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仏教の存在意義はなに?

自分は寺ってお葬式やお盆などにしか行く機会がありません。 方やキリスト教は日曜日に集会があったり、その他いろいろ日ごろから信者に接する機会があるようにみえますね。そういう意味で存在意義は明確なような気がします。 ふと考えてみれば、宗教は生死のみにかかわっているものではなく、人々を癒したりする役割も担っているとおもうんですが、仏教はどうなんでしょう? まあ、大晦日にお寺の鐘の音を聞いて、元旦に神社にいく人ばかりの国だからそういうことをいっても始まらないかも・・・。

noname#5526
noname#5526

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noname#6165
noname#6165
回答No.5

宗教は、国をまたがって存在しています。  日本では、坊さんに相談に行ったりしていたことが、今、精神科医、カウンセラー、などになっています。 彼らの幾らかは、仏教に触れているでしょう。   お墓は、ほとんど仏教形式ですし、寺のイメージも、どちらかというと清浄というよりも、線香のたかれる非日常空間、なじみの薄いものになりました。   でも、その空間は、触れる機会が少ないとはいえ、確かに存在しており、社会的な出現頻度によって意義を語るなら、あまり意義は無いのですが、確かに在ります。 文化財にもなっており、また、禅は、世界的なブームになっています。モデルや女優、俳優、スポーツヒーローなどが、ヨーガや禅を、生活に組んでいるという報道も、それを助長しています。 日本ではそういうことはあまり有名では無いですが。   今まで、有名人は、その功績とは別に、金と権力によって彩られ、汚されてきました。 今もそうでしょうが、 ヨーガや禅をしているんだ、とかいうと、なにか、別のアビリティが付与されるのでしょうか、報道においても、そのイメージは良好なものとして伝えられます。   日本では、宗教→理解不能、気持ち悪い、という感覚が植えられており、その悪いイメージがどうしても、よきイメージを阻んでいると言うことがあげられます。 キリスト教人口は、日本では少ないです。 そのため、信者同士のコンタクトを、常に取って、組織によって信仰を強化しないと、信者が離れていってしまうという点はあるでしょう。 日曜学校などは、大昔からありましたが、それが、逆境の土地柄でも、信仰維持に役立っていると言うことです。 逆に言えば、そういうことをしなければ、キリスト教は日本から失われます。 仏教、神道は、比較的長い、歴史的な文化の蓄積があり、一時はかなり大きい権力を誇っていました。その時の、影響が、今でも残っているのです。 神道は自家製ですし、仏教は、アジア圏内においても有力であるため、そういう現地時間の努力をしなくても、生き残っていけるわけです。 が、 そういうことが、ほんとうに、意義の無いことであり、ようは、宗教勢力のバランス問題自体が、全く、その宗教存在自体にとっては無意味と言うか、勝手にしてくれといったところでしょう。 別に、救済をしないからと言って、宗教存在自体が困るわけではなく、困るのは、宗教組織を運営している者たちだからです。 >まあ、大晦日にお寺の鐘の音を聞いて、元旦に神社にいく人ばかりの国だからそういうことをいっても始まらないかも・・・。   宗教が多くなると、祭りが多くなってうれしいのです。日本の場合は、祭りにも伝統があり、それなりに仕上がります。 盛り上がらないのは、やはりクリスマスでしょう。 あれは、祭りではなく、イベントどまりです。 浅い。 もっと、クリスマスに味をつけるキャンペーンをどんどん張っていくべきです。 ルミナリエは追悼、復興の意味もあります。こういう、因縁を持ったキャンペーンは、伝統へと育っていきやすいです。金を廻そうとするのが見え見えだと、祭りは盛り上がりません。興ざめです。 どこかそこに、宗教的な味や、民族感、地球人感、宇宙人感があるから、盛り上がるんです。 金は、只回ってればいいんです。でしゃばることは無い。   例:春(神社の祭り)、夏(盆)、秋(色々、収穫祭)、冬(クリスマス)、その他色々。   宗教のあり方に、多くの人が、納得いかなくなっている、魅力を感じないのでしょう。だけれど、只、大衆のニーズにこたえることが、宗教の務めではありません。 困っている人を助ける。 そういう考え方でいいと思います。 困っている人を助ける。 その点で仏教の意義はどう在るか? そういうことだろうと思います。   縁があれば。 仏教ではこういいます。 縁があれば、お助けしましょうと、こういうことです。 意義は、存分に在るでしょう。 >自分は寺ってお葬式やお盆などにしか行く機会がありません。   盆の夕餉に、墓に腰掛ける。 なかなかの詩情です。 日暮れ、墓参り帰りの電車。 果たしてこれが、家路だろうか? だんだんと、都心に近づく。 まあまあの詩情です。   意義とは、与えられるものではなく、自ら意義深いかどうか。 その点につきるのではないでしょうか。    したがって、 「仏教の存在意義は?」 縁が実を結べば、意義はあるでしょう。 この縁、可能性を生み出したという点で、それが実るかどうかは別に、仏教に存在意義はあるでしょう。    また、意義に遊ぶ。 そういうシーンも、あります。   社会的存在として、何かの企業と同等の立場で仏教の意義を語るのは、カツアイします。 影響が大きかれ小さかれ、そんなものは、時代とともにかわってけば、それでいいのですから。

noname#5526
質問者

お礼

ありがとうございます。 >縁が実を結べば、意義はあるでしょう 縁は求める側から接触しないとだめなんですね。 くるものは拒まずですかね。

その他の回答 (6)

  • echochan
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回答No.7

「存在意義」=「目的」と解釈して、回答させていただきます。 仏教の目的は、「抜苦与楽(ばっくよらく)」です。 文字通り、全人類の苦しみを取り除いて、本当の幸福にする。という意味です。

noname#5526
質問者

お礼

ありがとうございます。 勉強してみようとおもいます。

noname#155689
noname#155689
回答No.6

このサイトへの質問にもよくありますが 意義とか、意味とか、目的を求めてしまうのって キリスト教的だと思うんですよね。 もうすこし正確に言うと 意義とか意味とか目的に「普遍的な答」みたいなものがあると考えてしまうのは 一神教的な世界観だと思うんです。 われわれ日本人のほとんどはクリスチャンではありませんが 近代西洋文明を受け継いでいる時点で キリスト教とギリシャ哲学の影響を無意識に受けている訳ですから。 >仏教の存在意義はなに? って、悩んじゃうんだとしたら それはキリスト教的世界観の悪しき影響だと思うんですよ。 だって、仏教は「無」「空」「諸行無常」じゃないですか。 あらゆる物事に存在意義や目的を求め 現状はそれに適っているだろうか?なんていちいち考えるのは 悪いことではないですが それだけど苦しいじゃないですか。 だから、カウンターバランスとして だから仏教が、そして日本古来の神話観などが これから重要ではないかと思います。 なんて、考えているもんで 私は最近、仏教や神道、日本神話に興味があります。 でも、仏教は難しいですね。

noname#5526
質問者

お礼

ありがとうございます >仏教は「無」「空」「諸行無常」じゃないですか ですね。わすれてました。 >それだけど苦しいじゃないですか。 実証しようとすると、なんの意味もなくなってしまうような場合もありますもんね。

  • nika
  • ベストアンサー率14% (66/470)
回答No.4

イベントを行うのが仏教ではありません。イベントの際、いろいろな人と出会うことができますよね。これが供養ということになっています。「ともにやしなう」 仏教の存在意義は、意識しないところにあります。 仏教はもともと誰でも仏様になれると言ってます。 それは、仏教とは人生そのものだからです。 みんなが気づくことそれが仏教の真髄です。 仏教だからイベントがないのではなく、人生そのものが既にイベントなのです。 そして、それ(人生)が無であると教える。 さらに、悟るのです。 これも自分で気がついたことです。

noname#5526
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 >仏教の存在意義は、意識しないところにあります。 座禅なんかも、無になるために組むのでしたっけ? 意識しない、っていうのはそういうのに似てますね。 >そして、それ(人生)が無であると教える。 深いですね。

  • bubi
  • ベストアンサー率15% (7/46)
回答No.3

下記の訂正です(^^;) 「天理教」はホームページを見てみたら 仏教じゃないかもしれませんね・・・ どっちかというと神道なのかなぁ? よく知らないのに書いちゃって申し訳ない。 興味があったら、調べてみてください。

  • bubi
  • ベストアンサー率15% (7/46)
回答No.2

質問された方にとって、仏教のイメージって「お寺」だけって感じですが、キリスト教に教会があるように、 仏教でも信者の人が集まる教会があって、日曜毎に集まって、みんなでお経をあげたりためになるお話を聞いたりしているところがあります。 まあ、信者でない人にはあまり関係ないので、必要ない人は知ってる必要もないのかもしれませんけど(^^;) 聞いたことないですか? 創価学会とか立正佼成会とか。 そういうのは新興宗教と呼ばれていますが、仏教に入るんですよ。 高校野球で有名な智弁学園とかは仏教系の学校だと思いますし、 最近は出ないですが「天理」とかも仏教系。 仏教系の学校では、みんなでお経を上げたりする時間があったりするのかも。 「人々を癒す」ってどういうことを言うのか定義が難しいですけれど、 キリスト教がそうであるように、悩んでる時や困った時に「こういうふうに考えてみたら」というアドバイスをする役割を果たす哲学が宗教であると思います。 そういう意味では仏教の内容もよく勉強すると、ためになる話が書かれています。 それを実践できるかは人によりますけど。 仏教系の学校などでは、仏教に基づいたそういう教えを勉強したりするんだと思います。 私見ですが、宗教はそれが必要な人に必要な助けをすればいいものだと思います。 仏教もそういう意味ではちゃんと人々を癒す役割をある方面で果たしていると思います。 必要でない人には見えないだけで。

noname#5526
質問者

お礼

どうもありがとうございます >新興宗教と呼ばれていますが、仏教に入るんですよ 彼らの場合は、社会的な一団体として疑問視してます。いろいろあるじゃないですか。 >宗教はそれが必要な人に必要な助けをすればいい そうですね。 誰でも救済できるわけじゃないですもんね。

  • kino
  • ベストアンサー率10% (26/250)
回答No.1

今の仏教は、葬式仏教といわれて、さげすまれることも多いですよね。でも本来、仏教は、他の宗教十なjくして、人や社会の救済を目的としています。お経などを読んでみてください。解説書もあると思いますが。それにかつては、寺は教育の場、社交の場でもありましたよね。それが今や価値観の多様化で寺以外でも集まれる場ができ、寂れていったのだと思います。でもぼくは、まだまだ仏教を魅力あるものにできると考えていますので、そこは僧侶の方々、がんばってみてください。ホスピスなんかもできるでしょうしね。

noname#5526
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 >寺は教育の場、社交の場でもありましたよね そういえばそうでした。 >お経などを読んでみてください むずかしそうですね・・・。

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