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自分に負ける、自分に勝つの定義とは

 あけましておめでとうございます。   こちらのカテゴリーで合っているのか判りませんが、質問させて頂きます。  自分に勝つというのは、一体どういった事なのでしょうか。。又、自分に負けるというのはどういった具合でしょうか。  よくスポーツや格闘技で、勝負(試合)に負けても自分に負けるな、との言い分がありますが、この言葉の意味がいま一つ理解し難いのです。 己の目標の事でしょうか、、。  勝負(試合)に負けても自分に負けるなとは・・・・。どういった事を意味するのでしょうか。。 

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

心が折れたときが自分に負けたときです。

noname#124802
質問者

お礼

 No.2さんと似たような回答ですね。 確かにこれは当たりだと思います。心が折れたら、負けですよね。 判り易い回答有難うございました。参考になります。

noname#124802
質問者

補足

No.2さんとベストアンサーを悩みましたが、slipkkknotさんの回答が 心にしっくり来ました。確かにそのとおりかもと思いました。もう駄目だ…と心が折れてしまった時が自分に負けた時だというのは、漠然とはありましたが、言葉にするのが難しかったです。 自分を信じる事の大切さを教わりました。皆様回答有難うございました。

その他の回答 (4)

  • nontro_08
  • ベストアンサー率19% (33/173)
回答No.5

創価学会の者です。 日蓮大聖人は仰せです。「心の師とは・なるとも心を師とせざれ」(兄弟抄)。 「自分に負ける」とは、困難な環境の前に、たじろいで弱々しくなり「自分にはできない。まあ、いいや」と弱い自分の心を師として、それに従い自分の弱さに妥協してしまうことです。 「自分に勝つ」とは、自分の可能性を極限までに信じ、「もう無理だ、あきらめよう」という弱い心をねじ伏せ、自分の心の師となる、自分の心をリードするような、強靭な自分を確立することです。 その、自分の心の師となれるような強靭な自己をつくるには、自身の生命力を強めることです。この宇宙根源の法に則る正しい宗教(南無妙法蓮華経)で人間革命をすることにより、それは可能となるのです。

noname#124802
質問者

お礼

>「自分に負ける」とは、困難な環境の前に、たじろいで弱々しくなり「自分にはできない。まあ、いいや」と弱い自分の心を師として、それに従い自分の弱さに妥協してしまうことです。 自分の弱さに妥協するですね・・・。なんとなく判る気がします。確かにそうすれば、自分に負けるとも言えますね。 >「自分に勝つ」とは、自分の可能性を極限までに信じ、「もう無理だ、あきらめよう」という弱い心をねじ伏せ、自分の心の師となる、自分の心をリードするような、強靭な自分を確立することです。 これは、No.2さんともだぶるような気も致します。プレッシャーに勝つという意味にもとれるかと思います。 弱い心を跳ね返し、自分は必ずできる、と信じる心を持ち、強靭な自分をつくるという事が自分に勝つということですね。 判りました。 >その、自分の心の師となれるような強靭な自己をつくるには、自身の生命力を強めることです。この宇宙根源の法に則る正しい宗教(南無妙法蓮華経)で人間革命をすることにより、それは可能となるのです。 自分の生命力を強めるというのは、同意します。 その後者の宗教の部分はちょっと同意出来かねますが・・・。 回答有難うございました。

回答No.3

以前「自分に克つ」という言葉を教えてもらった。 助け合うために集まった社会において、 「他人に勝つ」とは「他人より多く社会貢献する」ことである。 そこには勝負事は存在せず、他者との比較も不要。 そこには、こんな言葉が存在する。 「他人に勝とうとしなければ(自分は)既に勝っている」 「自分に克つ」とは、自分の可能性への欲で生きる、という意味。

noname#124802
質問者

お礼

 『克つ』という字を辞書で引きました。『勝つ』という言葉とあまり変わりのない言葉ですね。 他人に勝つという質問はしていないのですが、 『他人より多く社会貢献する』こと、、、なのですね。ふむふむ、、、そういう考え方があるのですね。 >そこには勝負事は存在せず、他者との比較も不要。 この意味はよく判ります。 >「他人に勝とうとしなければ(自分は)既に勝っている」 これは、また深いですね。。他人と比べず、競争もせず、自分自身が他人のために見返りを期待せず、尽くす。といった事でしょうか。。そうすることで、己にも勝るという事ですね。 >「自分に克つ」とは、自分の可能性への欲で生きる、という意味 自分の可能性を常に広げて行くという意味で宜しかったでしょうか。 回答有難うございました。

  • cpbr
  • ベストアンサー率25% (70/273)
回答No.2

試合の場合は、自分に負けるなとは、精神的な理由で負けるなということです。プロスポーツの世界でも大事な試合になると全く活躍できない選手がいますよね。そういう人達を自分に負けてしまうと言います。 でも、自分に負けて試合に負けるのと、自分には勝った(プレッシャーを克服した)けど試合に負けたのの、どちらがいいかは趣味の問題でしょうね。私は自分には勝ちたいと思いますが。

noname#124802
質問者

お礼

なるほど、、、。参考になります。 精神的な理由で負けるなという理由は漠然ですが、ありました。 >でも、自分に負けて試合に負けるのと、自分には勝った(プレッシャーを克服した)けど試合に負けたのの、 これは、そのとおりだと思いました。何だかピーンと頭の中が閃いた感じがします。確かにプレッシャーに負けたままで、試合に臨むは自分に負けるというのかもしれませんね。プレッシャーに勝ってこそ自分に勝つ、、、何だかとても良い言葉のような気がしました。 私も自分に勝ちたいと思います。 回答有難うございました。

  • Yodo-gawa
  • ベストアンサー率14% (133/943)
回答No.1

自分に勝つか負けるかという仮定において、格闘技を引き合いにすること自体が 間違いです。スポーツや格闘は相手との闘いであり、自分との闘いではありません。 大きな目標を掲げても、日々の努力を怠れば辿り着くことは出来ない。 目の前の苦しみに妥協して目標を見失えば、それは「自分に負けた」事になるでしょう。 逆に、日々の辛さに打ち克って達成すれば、「自分に勝った」と言えるだろう。 但し、その勝負の判定は死ぬまで続きます。ペナントレースと一緒です。 徳川家康の言葉には、「人の一生は重き荷を背負いて遠き道を行くがごとし」とあります。 己の立ち位置で苦難に立ち向かい、「重き荷」に押しつぶされず、いつしか重いと 感じぬほど自己を鍛えていくのが、本来の人生のあり方であり、それが目的なのです。 自分に勝つか負けるかというのは、ある意味においては宗教観に基づくものでは ないかと思われます。 どんな場で質問者がそれを耳にしたのか、発言者によって意味は変わるかもしれません。 だからこそ、質問者はその発言した人や、周囲の信頼できる人間に尋ねるべきなのです。 >>勝負(試合)に負けても自分に負けるな 言葉の解釈は非常に難しいです。試合前ならば全力を尽くしても駄目なモノは駄目。 だからこそ、可能な限り力を尽くせと聞こえます。ただ、曲解すると負け惜しみにも なります。

noname#124802
質問者

お礼

回答有難うございました。

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