- ベストアンサー
忠臣蔵で有名な吉良氏とは何が起きたのか?
Mock_Hatterの回答
よく言われているが、浅野を裁いたときの「片落ち」の裁きのバランスを取ったというものですね。本来なら両者から事情を確認し、その上で裁くべきだったのに、綱吉の怒りで、外見上、一方的な裁きになってしまった。 その結果として討ち入り事件が起こり、江戸中の評判になった。しかも浅野切腹以降、裁きが不公平だったとの声はずっと続いている。幕府としては、今回はバランスを取る意味で、なんとか理屈をつけて吉良家を断絶させる必要があった。 「不届」云々は、そのためにこじつけた理屈に過ぎません。(討ち入り直後に評定所が出した意見書もありますが、これは、偽書説もありますし)。 「親を守りきれなかった」云々は、あくまでこじつけの理由です。家を残す以上、跡継ぎは生きている必要があるのですから。だから、実際には奮戦したのに、まるで逃げたかのような表現をして、「不届」扱いをしている。 事実、形式上処罰の対象となっている上杉家は、遠慮で済んでいますし、討ち入り翌朝に幕府から「動くな」との指示まで受けています。 一度は断絶した吉良家ですが、その後親戚筋の人間を立てて、家そのものは再興しています。これも、「不届」云々の処罰が、理由をこじつけたものであることを示していると考えます。 よく誤解される人が多いのですが、テロという場合、暴力による恐怖心を起こし、それにより政治的目的を達成するものです。赤穂事件での討ち入りは、この定義には当てはまりません。政治的暗殺ではあるが、テロではありません。
関連するQ&A
- なぜ忠臣蔵が語り継がれるのか??
皆さん「忠臣蔵」はご存知ですよね。 ところで何故いまだに語り継がれているのでしょうか?これは日本人だから語り継がれているのですよね。やはり日本人という人間はあのような主従関係に憧れるのでしょうか? 日本人の特徴なども踏まえて、なぜ忠臣蔵が未だに語り継がれているのか誰か教えて下さい。個人的な考えも大歓迎です。
- 締切済み
- 歴史
- 忠臣蔵 かいつまんで 教えて
頭の中で、「新撰組」「忠臣蔵」「白虎隊」が混乱しています。 とりあえず、昨日のドラマをこれから見るので、忠臣蔵だけでも、わかりやすく、簡素に、あらすじを教えて下さい。
- ベストアンサー
- ドラマ
お礼
ありがとうございます、私も片手落ちと考えるのは、当時の武家の掟として、当主が絶対ということがあると思います。 この事件では、当主自らが長刀をとって戦い、家臣も当主を守って奮闘し何人かは切り死にしており、結果的には当主は一命を取りとめ、犠牲は隠居の首をとられたということになります。 家臣に死者が出ている以上、家臣は腰抜けばかりということにもならず、奮戦した家臣は上杉家が引き取っていますから、この点でも落ち度はない。 時代は異なりますが、伊達政宗も実父の輝宗を見殺しにしていますし、真田信之の奥方は留守に訪ねてきた父親の昌幸に対し、「敵味方となった以上、義父といえども城に入れるわけにはいかない」と追い返すという話も残っており、この事件でも当主を生かすという点では成功しているので、「不届き」といわれるほどの咎はなく、後年の井伊直弼の首をとられた事件を見てもことが収まるまで謹慎程度が妥当ではなかったかと考えています、まして吉良家は公儀の指示通り動いているので、世評を慮った処置ということかも知れませんね。