域の旧連隊区より徴募されたのでしょうか? それとも、師管区、軍管区? (2)どの様な基準で、郷土師団と独立歩兵団に振り分けたのでしょうか? (3)また気になるのは、第65歩兵団を動員した第65旅団は、旅団長の奈良中将のセリフに 『第65旅団は老兵』とあります。 独立歩兵団=老兵だったのでしょうか? 所属の第141連隊(福山)は、資料により昭和16年8月に予備役を動員して編成されています。 (予備役100%なのか?現役比率は分かりません) 同じく第142連隊(松江)は、同日編成されていますが、現役予備役の編成方法は不明です。 第122連隊(松山)は、昭和15年8月の早い時期に編成されています。 開戦直前に兵を入れ替えたのでしょうか? どういう動員計画だったのでしょうか? どんな事での良いです。 教えて下さい。 戦史叢書読みました。 アジ歴も探しました。 防衛研究所行きは、ご勘弁。 どんな事でも良いです。 よろしくお願いします。

  • 日本陸軍、日露戦争時の後備歩兵連隊 教えて下さい

    太平洋戦争終戦時、皇居には返納された57流の歩兵連隊の軍旗が、あったと 言われています。 その中には後備歩兵連隊旗も含まれます。 後備歩兵連隊旗は、日露戦争が終結後、そのナンバーの歩兵連隊司令部に一緒に 保管されていた。 演習に一部が再出動したりしたが、演習終了後また返納保管された。 その後は、増強計画(平時25コ師団、戦時50コ師団計画)で、特設師団を編成 する方法に変わり、後備連隊旗は用済みとなり、皇居返納。 皇居の櫓倉庫に保管された。 57流うち後備歩兵以外の物としては、 乃木大将の少佐時代に、紛失によりダブって再親授されてしまった歩兵第13連 隊旗。 動員された特設第101師団復員後に、再編成されなかった歩兵第103連隊旗。 南海第1守備隊に改編された歩兵第122連隊旗。 歩兵第88連隊に改編された独立歩兵第1連隊旗 引き算すると、歩兵連隊旗は53流。 (その他としては、搜索連隊、機動歩兵連隊に改編されたり、廃止されて、返納 された騎兵連隊旗もあった) これら全ては、終戦時に侍従武官によりこっそり奉焼された。 調べて分かっていること事は・・・ ・後備歩兵連隊は、第1次~第3次に別れて編成された。 ・第1次は、各連隊番号を継承し、2コ大隊編成。 ・第2次の連隊番号は49~60で、兵役法変更により捻出された高齢後備兵中心で 編成された。 第2次は、最初から3コ大隊編成で、各編成地は各師管各1コ、例外は、旭川師 管は0、東京師管2コであった。 ・第1次の内、野戦軍に配属され、兵力不足で第一線に立たされた後備歩兵連隊 は、戦史から、編成、補充担任は分かっている。 ・しかし、韓国守備軍や、遼東守備軍に配属された独立配備の後備歩兵連隊は、 資料が見当たらず、戦歴、番号すら分らない物が多い。 ・各師管で、合わせて3コ後備歩兵連隊しか編成されなかった、とする資料もあ るが、別の資料を精査した結果、 最初から4コ後備歩兵連隊を編成し、2、3コ連隊を後備歩兵第〇旅団として大 陸に送り 1、2コ後備歩兵連隊は、独立して要地、要塞守備に配置された師管もある。 (東京師管の後備第2、3連隊は、動員計画通り、後備第1旅団に組み込まれず 、東京湾要塞に 配置された) (熊本師管の後備第45連隊は、対馬警備にあたった。その後大陸に進出してい る) (小倉師管の後備第46連隊は、長崎、佐世保要塞に配置された。) (小倉師管の後備第24連隊は、下関要塞配置) ・各師管区は当初から3コ連隊しか編成しなかった師管もあるが、第3次兵備で 、あとから4コ目の連隊を編成している師管もあるらしい ・連隊とは、名ばかりで、1ヶ大隊の連隊も存在するらしい。 ・戦争前動員計画で、後備歩兵は、独立大隊の編成計画の資料はあるが、連隊編 成計画のものはない。 この後備歩兵独立大隊の動員計画が、修正されて後備歩兵連隊の編成になった様 だ。 連隊旗を持たせて、団結心を高めたのであろうか? ・旭川師管は、後備歩兵第25連隊を編成している。 それは、師管内の4コ連隊区で、それぞれ精一杯編成した1コ大隊、計4コの内 の 3コを集成して、第3次兵備として連隊を編成して大陸に送っている。 (残り1コ大隊は分散して、暴動のあった室蘭、その他要地警備にあたった様だ ) ・近衛は、近衛後備第4連隊を編成し、独立して大陸の兵站警備にあたっている 。近衛後備第3は、資料が見当たらない。もしかしたら禁闕守護? (後備近衛1コ中隊が、伊勢神宮警備を、現役の歩兵第33連隊と交代したとす る資料がある) ・奉天会戦後に、後備歩兵旅団は、一部を除き後備混成旅団に改編されている。 ・旅順要塞戦で大量の兵員を失い、全ての後備兵を動員しても、自己師管では本 体師団の定員すら確保できず、陸軍省に師管を越えての下士官兵の補充を求めて いた第9師管と、第11師管の新編成は、かなり難しいと考えられる。 以上が分かっています。 57から4引いた残り53流の連隊旗から逆算すると、1コ以上の後備歩兵連隊が 、常備歩兵連隊数より多く編成されていることと推定される。 そのナンバーは不明。 質問は、 (1)第3次の後備歩兵連隊の編成状況、編成地。 (2)どのナンバーの後備歩兵連隊が編成され、 独立して要地要塞守備、韓国守備軍、遼東守備軍のどこに配置されたか? その任務、戦歴について。 (3)常備歩兵連隊より多く編成したと推定される、後備歩兵連隊のナンバーと編 成地。 (もしかしたら、後備歩兵ではないかも?その後の世代の常設、特設かも) 以上、何でも良いです。 教えて下さい。 戦史叢書読みました。 明治天皇記読みました。 アジ歴も探しました。 防衛研究所行きは、ご勘弁。 何でも良いです。 思い当たること、よろしくお願いします。

  • 日露戦争の『後備歩兵連隊』

    日露戦争の後備歩兵連隊について教えて下さい。 長々スミマセンが、是非読んで下さい。 太平洋戦争終戦時、皇居には57流の歩兵連隊の軍旗がありました。 その内には後備歩兵連隊旗も含まれます。 後備歩兵連隊旗は、日露戦争が終結後、そのナンバーの歩兵連隊に一緒に保管さ れ、演習に一部が再出動されて、演習終了後また返納保管された。 その後、陸軍増強計画(戦時50コ師団計画)で編成方法が変わり、特設師団を 編成する計画になりました。 後備連隊旗は用済みとなり、皇居返納。 皇居の櫓倉庫に保管されました。 太平洋戦争終戦時、皇居の倉庫に保管されていた歩兵連隊旗は、全部で57流( これは分かっています)。 このうち後備歩兵以外の物としては、乃木大将の少佐時代の再親授されてしまっ た歩兵第13連隊旗、特設師団動員復員後に再編成されなかった歩兵第103連隊、 南海第1守備隊に改編された歩兵第122連隊。歩兵第88連隊に改編された独立歩 兵第1連隊旗 引き算すると、後備歩兵連隊旗は、53流。 (その他としては、搜索連隊、機動歩兵連隊に改編等で返納された騎兵連隊旗。 ) これらは、終戦時、侍従武官により、こっそり奉焼された。 調べて分かっていること事は・・・ ・後備歩兵連隊は、第1次~第3次に別れて編成された。 ・第1次は、各連隊番号を継承し、2コ大隊編成。奉天会戦後3コに改編そして 後備混成旅団に。 ・第2次の連隊番号は49~60で、兵役法変更により捻出された後備兵で編成され 、最初から3コ大隊編成だが、各編成地は、各師管各1コの他は、東京師管が2 コと、旭川師管は0であった ・第1次の内、野戦軍に配属され、当初後方警備、その後、兵力不足で第一線に 配属された後備歩兵連隊は、編成、補充担任は戦史から分かっている。 ・しかし、韓国守備軍や、遼東守備軍に配属された独立配備の後備歩兵連隊は、 資料が見当たらず、戦歴、番号すら分らない物が多い。 ・各師管で合わせて3コ後備歩兵連隊しか編成されなかったとする資料もあるが 、別の資料を発見した結果、最初から4コ後備歩兵連隊を編成し、2、3コ連隊 を後備歩兵第旅団として、大陸に送り、1、2コは独立して要地、要塞守備に 配属された師管もある (東京師管の後備第2、3連隊は、後備第1旅団に組み込まれず、東京湾要塞に 配属された) (熊本師管の後備第45連隊は、対馬警備にあたった。その後大陸に進出してい る) (小倉師管の後備第46連隊は、長崎、佐世保要塞に配属された。) (小倉師管の後備第24連隊は、下関要塞配属) ・各師管区は当初3コ連隊しか編成しなかった師管もあるが、第3次兵備で4コ目 の連隊を編成している師管もある。 ・連隊とは、名ばかりで、1ヶ大隊の連隊も存在するらしい。 (戦争前動員計画で、後備歩兵独立大隊ばかりの編成とする資料にある物が、 それかもしれない) ・旭川師管は、後備歩兵第25連隊を編成している。 (それは、師管内の4コ連隊区で精一杯編成した各1コ大隊の内、3コを集成して、 第3次兵備として連隊を編成して大陸に送っている ・近衛は、近衛後備第4連隊を編成し、独立して大陸の兵站警備にあたっている 。 (第3は、資料が見当たらない。もしかしたら禁闕守衛かもしれない) (または、天皇家の神宮等に分散され守護?、後備近衛1コ中隊が、伊勢神宮守 護を、後備33歩兵連隊と交代しているとの資料も発見した) 以上が分かっています。 53流の連隊旗から逆算すると、常設番号の内、編成不可能な第7師管分を除い て、多分5~9の後備歩兵連隊が編成されていない事になります。 そのナンバーは不明。 一部は、明治天皇記から、宮中の軍旗授与式の日付より、後備歩兵連隊名を調べ ました。 質問は、 (1)第3次の後備歩兵連隊の編成状況、編成地、 (2)どの後備歩兵連隊が編成され、独立して要塞守備、韓国守備軍、遼東守備軍 に配属されたか? (3)知られていない、独立して要塞守備、韓国守備軍、遼東守備軍に配属された 、後備歩兵連隊の戦歴について。 (4)編成されていない、後備歩兵連隊のナンバー。 以上、何でも良いです。 教えて下さい。 戦史叢書読みました。 明治天皇記読みました。 アジ歴も探しました。 防衛研究所行きは、ご勘弁。 何でも良いです。 思い当たること、よろしくお願いします。 よろしくお願い致します

  • 後備歩兵連隊

    日露戦争の後備歩兵連隊について調べています。 全部で57流の軍旗が授与され、日露戦争後全て皇居に返納されました。 その後、演習に一部が再親授されて、また返納されました。 その後、陸軍の特設師団を編成する計画になり、、後備連隊旗は用済みとなり、皇居の櫓倉庫に保管されました。 終戦時、皇居の倉庫に保管されていたのは、この後備57流と、再発見されてダブった乃木の2流目の第14連隊旗、再動員されなかった第103連隊旗の計59流。 これらは、終戦時、侍従武官により、こっそり奉焼された。 確定している事は・・・ ・後備歩兵連隊は、第1次~第3次に別れて編成された。 ・第2次の番号は49~60で、兵役法変更により捻出された後備兵で編成され最初から3コ大隊編成だが、各編成地、補充担任が分らない。 ・第1次の野戦軍に配属された、後備歩兵連隊は、編成、補充担任は分かっている。 ・しかし、韓国守備軍や、遼東守備軍に配属された独立配備の後備歩兵連隊は、資料が見当たらず、番号すら分らない。 ・中には、最初から4コ後備連隊を編成し、3コを後備歩兵第旅団として、大陸に送り、4コ目は独立して要塞守備に配属された師管もある。 ・後備第3連隊は、編成されなかったのでは無く、後備歩兵第1旅団に所属しなかったが、横須賀要塞に配属された。 ・各師管区は3コ連隊しか編成しなかったのでは無く、4コ目の連隊を第1次か第3次として編成しているらしい。 ・旭川師団は、後備歩兵第25連隊を編成している。 ・中には、連隊とは名ばかりで1コ大隊の物も存在した。 以上が分かっています。 一部は、明治天皇記から、宮中の軍旗授与式の日付、後備歩兵連隊名を調べました。 質問は、 (1)第1次~第3次の後備歩兵連隊の編成状況、編成地、 (どの後備歩兵連隊が編成され、独立して要塞守備、韓国守備軍、遼東守備軍に配属されたか?) あまり知られていない、独立して配属された、後備歩兵連隊について。 (2)そして、第2次後備歩兵連隊の編成地。 教えて下さい。 戦史叢書読みました。 明治天皇記読みました。 防衛研究所行きは、お断り。・

  • 教えてください!「マスコット人形付きの携帯」の英訳

    こんばんわ。基本的な質問で申し訳ございませんが教えてください。携帯電話にかわいいマスコット人形をつけている人たちがいますが、あの「マスコット人形が付いている携帯」はどのように英訳されるのですか?「マスコット人形」の英訳と「~付き」の部分をどのように訳してよいのかわかりません。特に「~付き」のところはattachのような単語を使わずに、前置詞でどうにかできないものかと色々考えてみましたが、わかりません。どうぞ、よろしくお願いいたします。

  • 英訳

    個人的なことで良いことがありました。というのを英訳してください。 I have had a good thing on my private matter。・with my personal ではおかしいですか? 個人的はどの単語を使うのが一般的なのでしょう か?また、自分自身にとってうれしいことと表現したいのにMATTER を使ってよいのでしょうか?前置詞はWITH ON OF???? よろしくお願いいたします。

  • 自動詞の run について

    英語初学者です。 たとえば、「あなたは100mを走ることができますか?」という和文を英訳すれば、 Can you run one hundred meters? となるようです。 また、「彼は2マイル走った」という和文を英訳すれば、 He ran two miles. となるようです。 runは自動詞であり、どうして"one hundred meters"や"two miles"の前に前置詞が付かないのか、それを理解することができないのです。辞書や参考書、Web等をいろいろ調べてみたのですが、どうにもこの点を理解することができません。 大変お手数をおかけしますが、英語初学者の私に、何故これらの語句の前に前置詞が付かないのかをご教示頂けないでしょうか?どうぞよろしくお願いいたします。