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『ちいちゃんのかげおくり』

娘が小3なのですが、国語で『ちいちゃんのかげおくり』という話を習っています。 内容は、戦争の話で 空襲でお母さん、お兄さんとはぐれ、最後に『ちいちゃん』も天に召されてしまいます。 戦争の話なので、とても悲しい話です。 こういう話もとても必要ということはわかります。 ただ、娘はみんなから『ちいちゃん』と呼ばれていて、家族構成も同じなので、どうしても自分のことに思えてしまい、泣いて音読ができません。 兄が3年の時も、近くで音読をすると泣いてしかたがないので担任に伝え、無理な時は黙読させました。 でも、今回は本人が泣いているのですから困ります。 授業中のことは、担任にまかせるしかないのですが、家庭での音読などの学習は、どのように声をかけたらいいのでしょうか?? 慣れるのを待つしかないのでしょうか??

質問者が選んだベストアンサー

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  • guts65
  • ベストアンサー率40% (18/44)
回答No.6

こんにちは。 感受性のある、とてもいいことだと思います。 そんな子供が、家族がもっともっとふえてくれること を願います。 音読は本人がいやがるのであれば、させなくてもいい と思います。その部分は、先生にはもうしわけないけ れど、お子様の感受性を大切にして、先生に対応を お願いすればいいと思います。その分、代わりの本を みつけて音読させてあげれば、学力とすれば何も問題 ないはずです。 一方で、どこかのタイミングでは自分を客観的にみる ことも、子供にとっても必要になってくるのではない でしょうか。ちいちゃん、だから、すべて自分のこと ととらえることも大切です。でも、ほかにもちいちゃ んとよばれている人がいることを理解していくのも大 切だと思います。(その時期がいまがいいかどうか はわかりませんが。) そのときに、例えばちいちゃんという主人公がでてく る、楽しい本とか温かい本とか、そういった本をだし てあげれると、自分の客観化などのきっかけにすこし でもなったりするのではないかと思ったりします。 と言いながらも amazon.comで調べると2冊しかなく・・ 紀伊国屋書店のサイトでも、絵本いがいはあまり なさそうではあるのですが・・。 いくらかでもご参考になれば。

taocha
質問者

お礼

>一方で、どこかのタイミングでは自分を客観的にみることも、子供にとっても必要になってくるのではないでしょうか。 今回の件も、経験のひとつだなと感じました。 ありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • musikayo
  • ベストアンサー率40% (170/416)
回答No.7

このお話昔は好きでした。 でも、祖母の一言で嫌い(というか苦手)になってしまいました。 うちは祖父も祖母も戦争経験者でしたので、重なるところも多かったんだと思います。 私の小学校では平和教育に力を入れていたので、この1つの物語をなんと3ヶ月(!)もやってたんです。 しかも毎日毎日本読みがあったんです。しかも授業内容もしつこかった…最後は天国のちいちゃんに手紙まで書かされました。 (親も祖母もさすがにうんざりして音読だけはどうにかしてほしいと) 音読もある程度必要だと思いますが、このお話本当に酷いんです。多分この後の学年の中でも一番リアリティだと思います。 だから、土日は内緒で読みませんでした^^; ただし、太平洋戦争についてきちっと調べさせられましたよ。爆弾の種類(この話の中では焼夷弾が出てきますが、原爆もありますからそのこととか)とか防空壕のこととか…ほしいいも作った気が… 他の戦争の話にも目をむけることをやっていました。 余計傷をえぐってしまうようですが、かげおくりのはなしはどっちかというと心情話が入っているのでやっかいだったと思います。 今と桁違いに違う生活を見て、今生きている世界がどれだけ平和で暮らしやすいかを考えてみるというのもいいかもしれません。 自分と重ねて泣けるのはすごくいいことだと思います。家族がいるあたたかさ、平和な世界という認識をいつまでも持ってもらっていてくださいね。 参考までに…

taocha
質問者

お礼

この話をとても深く勉強されたんですね。 戦争の話は必要だと思いますが、詳しく知れば知るほどつらい話ですよねxxx ありがとうございました。

taocha
質問者

補足

みなさん 回答ありがとうございました。 TVやゲームの世界では、いとも簡単に争いが起きるこの時代に こういうテーマは本当に必要ですね。 相談した時は『困ったxxx』という気持ちだけでしたが、 みなさんの回答をみて、娘の感受性を否定するのでなく、ほめて伸ばしてあげられたら・・・と思います。 今回は「呼び名が同じ」だったから『悲しい』気持ちだったと思うのですが、他の名前だとしても良い話には感情移入できるようになればいいなと思いました。

  • atsusaki
  • ベストアンサー率23% (37/158)
回答No.5

taochaさんのご質問の文を読ませて頂いて、胸がキューンと切なくなりました。他の方もおっしゃっていますが、娘さんの悲しい気持ちをしっかりと受け止めてあげ、物語の内容を理解していることもうんと誉めてあげてください。 音読に関しては、内容に触れるというよりも、「大きな声で」とか「、や。で間をとって」など読む技術について目標を持たせて読ませるといいのではないでしょうか。内容については泣いてしまうくらい十分深く理解できているのですから。

taocha
質問者

お礼

>音読に関しては、 そうですね。感情をいれずに技術に注意させるのも良いですね。 こどもにそうアドバイスしてみます。 ありがとうございました。

  • wajo
  • ベストアンサー率40% (2/5)
回答No.4

私の娘も小三で、同じ教科書を使っていると思います。二学期の始めに、私はふと、教科書を開けて、その物語を声を出して読み始めました。横には小一と小三の娘が耳を傾けていました。この物語、同じ名前でなくとも泣けてきます。出征前日、家族4人でかげおくりをして遊ぶ場面は、切なくて、悲しくてボロボロになって読んでいました。そこで小三の娘いわく、「お母さん、泣いてんの?」うちの娘は、音読も作文も、いわんや感想文も得意ではありません。読書量も多い方ではありません。そういうこともあって、何とか楽しい、または感動するような読書体験をしてほしいと(感動した一冊の本が読書好きにすると思い)常日頃思っています。うちの娘は感動を余りしないのか、それとも感情表現が乏しいのか、物語を読んだり、テレビ番組を見て感動している様子をあまり見ません。偶然同じ名前だったにせよ、主人公を自分におきかえて、同じ感情をもつことができるのは、すばらしいことだと思います。どうせなら、うちのこの名前で「○○ちゃんのかげおくり」だったら良かったのにと、思います。泣きながら音読、いいじゃないですか。泣くほどにそのお話しを深く感じ取れるのではないでしょうか。私でさえ、何度音読しても涙することだろうと思うお話しです。

taocha
質問者

お礼

同い年の娘さんが、いらっしゃるのですね。 我が娘も決して読書量が多いわけではないのですが、同じ呼び名で共感したんだと思います。 >泣くほどにそのお話しを深く感じ取れるのではないでしょうか。 困ったって思う気持ちが強かったのですが、良いことと考え こどもが受け入れられるよう協力してみます。 ありがとうございました。

  • toyohi
  • ベストアンサー率19% (250/1270)
回答No.3

お話を読んだり聞いたりして喜怒哀楽が表せる、ということはとても素晴らしいことだと思います。 文章は、まず、内容が理解できなければならないでしょう。ただうわべの活字だけを追っていくのでは、いくら読んでも内容が理解できるまでには行かないでしょう。 主人公になりきり、周りの情景を想像しながら物語の中に入れるお嬢ちゃんは素晴らしい力を持っていると思うのですが、いかがでしょうか? 道徳教育とか、国語教育とかの難しい論点は分かりませんが、私は、こういう気持ちはぜひ大切にしたいと思うのですよ。

taocha
質問者

お礼

息子の教科書ではじめてこの話を見つけたとき、「ちいちゃん(娘)の話だ。どんなだろうね。」と一緒に読んでしまったんです。 悲しいお話に共感できるのは良いのですが、呼び名が一緒なだけに共感をこえてるというか・・・。 みなさんがほめてくださったことを娘にもほめてあげようと思います。 ありがとうございました。

回答No.2

専門家の意見じゃないし、役に立たないかもしれないんですが・・・わたしは小さい時、音読じゃないんですがお母さんに読んでもらったとき大泣きしたことがあるんですよね。5歳の男の子が病気で死んでしまう話。そのときお母さんが「○○ちゃんはいい子だね~」と褒めて一緒にその本の子に同情してくれたことがあるんですよ。その娘さんがもっているのが同情だったら一緒に同情してもらえるときっと嬉しいと思います。教科書の話で泣く子がいても逆に「やさしい子なんだね」とか褒められるということもそういえば昔あったように思います。

taocha
質問者

お礼

娘の泣き方からするとかわいそうと同情しているというより、呼び名が一緒なので自分に置き換え、怖がっているようです。 でも、それも経験により同情の第一歩ということになるのでしょうか・・。 娘に「やさしいね。」ってほめてあげようと思います。 回答ありがとうございました。

回答No.1

こんにちは。 娘さんは、大変感受性の強いお嬢さんなようですね。 国語の授業ってただでさえ道徳の授業になりがちですし。 でもね、すごく冷たいと思われるかも知れないですが、 慣れるしかない、って思うんですよね。 それは、「ちいちゃんのかげおくり」を読むことに慣れるってことよりも、 その強い感受性を上手くコントロールする術を身に付ける必要があるっていうか… その練習をしないと、成長段階で辛くなるっていうか…。 今では図太い神経の持ち主と呼ばれていますが、 それこそ小学校の頃の私は娘さんのような感じでした。 お母さんを亡くした子どもの話を読んで自分の母親が死ぬことを考えていきなり大泣きしたり、 痴呆老人について書かれている本を読んで自分の祖父が私さえわからなくなるなんてと思って辛くなったり、 お寺で宗教画(?)みたいなものを見ただけで怖くて眠れなくなったり。 ものすごく生きにくいなぁ、と思ってました。 でも、周りの人を見るとどうやら自分は過剰に反応しているような感じで 仕方ないなぁ…と思いながら、「やりすごす」方法を身につけようとしました。 まあ、歳とるとだんだん神経も図太くなっていくみたいですけどね。 だけど、お母さん(お父さんかな?)としては、見ていて かわいそうになりますよね。 同じような状態だった身からすると、その感受性の強さを、娘さんのいいところとして 認めてあげて欲しいな、と思います。 平和の大切さとか、人の悲しみを自分のことのように思える気持ちの素敵さとかを いいことなんだと言ってあげて欲しいな、と。 その上で、でもあなたは今平和な時代に生きていることに感謝しようね、 と言ってあげたらどうでしょうか?

taocha
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 やっぱり慣れるしかないですよね。 『ちいちゃん』と呼ばれているので、どうも人事に思えないようです。 でも、平和な今 暮らしていける幸せを上手く伝えられる良い機会かもしれないですね。がんばってみます。

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