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日本史
戦国大名の権力について 江戸時代の大名や守護大名と比較しながら 300字程度で説明できる方いますか?? むずかしい^^;
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う~ん・・・やってみましょう。 まず時代分別をしてみましょう。 室町時代・・・旧地頭である国人を家臣化しながら守護大名に成長。一国を一円的に支配し、やがて守護領国制を築く。主な権限は、【大犯三ヶ条(大番催促、謀反人・殺害人の逮捕)、刈田狼藉の取り締まり、使節遵行。】←これが守護大名の権力。 戦国時代・・・「下克上」の気運が高まり、実力主義の時代になる。今までどおりの守護大名から成長した者(武田氏・島津氏・今川氏など)、守護代から成長した者(織田氏・上杉氏など)、国人から成長した者(伊達氏・北条氏・長宗我部氏など)がいる。【戦国大名は分国を完全に支配し、天下統一をねらった。】←これが戦国大名の権力? 江戸時代・・・幕藩体制の下、大名は統制される。幕府から知行地1万石以上を与えられ、主に親藩(徳川一門の大名)、譜代大名(関が原の戦い以前から徳川に従っていた大名)、外様大名(関が原の戦い前後に徳川に臣従した大名。大藩が多い。)に分けられる。 幕藩体制・・・幕府・諸藩が本百姓を基盤にして封建的支配を行い、厳格な身分制度のうえに統制の厳しい支配体制を維持した。→つまり、幕府は藩の政治には口を出さない。その代わり藩も幕府の政治には口を出さないという体制。→その結果、揺ぎない政治体制が生まれ、大名は藩領主となった。 まとめると、室町時代の大名は完全に室町幕府の支配化におかれ、都市の治安や税金の徴収などを負かされた。戦国大名と江戸時代の大名は一国を完全支配することの点では同じだが、江戸時代の大名は江戸幕府の厳しい体制下に置かれていた。(例えば一国一城令、参勤交代、武家諸法度など。) それを考えながらうまく300文字以内に書いてみることですかね・・・? <解答例> 1467~1477年の応仁・文明の乱の結果、室町幕府の将軍は権威を喪失したことで下克上の気運が高まり、実力主義の時代へと発展する。その中で生まれたのが戦国大名である。守護大名や江戸期の大名との大きな違いは、幕府のような政治機関に統制されていない点である。室町時代の守護大名は主に都市治安や税金の徴収を幕府から任されていたが、戦国大名は自らの分国法などにより一国を完全支配していた。さらに江戸期の大名と一国の完全支配という点は同じだが、やはり武家諸法度や参勤交代による厳しい統制も戦国大名にはなかった。そのような政治体制のない時代は文化のほうにも影響していて、文化の地方波及により領国での文化が開花し、仏教色を取り払い新興大名や聴衆らにになわれた天文文化が発展した。 という風に書いてみました。あまり上手にかけてないかもしれませんが・・・戦国大名は(1)一国を完全支配していた。(2)幕府のような大きな政治機関からの厳しい統制を受けていなかった。という二つのポイントがやはり大事かな?と思いました。
お礼
ありがとうございます(>_<) すっごいわかりやすいです(o^∀^o) 助かりました!!!