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一辺45cmの立方体の石

花崗岩だと思います。下になっている面は分りませんが、5面の中央が画像のように刳ってあります。少なくとも江戸時代以前のものだと思われます。何に使われた石でしょうか?お心当たりのある方はお教え下さい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

 んー・・・専門家ではありませんが(滝汗) 大きさ&見た目から考えると「石灯籠」を製作途中で 放棄した物ではないでせうか(´_`;b

akira36
質問者

お礼

ありがとうございました。感情的には礎石と思いたいですが、理論的には石灯篭の未製品と考えた方がよさそうですね。その後、新しい見解も出てきませんので、そろそろ終了しようと思いますが、石灯篭の未製品は珍しくない物なのでしょうか?

akira36
質問者

補足

早々にありがとうございます。そういう見方は思ってもみませんでした。 窪みの周囲が滑らかで底が丸いので、軸受けや臼みたいな物かと想像していたのですが。 思い込みは禁物ですね。

その他の回答 (5)

回答No.6

建築部材とする意見がありますが、建物本体あるいは基礎部分だとしても穿孔されている穴の直径が小さくかつ浅いためこれに部材を嵌入したとすると荷重に耐えないでしょう。また類例がある、あるいは建物跡から見つかったという状況がないなら建築部材とするのは無理があります。 やはり「石灯籠の未製品」と考えるのが妥当です。

akira36
質問者

お礼

ありがとうございました。感情的には礎石と思いたいですが、理論的には石灯籠の未製品と考えた方がよさそうですね。その後、新しい見解も出てきませんので、そろそろ終了しようと思いますが、石灯籠の未製品は珍しくない物なのでしょうか?

回答No.5

 ANo.3:  四番に梁のジョイント説をごひていされるご見解が出されました。  ジョイントというタームですね、ちょいと思いつきませんでした。  梁というと確かに上部構造の一部になりますが、礎材という語で補ったように梁というタームは適当ではなかったですね。  小規模な下部構造の、材のジョイントかも知れないと創造したのですが。

回答No.4

建築用部材、という回答が出ていますが可能性は低いです。 わざわざ重たい石を屋根に取り付ける積極的理由がありませんし、ジョイントなら木材同士のほうが馴染みます。また、一辺が45cmということは穴の大きさは大きく見ても20cm、実際は10cm代かと思われます。深さもあまりなくここに木材を嵌入しても外れやすくまた折れやすいでしょう。 ANo.1の回答にあるように「石灯籠の未製品」と考えるのが妥当です。

回答No.3

 残念ながら存じ上げません。  ただ、建築技法としては釘を使わず、多少のゆれにも対応でき、材も傷つけつないのでこういうものをターミナルには使っていた事は考えられます。

akira36
質問者

補足

度々ありがとうございます。 古代の建築物やその技法がすべて残っている訳ではないので、現代建築に先立つ合理性があったとしても当然ですし、出雲大社のように誇張だと考えられていた建築物の遺物が実際に出てくるのは楽しいです。

回答No.2

 建築物の梁をこの五面で交叉し固定する為の礎材ではないでしょうか。

akira36
質問者

補足

ありがとうございます。 楕円状に刳られている場所もあるので納得できます。 現存している使用例をご存知でしたらお教え下さい。

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