• ベストアンサー

バルバロッサ作戦で日本軍は・・

こんにちは 歴史勉強してて凄く疑問なんですが ドイツVSソ連のバルバロッサ作戦において 赤軍最強軍はVS日本のため温存されててその軍団が 日本参戦なしとわかりVSドイツとモスクワ台風作戦で 導入されドイツはモスクワ攻略できなかったみたいなんですが この場合あの機械化されたドイツ軍より当時の日本軍は 強かったのでしょうか? 戦闘機の性能などでは欧米以上みたいなのですが もしバルバロッサか台風作戦に日本が参加してたら どうなったか想定でどなたか歴史に詳しいかた教えてください おねがいします

  • 歴史
  • 回答数5
  • ありがとう数13

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kawakawa
  • ベストアンサー率41% (1452/3497)
回答No.3

当時の日本軍の戦車は中国大陸での歩兵を対象としていたものであり、大砲も口径が小さく、装甲も機関銃を防ぐ程度のものにすぎませんでした。 ですから、T型戦車1台で日本軍戦車1大隊が壊滅となったでしょうネ。 航空機を使って徹底的に機動力を叩いた後に歩兵戦に持ち込む、それも、夜戦に持ち込み、白兵戦となれば日本陸軍にも勝機があるかもしれませんが‥ ただし、当時のシンガポール戦では戦車や装甲車のイギリス軍が銀輪部隊(日本の自転車部隊)に蹴散らされて戦わずして退散したという史実もありますので、戦意喪失した方の負けとなるという、未知数的なファクターもあることは否定できませんネ。 ところで、世界各地では現在でも大規模・小規模を問わず紛争は続いています。第二次大戦終結後は朝鮮戦争、ベトナム戦争といった大きな戦争もありましたし、中近東では連合軍側の嘘約束が原因である紛争が現在でも続いています。 ところで、先の回答の一つにある『本当に日本の敗戦は世界平和をもたらしました』という発言は非常に大きな事実誤認であり、『日本の敗戦は日本に平和をもたらしましたが、世界的な規模での完全な平和の達成は一体いつになるのか分かりません』というのが正しい見解であると考えます。 また、そもそも太平洋戦争の発端が国を死滅させるほどの経済封鎖にあったことを考えると、戦争末期の片道分の燃料というのは当然の結果だったのですネ。 以上kawakawaでした

misacyan4wd
質問者

お礼

ありがとうございます みなさんのカキコによると日本軍は弱いわけではないみたいですが 装備が悪い<弱い>みたいですねー 1台で壊滅ですか・・・ ドイツ戦車のコピーでも作ればよかったのかも知れませんね それと経済封鎖ですかなるほど いろいろ各国も事情あったのですよね当時は また教えてくださいね

その他の回答 (4)

  • gryps
  • ベストアンサー率30% (3/10)
回答No.5

こんばんわ。 日本軍が参戦していたら・・・についてですが、 別にソ連軍は、日本が強いと思っていたわけではありません。 ただ純粋に、二正面作戦を嫌っただけだと思います。 もちろん、シベリアから、ウラル山脈を越えて モスクワをドイツ軍と共同で包囲するといった絵空事ではなく、 ニ正面作戦を行うには、補給や輸送、兵力をかなり割かなくてはなりませんし、 将兵の士気にも影響してきます。 犯罪発生率が低いからといって、警察官が居なくなるわけがないのと同じ事で、 そこに軍隊が居ることで、ある程度の抑止力になっていたのも事実です。 ソ連は、旧満州も含め、大陸から日本を追い出すつもりでした。 独ソ戦時には、日ソ不可侵条約を盾にし日本軍の越境をけん制し、 ドイツ降伏後は、再三の連合国軍側からの要請にも、条約を遵守するという名目で、腰を上げなかったのは、シベリア方面に兵力を集結させ、圧倒的大兵力を持って、大陸での権益を一挙に獲得しようとした為です。 のんびり日本軍を追い出していたら、他の連合国軍から茶々をいれられますから。 電撃的な進軍で占領地域を拡大し、既成事実を作り上げる必要があったのです。 日本の参戦がないとわかってから、精鋭部隊を投入したというのは一理あるでしょうが、ドイツ軍の戦闘能力が飽和状態になったところに、精鋭部隊を投入したというほうが正しいでしょう。 if作家?の檜山良昭さんのような緻密なifで当てはめていえば、すでに多くの方が書かれていたような結果になっていたでしょうね。 さて、日本軍の装備などについてかかれた方居られますが、実際、ノモンハン事変では、ソ連軍も、かなりの死傷者を出していることが、最近の調査ではわかってきています。もちろん、戦略戦術に問題はありますが、「ノモンハン=日本軍は弱い」というわけではありません。 また、片道燃料などについて述べられた方も居られますが、片道燃料しか出さなかったのではなく、出せなかったというのが本当のところであることはご存知だと思います。大和の件にしても、徳山の重油タンクを底までさらって(通常は底にたまった燃料は備蓄量に計上しない)、それでも足りないから、松根油(松の根を絞って作った油)を使用しました。重油に比べ、引火点が低い為、多くの将兵の命を救ったそうです。特攻隊についても祖父(元パイロットで整備兵に転属)から聞いた話だと、メーターやタイヤ、その他取り替えられる部品は全て新品にし、最高の整備をして送り出したそうです。もちろん燃料も満タンにして・・・ 帰ってこないことはわかっていながら、それでもそうしてやることが当然のようにしていたそうです。 ちなみに、イタリア軍も、体当たり攻撃を専門とした部隊が編成されていました(戦果はなかったようですが)。 私たちは、戦争を知らず、はるか遠い国で行われる戦争をナイター中継のように見たり、過去の戦争を、データでしか知りません。そのことを取り上げたif小説やゲームが悪いとは言いませんが、実際にその時、その場所で戦った人々のヒューマニズムこそ本当に語り継がれるべきものではないでしょうか?

misacyan4wd
質問者

お礼

ありがとうございます 歴史には結構謎の部分が多くて 皆さんに教えていただきとても助かります 歴史ではシベリア駐留軍が赤軍最強となっており 酷寒でも平気で戦うソ連最精鋭となっており これがVS日本戦に使われず・・・ということで 疑問だったのですが・・ それとドイツ軍100万に日本軍がくわわるとどうなんでしょうか・ という疑問でただ小説のような結末だけじゃなく 考えられる結末をいろいろ皆さんに教えてもらえて とても助かりました よろしければまたおねがいします

回答No.4

またもや、仮定の戦いがお好きですね。頭の訓練にはいいでしょうが、私も知らない事ですが、参加させていただきます。  日本が参加していたら、少しは戦争が長くなったぐらいでしょうか。  しかし、それでも負けているでしょうね。 理由 1.以前にも述べました。「作戦--日本軍の考え方」で負けること。     ノモンハンで全滅は子の事件以前に肉弾戦術的な作戦で勝ち、同じ作戦を    行い、全滅したのです。以前に使った戦術を相手に読まれて、戦車を改良されている情報を得ていたにもかかわらず、戦ったこと。そのようなことは、以前の特攻隊でもいいましたね。 2. 西洋と日本との統率し方の違いでの差    西洋は捕虜になってかまはないし、上官の命令も必ずしも、絶対服従ではないし、良心に反する命令は拒否できる。上官に意見を述べることもできる。日本とは考えの違いで、指揮権や作戦行動で共同で合同の作戦が取れないと思います。   イタリアと同盟していたが、先にイタリアが降伏したときにいたイタリア人は   日本軍の捕虜となりました。イタリア人は艦と共に自滅しませんでしたが、そのようなときは日本人は自決でしょうか。人命の損傷を考えない日本軍は兵士を失うだけで、しまいには兵士がいなくなります。 3.ロシアの厳冬に耐えられるでしょうか。   いくら大和魂も食料がなくては戦えませんね。寒さに耐えられる衣料もなければ。 インパ-ル作戦も食料補給を忘れたというよりも、できなかって負けたのです。そのインパ-ルでもある部隊は、  全滅せずに助かっている部隊があるのです。指揮官が食料補給ができないことを知り、部隊を撤退させたのです。その指揮官は多分左遷されましたようにー違っていたら、すみません-読んだのですが。そのインパ-ルで負けても,上層部は責任をごまかして、責任逃れをしています。兵士には絶対服従で違反には厳罰です。軍法会議も上層部がしますから,いいかげんですね。武士としていうならば本来は指揮官は切腹ものです。-そのような方もおられますが,しかしその人達だけのことではなく,作戦した上層部が切腹ものです。まあ,切腹ばかりがいいとは思いませんが。 いまの日本の政治家と同じですね。 早々日本は敵国語といって。英語を禁止しましたので,ドイツにいってもドイツ語もわからないし,一般の兵士は困って,戦意喪失でしょうか。また外国語での情報をえても分析,使用できないでしょう,語学将校も少ないし,わかる兵士も少ないから。戦争は兵器だけの問題ではなく,情報の収集とその分析,国力(産業,経済など)、で考えなくてはなりませんね。ある部分だけの仮定はしないほうがいいと思います。頭の体操でするのもいいでしょうけれど。 以上私見です。 

参考URL:
 
misacyan4wd
質問者

お礼

ありがとうございます たまにはシュミレーションも楽しいものですよー そうですねー何故か日本は人命軽視の方向にあるみたいですねー当時は それに作戦もお粗末みたいでばたばたやられたみたいですね 敵の装備や作戦を見習うようにせんとダメってことですねー それと歴史は反省したり考えたりすると面白いでしょう 過去の戦いなどいろいろ考えるのも<みなさんの意見聞くのも>私は 楽しくて好きです また参加してください

  • cool104
  • ベストアンサー率14% (50/336)
回答No.2

日本が強かったのはアジア・オセアニアにおいてだけですので、邪魔になっただけでしょう。戦艦大和が沈没した時点で日本の敗戦は決まっていたのです。片道分の燃料しか搭載していない日本の戦闘機。本当に日本の敗戦は世界平和をもたらしました。

misacyan4wd
質問者

お礼

ありがとうございます 日本軍の戦いって過酷ですねー 片道分ですか 敵を倒して自爆? やはりヨーロッパの戦いでは邪魔なだけなんでしょうか またおねがいしますね

  • aminouchi
  • ベストアンサー率46% (376/804)
回答No.1

misacyan4wdさん、またお会いしましたね。 どうも架空のIFについて興味をおもちのようですが、基本的に歴史に 「たら、れば」はありません。純粋に選択肢が2つあって、そのどちら かを選ぶことで歴史が変わるというようなことはまずあり得ません。 と、いうことを念頭においた上でお遊びにつきあいましょう。 条件イ.第二次大戦時において、ドイツとソ連は最強の戦車を持ち、互いにし のぎをけずりながら改良を続けていた。 条件ロ.同時期の日本の戦車はなさけなくなるほど、当時の水準から遅れてい て、対歩兵戦闘程度にしか役立たない。 条件ハ.日本軍の補給能力は低く、かつ、車両を充分に保持していないために 軍の進行速度は遅い。 条件ニ.シベリアからモスクワまでは非常に遠く、かつ、ソ連の基本戦略であ る「国土の広さを活かして、相手を叩きながら後退し、補給路の伸びきった ところで逆襲する」を適用される可能性は非常に高い。 条件ホ.当時の日本兵は個々の資質においてはともかく、命令を遂行しようと いう意欲は高い。(だから死傷率が高くなる) ということで、上の条件イ~ホを考えると、満州国とソ連国境に配備されて いたソ連軍を突破することはできなかったと思われます。つまり、日本が参 加しても戦況にほとんど影響はないでしょう。 (ノモンハン事件というのをご存知でしょうか?1939年6月に日ソ両軍が衝 突して日本側が戦死だけで25000人以上出して全滅した事件です。下の URLなどにのっていますので参考にして下さい。) なお、ついでですが、前の質問のお礼にあった「毒ガスによるイラクの抑止 力」について。 100万人単位で戦死者がでた第二次大戦当時と数人~数十人の死者が出て も問題視される現代とを同一視してはいけません。popesyuさんは現代では 毒ガスなども最終兵器たる実力があると書いておられますが、これはたとえ 数人でも無差別テロ的攻撃によって一般市民の死者がでることに対するマス コミなどの非難を恐れているだけのことで、純軍事的に考えれば、抑止力に はなりえません。 歴史について疑問をおもちになることは良いことであると思いますが、その 疑問を「たら、れば」の方向に向けず、「どうしてそうなったのか」という ことを周囲の条件などを掘り下げることによって理解していただきたいと感 じております。

参考URL:
http://www1.odn.ne.jp/greiko/index.html8.htm
misacyan4wd
質問者

お礼

ありがとうございます 詳しく教えていただき助かりました でも「たら・れば」というより どうしてソ連が負けてるのに<ドイツに> なぜもっと強いアメリカに手出しちゃったか 疑問なんですよー 台風作戦の時はもうモスクワの市電のとこまで<約50k> ドイツ軍来ちゃってたいう話ですし ここでなぜ敵<アメリカ>増やしちゃうようなこと してしまうんでしょうね それが疑問で・・・ 参考なりました!<毒ガスのことまでありがとうございます> またよければおねがいします

関連するQ&A

  • ドイツ軍はタイフーン作戦を早く開始していれば、

    ドイツ軍はタイフーン作戦を早く開始していれば、モスクワを陥落させられましたか? 1941年10月より開始されたタイフーン作戦は結局失敗しましたが、この作戦を早く開始していれば成功する可能性はあったのでしょうか? 早く開始する方法として、 1.キエフを攻略せずにタイフーン作戦を開始する(約一か月早く開始する)。 2.ギリシアに介入せず、バルバロッサ作戦そのものを予定通り5月15日に開始する。 2については、ソ連への奇襲そのものが成功しなかった可能性はあると思います(予定通りの作戦開始で、ソ連側に情報は漏れていたため)。 また、タイフーン作戦が仮に成功したとして、ドイツ軍はソ連軍の反撃を阻止してモスクワを保持し続ける可能性はあったでしょうか?(これができない限り、対ソ戦勝利の可能性は最初からなかった(スターリンが失脚した場合を除く)と考えています。)

  • 第二次世界大戦でのドイツ日本軍

    <”もし”の質問です。> 第二次世界大戦でドイツがバルバロッサ作戦、 アシカ作戦を成功した場合 枢軸国はどうなりますかね? 圧倒的なアメリカ軍の物量で押し返されるのか 日本がドイツから支援を受け戦勝国になれたのか 想像・推測でいいのでお願いします。

  • 何故イラクは先制攻撃しないの?

    という訳でもう戦争は避けられないイラクvsアメリカですが 今までの歴史を勉強しますと絶対に不意打ちや先制攻撃が 断然有利に戦争できますよね どうせ悪のなんやらと呼ばれてるのに・・ 歴史での例ではドイツのバルバロッサ作戦では初日から数日でソ連軍航空兵力の 大半を地上で壊滅させてます 今イラク軍が米軍に一泡吹かせるなら査察受け入れとかいいつつ 米軍拠点に核&化学ミサイルお見舞いしちゃうのがいいように思いますが・・ 何故フセインさんやラディンさんは黙って攻撃待ってるんでしょうか? 歴史にお詳しい方やイフ好きの方も書き込みください イラクが勝つ方法ってありますか?

  • ドイツ軍の第2装甲軍について質問です。

    第二次大戦中のドイツ軍第2装甲軍について質問です。 当該軍は1941年バルバロッサ作戦時中央軍集団隷下において第2装甲集団として編成、 1941年10月に装甲軍に改編されたものと承知しております。 そしてその後1942年にバルカン半島に送られ、1943年F軍集団として再び改編され引き続きバルカン半島で活動したとウィキペディアに記載されています。 しかし、1943年7月のドイツ軍によるツィタデレ作戦(クルスクの戦い)時には 中央軍集団に属しモーデル将軍の第9軍左翼に陣取っていると各種資料の地図で確認できます。 さらにウィキペディアのクルスクの戦いのページにある部隊配置地図では 指揮官部分に"SHIMIDT"と記載、おそらくルドルフ・シュミット上級大将のことでしょうが 彼は1943年4月に第2装甲軍司令官を更迭されているはずです。 クルスクの戦いの起こった7月に彼が指揮官なのは時系列が合いません。 F軍集団の編成はウィキペディアでは8月12日とありますが、 第2装甲軍が参加していたはずのクルスクの戦いは8月22日まで続いたはずです。 ウィキペディアの情報をそのままたどると、 第2装甲軍は1941年バルバロッサ作戦においてモスクワに向けて進撃し その後1942年にははるか1500km南方のバルカン半島に派遣、 さらに1943年夏に再び1500km北でクルスクの戦いに参加し、 激戦のさなかもう一度1500km南下してバルカン半島に戻ってきたということでしょうか? いくらなんでもむちゃくちゃすぎると思うのですが、これは事実ですか? それともウィキペディアの情報が間違っているのでしょうか。

  • ソ連赤軍の方面軍の呼称について、

    第2次世界大戦末期、ヨーロッパ東部戦線ではソ連赤軍がソ連国境を突破し東欧そしてドイツ本国へ侵攻します。この時、第一ウクライナ方面軍と第一白ロシア方面軍がベルリンへの熾烈な先陣争いをしますが、ウクライナ・白ロシアという軍呼称に違和感をかんじるのは私だけでしょうか。なぜ赤軍はベルリン方面軍やら東ドイツ方面軍とかに名称を変えなかったのでしょうか?とっくにウクライナも白ロシアも解放しているのだから、

  • 日本が九州上陸作戦が終結するまで降伏していなければ

    日本が九州上陸作戦が終結するまで降伏していなければどうなっていたでしょうか? さらに、更なる原爆投下の可能性やソ連軍の満州、朝鮮制圧作戦などもどうなっていたと思われますか?

  • 日本軍、最後の大勝利

    ドイツ軍ならドデカネス諸島の戦いが最後みたいですが、 日本軍は何でしょうか? 小さい海戦での勝利はいくつかありますが 「コロンバンガラ島沖海戦」「礼号作戦」など。 ドイツ軍のような大きな日本軍の勝利は、どれになりますか? また、ミッドウェー海戦後にアメリカ軍を撃退して島・地区などを、 取り返した事とかありますか? 宜しくお願い致します。

  • カティンの森事件(ソ連によるポーランド軍将校捕虜大虐殺)

    カティンの森事件について疑問に思ったことがあります。 wikipediaや他の資料もみたのですがにこのように書かれていました。 「1943年、ソ連に侵攻したドイツ軍はカティン近くの森で溝に4,000人以上のポーランド軍将校・警察官・公務員・元地主等の遺体が埋められているのを発見し、ソ連が彼らを裁判無しで虐殺したとして非難した。ソ連及び赤軍はドイツの主張に反論し、1941年に侵略してきたドイツ軍によって戦争捕虜のポーランド人たちは捕らえられ、殺害されたと主張した。」 結局1990年にソ連による犯行だったと認めることになるのですが、ドイツではホロコーストがあるのに、ソ連のこの行為を非難できるような立場だったのですか?ソ連側が虐殺したのは捕虜でホロコーストはユダヤ人や反ナチスだから舞台が少し違うと言えば違うのですが、、、 この避難というのは人道的な気持ちでのひなんというよりは、ソ連をつぶしたいという気持ちでの非難ですか? 教えてください

  • 日本軍がドイツ軍にチハタンを貸与

    日本軍がドイツ軍にチハタンを貸与したら どんな運用をするのでしょうか。 ロシアの冬将軍に襲われガソリンエンジンが 凍りついて動けないドイツ戦車。 そこで同盟国の日本がディーゼルエンジンを 積んだチハタンを貸与。 逆にドイツからは対戦車戦闘能力のある I号対戦車自走砲・マルダーIIなどが貸与される。 チハタンはそのままじゃ戦力にならないから ソ連軍から奪った76.2mm砲を搭載して 対戦車自走砲に改造するとか。 みなさんのご意見をお願いいたします。

  • バグラチオン作戦、もしヒトラーが口を出さなかったら

    歴史にifはありませんが もし、バグラチオン作戦時に、ヒトラーが余計な口をださず、 ブッシュ元帥等の撤退の許可を受け入れ、国防軍に自由な行動を 許可していたとしたら、ソ連の進撃をどの程度食い止められたでしょうか