いわゆるDQNネームについてですね。
質問1:恥ずかしいと思わないのでしょうか?世間からバカにされていることに気がつかないのでしょうか?
質問2:また祖父母や親戚も忠告しないんでしょうかねー
回答1:恥ずかしい名前だと思っていないから名づけたのだと思います。
回答2:そういう親は、忠告されても自分のセンスを信じて疑わないようです。
その親としては、(全てとは言いませんが)
こんな名前考えられる私(達)スゲー!(ところが元ネタがゲームやラノベ)とか、
こんな字知ってる私(達)スゲー!(辞書をひっくり返してかっこいい字を選んだ。でも意味は知らない)
と思いつつ、読めない他人を無知で教養の無い者として優越感に浸っているのではないのでしょうか。
この話題については、↓の吉田兼好や孔子の文がよく出されるようです。
寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、
昔の人は、少しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。
この比は、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。
人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。
何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。
訳
お寺の名前や、その他の色々な物にも名前を付けるとき、
昔の人は、何も考えずに、ただありのままに、わかりやすく付けたものだ。
最近はあれこれ考え、自分の賢明さを見せつけようとしているようで嫌味なものだ。
人の名前にしても、見たことのない珍しい漢字を使っても、まったく意味のないことである。
どんなことでも、珍しいことを追求して、一般的じゃないものをありがたがるのは、
薄っぺらな教養しかない人が必ずやりそうなことである。
孔子
奇に驚き異を喜ぶは、遠大の識なく
苦節独行は、恒久の操にあらず
新商品にすぐ飛び付くのは明らかに素人
かといって、誰にも理解されない妙なこだわりを持つ奴は、結局ダメだったりする
こういった話題は最近よく出てきますが、
私は変わった人と違った名前が悪いとは思っていません。本当にセンスのある親は、普通の字を使っても美しく個性的で、尚且つ読み間違えようのない名前を作りますから。
しかし、それとDQNネームとは全く違います。
私は、自分の子供に、名刺や全ての書類にルビを振らなければならなかったり、名前の文字を教えるのに困るような名前はつけたくないですね。たとえば小学生同士で「菟」の漢字を口頭で説明するのは簡単とは思えませんし、それ以前に、相手がその漢字を知らなかったらどうにもなりません。(大人同士でも難しいと思います)
親は子供に一生そういった手間を課すことになる事を考えたのだろうかと思ってしまいます。
親の思いに関係なく、その名前がトンデモであれば、馬鹿にされるのは事実ですしね。
お礼
ありがとうございます。 大変、参考になる引用をいただき勉強になりました。 昔から言われていることなんですね >本当にセンスのある親は、普通の字を使っても美しく個性的で、尚且つ読み間違えようのない名前を作りますから。 そのとおりだと思います