緑の伸びとは?

このQ&Aのポイント
  • 日本語を勉強中の中国人が撮った写真には、長い道の左側の壁一面に広がる緑があります。
  • この緑は遠くまで伸びている道と同じように心の中にも広がっているように感じられます。
  • 「緑の伸び」というタイトルで、その広がりを表現することができるでしょう。
回答を見る
  • ベストアンサー

「緑の伸び」など

 日本語を勉強中の中国人です。私の撮った写真に名前をつけて保存しています。長い道の左側の壁一面に緑に覆われています。その緑は遠くまで伸びている道と同じように心の中にずっと遠くまで伸びている感じがします。「緑の広がり」だと緑の面積の拡大のようなイメージですね。そういう意味ではなく、距離の長さのことを言いたいと思います。「緑の伸び」というタイトルで私のこの意味を表すことができるのでしょうか。茂る緑の意味と取られるのでしょうか。「伸びる緑」はどうでしょうか。「緑の延長」はいかがでしょうか。ちょっと堅苦しいような気がします。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.1

>「緑の伸び」というタイトルで私のこの意味を表すことができるのでしょうか。 : 写真のイメージが、感性豊かに表現されていると感じます。 日常的にはあまり使われない表現ですが、それだけに独創的で素晴しいです。 >「緑の広がり」だと緑の面積の拡大のようなイメージ >「緑の延長」はいかがでしょうか。ちょっと堅苦しいような気がします。 : とおっしゃるの点については同感です。 >「伸びる緑」はどうでしょうか。 : 素直な表現ですが、こちらのほうがむしろ >茂る緑の意味と取られる : 可能性が高いでしょう。 他にもあるかもしれませんが、私は、この表現がベストだろうという気がします。 ◇ 1. >長い道の左側の壁一面に緑に覆われています。 →長い道の【左側にある】壁一面【が】緑に覆われています。 : a. 「の」でも特に問題はありませんが、重複を避けて「左側にある」とするとすっきりするでしょう。 b. 「壁一面に」とするのであれば、「緑【が】(覆いかぶさるように)茂っています」などのように続ける必要があります。 ここは、「壁一面【が】緑に覆われています」とするほうが自然でしょう。 2. >その緑は遠くまで伸びている道と同じように心の中にずっと遠くまで伸びている感じがします。 →その緑は、遠くまで伸びている道と同じように【私の】心の【奥深く】まで伸びている感じがします。 : a. 1- a と矛盾するようですが、ここは「の」の重複があっても「私の」を加えたほうがリズム感が良くなります。 b. 心の場合は、「遠くまで」よりも「奥深くまで」とするほうが適しているでしょう。 3. >「緑の広がり」だと緑の面積の拡大のようなイメージですね。 →添削なし。 4. >そういう意味ではなく、距離の長さのことを言いたいと思います。 →そういう意味ではなく、【あくまで距離として長く続いている状態を表現したい】と思います。 : a. 距離の長さ→距離として長く続いている状態。 言いたい→表現したい。 としました。 b. また、 『「面積」ではなく「距離」の意味を【徹底的に=絶対に】表現したいのです』 という意図を示すために、【あくまで】という語を加えています。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/2951/m1u/%E3%81%82%E3%81%8F%E3%81%BE%E3%81%A7/ 5. >「緑の伸び」というタイトルで私のこの意味を表すことができるのでしょうか。茂る緑の意味と取られるのでしょうか。 →「緑の伸び」というタイトルで私のこの意味を表すことが【できる】でしょうか。【それとも、】茂る緑の意味と【取られてしまう】でしょうか。 : a. 「のでしょうか」は「でしょうか」よりも[強い疑問の表現]になります。 この文では、前半は「表すことができるでしょうか」、後半は「取られてしまうでしょうか」と[純粋な疑問表現]にするほうが自然だと思います。 「~てしまう」は失敗の可能性を危惧する表現ですが、危惧の度合いが少ない場合は「取られるでしょうか」と表現しても大丈夫です。 「のでしょうか」は、ある種の切迫感を含んだ表現です。 かなり強い疑問が湧いた場合以外にはお使いにならないほうが自然な表現になるでしょう。 ・取られるでしょうか<取られてしまうでしょうか<取られるのでしょうか という順に危惧の度合いは強くなります。 b. その替わりに、「それとも」という接続詞を使うと収まりが良くなります。 6.   >「伸びる緑」はどうでしょうか。「緑の延長」はいかがでしょうか。ちょっと堅苦しいような気がします。 → 「伸びる緑」はどうでしょうか。「緑の延長」【というのも考えてみましたが、】ちょっと堅苦しいような気がします。 : ここは原文のままで構いません。 むしろリズム感があって良いかもしれませんね。 ただ、添削例のようにひとつの文にすると、締めの文として落ち着いた感じが出せるでしょう。   《まとめ》 長い道の左側にある壁一面が緑に覆われています。 その緑は、遠くまで伸びている道と同じように、私の心の奥深くまで伸びている感じがします。 「緑の広がり」だと緑の面積の拡大のようなイメージですね。 そういう意味ではなく、あくまで距離として長く続いている状態を表現したいと思います。 「緑の伸び」というタイトルで私のこの意味を表すことができるでしょうか。それとも、茂る緑の意味と取られてしまうでしょうか。 「伸びる緑」はどうでしょうか。「緑の延長」というのも考えてみましたが、ちょっと堅苦しいような気もします。 全体として大きな問題点はありません。 自然度は92%です。   

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。何日ぶりに「教えてGOO」で書くのですが、デザインが変わったことに気づきました。字がとても小さくて、見づらいです。断固として前のほうが好きです。ご意見は大変参考になりました。質問文の添削にも感謝いたします。とても助かりました。まだよくわからないところがあります。もう一度教えていただけないでしょうか。

awayuki_cn
質問者

補足

1. >>その緑は遠くまで伸びている道と同じように心の中にずっと遠くまで伸びている感じがします。 →その緑は、遠くまで伸びている道と同じように【私の】心の【奥深く】まで伸びている感じがします。 b. 心の場合は、「遠くまで」よりも「奥深くまで」とするほうが適しているでしょう。 添削後の文章の意味は私の表したい意味とちょっと違います。「心の中にずっと遠くまで伸びている感じがします」の意味は私の心が起点で、そこからずっと遠くまで(私の心以外のところまで、たとえば、あなたの心までとか)伸びている感じがします。hakobuluさんの意味だと、その緑は私自身の心の奥のほうに伸びているという意味になってしまいますね。ようするに、緑を吸収するのではなく、緑を発散します。 2. >→そういう意味ではなく、【あくまで距離として長く続いている状態を表現したい】と思います。 また、 『「面積」ではなく「距離」の意味を【徹底的に=絶対に】表現したいのです』 という意図を示すために、【あくまで】という語を加えています。 私はいつも「あくまで」を「ただ~すぎない」の意味と理解しています。よく見かける「あくまで私見です」は謙遜の言葉だと思っています。もし「あくまで」は「徹底的に=絶対に」という意味であれば、とても傲慢な言い方になるような気がします。でも、辞書も【徹底的に=絶対に】のように説明しています。「あくまで」のニュアンスはわからなくなりました。なんだか急に語気を和らげるための言葉から強い語気を持つ言葉に変わったような気がします。

その他の回答 (7)

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.8

#7です。 どうも説明があやふやだったので、別の切り口で述べてみます。 1. 「それは、あくまで私の責任です」は、 「それは、あなた(他の人)の責任ではありません」と同じ意味です。 「それは、あくまで私の責任です」は、 「私の責任であること」を強調すると同時に、 「あなた(他の人)の責任ではないこと」を婉曲的に(=遠回しに)表現しています。 責任を強く感じているような相手に対して、 「それは、あなたの責任ではありません」と直截的に述べるよりも、 「それは、あくまで私の責任です」と述べたほうが、相手の責任というものに関して遠回しに触れることになるため、婉曲的な(=柔らかい)印象を与えます。 2. 「あくまで私見です」は、 「学術的な意見ではありません」と同じ意味です。 「あくまで私見です」は、 「私見であること」を強調すると同時に、 「学術的な意見ではないこと」を婉曲的に(=遠回しに)表現しています。 「学術的な意見ではありません」と直截に述べても良いのですが、 この場合、「私見であること」を強調する意図が薄れてしまいます。 また、「学術的な意見ではない=正確性に乏しい」という印象も与えます。 「正確性に乏しい」ということ(=マイナスな要素)を婉曲的に言いたい場合の表現でもあるわけです。 3. 「あくまで〇〇」は、「〇〇であることを強調すると同時に、〇〇でないことを婉曲的に示す表現」とお考えになって良いと思います。 4. 今回のご質問に即して考えてみると、該当箇所は、 「(しかし、)面積の拡大の意味ではありません」と表現することも可能です。 しかし、この内容を 「そういう意味ではなく、あくまで距離として長く続いている状態を表現したいと思います」 のようにすると、 距離の意味であることを(徹底的に)強調することで、同時に、面積の意味でないことを婉曲的に表現できます。    なぜ、婉曲的に表現する必要があるのか、と言えば、「面積の拡大の意味ではありません」が、読者の解釈に対する懸念の要素を持っているために、直截的に明記しないほうが好ましいからです。 この意味では、「そういう意味ではなく」ではなく「そうではなく」とすると、さらによくなります。 「そういう意味だと誤解なさるかもしれませんが」という(読者に対する疑念の)ニュアンスを和らげる効果につながるからです。 『「緑の広がり」だと緑の面積の拡大のようなイメージですね。そういう意味ではなく、距離の長さのことを言いたいと思います』 という原文は基本的には正しい表現なのです。 「あくまで」を添えると、一層効果的な表現になる、ということです。       

awayuki_cn
質問者

お礼

 何度もご親切に教えていただきありがとうございます。わかるようになりました。「あくまで」はとても日本的な表現ですね。勉強になりました。機会がありましたら、使ってみます。本当にありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.7

#5です。 >>「語気を和らげるのか強めるのか」は、「否定するか肯定するかの違い」によって生じるのでしょうね。 『「面積」の徹底的否定=「距離」の徹底的肯定』という構図になりますが、後者の肯定を優先して「あくまで距離~」とすると柔らかい表現に感じられるわけです。 「あくまで」は『婉曲的な強調』とお考えになって良いと思います。 1. >『後者の肯定を優先して「あくまで距離~」とすると柔らかい表現に感じられるわけです』はどういう 意味でしょうか。まだよくわかりません。 : 基本的に「否定表現」というもの自体が柔らかい表現とは受け止められづらい、ということです。 この箇所は、 「そういう意味、つまり、緑の面積の拡大のようなイメージではありません」 と表現することもできます。 ただ、このように「ありません」という否定形で文を終わるよりも、 「そういう意味ではなく、距離として長く続いている状態を表現したい、と思います」 と肯定形で終わるほうが、同じ内容を言っていても、柔らかい印象になります。 さらに、 「そういう意味ではなく、あくまで距離として長く続いている状態を表現したい、と思います」 のようにすると、柔らかい印象ながらも強調した表現になります。 肯定文であることで柔らかい(=婉曲的な)印象を与えると同時に、「あくまで」という言葉で「徹底的に距離として(=絶対に面積ではない)」という印象を与えることができる(=婉曲的強調になる)わけです。 もうひとつ別の例をあげてみます。 仕事上で、淡雪さんに何か問題が起こって、それに対して同僚が援助を申し出たとします。 淡雪さんは、独力でそれを解決したいので、その申し出を断わることにします。そして、 「これは、あくまで私の問題です」 と言います。 「これは、私の問題です」 でも同じ意味になりますが、 あくまで(=徹底的に)という言葉を使っているぶん、強調した表現になります。 また、「あくまで」という言葉があるだけに、この文は、 「これは、あなたの問題ではありません」 という意図を強く含んだ表現になります。 同じ意味になりますが、「これは、あなたの問題ではありません」と直截的に言うよりは婉曲的な表現になります。 >「あくまで」は『婉曲的な強調』 :と前回述べたのは、このような意味です。 2. 辞書の用例「あくまで頑張る」はどういう意味でしょうか。また「あくまで」の後ろに「も」をつけると、「あくまで」の強調になるのでしょうか。まだ婉曲的でしょうか。 : 「そういう意味ではなく、あくまでも距離として長く続いている状態を表現したい、と思います」 という表現になっても、『「あくまで」自体の意味』は1と同じです。 ただ、「あくまでも」は「あくまで」を強調した言い方です。 「こんなにあなたを愛している」 よりも、 「こんなにもあなたを愛している」 が強調された表現であるのと同じです。 説明は下手で申し訳ありません。 不明点は懲りずに補足なさってみてください。 新たな切り口でご説明することで、ご理解の参考になる場合もありますので。     

awayuki_cn
質問者

お礼

 たびたびありがとうございます。「婉曲的な強調」の意味は理解できました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.6

#3です。 >「連延」と「影壁」は何と読むのでしょうか。辞書には載っていません。 連延[れんえん](1)つらなりのびること。(2)のびのびになること。(「広辞苑」) 連延[れんえん](1)連延、蜿延、切連不断地伸延。(机械工業出版社「日漢大辞典」) 影壁[えいへき](1)中国建築で、壁面に人物、山水などの形を盛り上げて作った壁塑(へきそ)。(2)中国の家屋で、門を入った所にある目隠しの障塀(しょうへい)。影塀。(小学館「国語大辞典」)

awayuki_cn
質問者

お礼

 ふたたびありがとうございます。よくわかりました。「影壁」は中国と関係がある言葉なのですね。勉強不足でした。本当にありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.5

#1です。 1. >>その緑は遠くまで伸びている道と同じように心の中にずっと遠くまで伸びている感じがします。 →その緑は、遠くまで伸びている道と同じように【私の】心の【奥深く】まで伸びている感じがします。 b. 心の場合は、「遠くまで」よりも「奥深くまで」とするほうが適しているでしょう。 添削後の文章の意味は私の表したい意味とちょっと違います。「心の中にずっと遠くまで伸びている感じがします」の意味は私の心が起点で、そこからずっと遠くまで(私の心以外のところまで、たとえば、あなたの心までとか)伸びている感じがします。hakobuluさんの意味だと、その緑は私自身の心の奥のほうに伸びているという意味になってしまいますね。ようするに、緑を吸収するのではなく、緑を発散します。 : なるほど、よくわかりました。 私が淡雪さんの意図をよく理解できていなかったようです。 それでしたら、「心の中で」とすると良いでしょう。 「心の中にずっと遠くまで伸びている感じがします」という場合の「に」は、「まで」という語があるために、『「心」は(起点ではなく)「帰着点」である』という印象を与えてしまいます。 「その緑は遠くまで伸びている道と同じように、心の中【で】ずっと遠くまで伸びている感じがします」 のようにすると、「心象風景としての緑の伸び」を、起点という意図も含めて表現することができます。 「で」には帰着点という要素は含まれていないので、起点と解釈することも可能である、ということです。 2. >→そういう意味ではなく、【あくまで距離として長く続いている状態を表現したい】と思います。 また、 『「面積」ではなく「距離」の意味を【徹底的に=絶対に】表現したいのです』 という意図を示すために、【あくまで】という語を加えています。 私はいつも「あくまで」を「ただ~すぎない」の意味と理解しています。よく見かける「あくまで私見です」は謙遜の言葉だと思っています。もし「あくまで」は「徹底的に=絶対に」という意味であれば、とても傲慢な言い方になるような気がします。でも、辞書も【徹底的に=絶対に】のように説明しています。「あくまで」のニュアンスはわからなくなりました。なんだか急に語気を和らげるための言葉から強い語気を持つ言葉に変わったような気がします。 : a. 『「あくまで」を「ただ~すぎない」の意味と理解しています』という解釈は間違ってはいません。 ただ、その構造をよく理解する必要があります。 おっしゃるように、「あくまで私見です」は、結果として「ただ(=単に)私の意見にすぎません」という意味になります。 しかし、「あくまで=ただ~にすぎない」と、わざわざ宣言する目的は、「学術的な根拠は全くないこと」を伝えるためです。 つまり、「あくまで=ただ~にすぎない」は、 学術的な意見であることを徹底的に否定しているので、これほど謙虚な表現はありません。(むろん、不用意に使えば嫌味になりますが) 「私としては、あくまであなたの意志を尊重する」という例を考えてみましょう。 これは、 「私としては、徹底的にあなたの意志を尊重する」 ⇒「私としては、ただ(=ひたすら)あなたの意志を尊重する(にすぎない)」 という意味に違いはありません。 ただ、その本質には、 「私としては、自分の意志は全く尊重(重視)しない」 という意図が含まれています。 『自分の意志を徹底的に無視する裏返しとして、あなたの意志を徹底的に尊重する』 という構図です。 「あくまで私見です」は、 「(この意見は)学術的な意見であることを徹底的に否定する裏返しとして、全く個人的な私の意見である」 という構図です。 ご質問に即して述べてみると、 「あくまで距離として長く続いている状態を表現したい」は、 『「面積」であることを徹底的に否定する裏返しとして、「距離」の意味を徹底的に表現したい』 という構図になります。 つまり、「あくまで」を使うことによって、「絶対に距離の意味を表現したい」という意図を伝えることができるわけです。 b. >『なんだか急に語気を和らげるための言葉から強い語気を持つ言葉に変わったような気がします』 : おっしゃることはよくわかります。 「語気を和らげるのか強めるのか」は、「否定するか肯定するかの違い」によって生じるのでしょうね。 『「面積」の徹底的否定=「距離」の徹底的肯定』という構図になりますが、後者の肯定を優先して「あくまで距離~」とすると柔らかい表現に感じられるわけです。 「あくまで」は『婉曲的な強調』とお考えになって良いと思います。 上手く説明できたか自信はありませんので、腑に落ちないようでしたら、ご遠慮なく、さらに補足なさってみてください。   

awayuki_cn
質問者

お礼

 ふたたびありがとうございます。1はすっきりいたしました。「あくまで」に対する理解はまだ曖昧です。「あくまで」は語気を和らげるための言葉なのか、強い語気を持つ言葉なのか、いまひとつよくわかりません。もう一度教えていただけないでしょうか。

awayuki_cn
質問者

補足

>「語気を和らげるのか強めるのか」は、「否定するか肯定するかの違い」によって生じるのでしょうね。 『「面積」の徹底的否定=「距離」の徹底的肯定』という構図になりますが、後者の肯定を優先して「あくまで距離~」とすると柔らかい表現に感じられるわけです。 「あくまで」は『婉曲的な強調』とお考えになって良いと思います。 『後者の肯定を優先して「あくまで距離~」とすると柔らかい表現に感じられるわけです』はどういう意味でしょうか。まだよくわかりません。 辞書の用例「あくまで頑張る」はどういう意味でしょうか。また「あくまで」の後ろに「も」をつけると、「あくまで」の強調になるのでしょうか。まだ婉曲的でしょうか。

  • kentaulus
  • ベストアンサー率60% (1064/1746)
回答No.4

淡雪さん、こんにちは。 「緑の伸び」、「伸びる緑」は簡単明瞭なタイトルなので悪くはないのですが、 そのー、風情とか情緒が感じられないかなー と思います。 私がタイトルを付けるとしたら 「伸び行 ( ゆ ) く緑」とか、「伸び行 ( ゆ ) く緑のカーテン」にします。 壁を覆う蔦が、まるでカーテンの様だからです。 「行く いく」と、「行く ゆく」の違いは、 「行く いく」が現代語、「行く ゆく」は古語です。 意味は、ほぼ同じです。 ( 少しニュアンスの違う部分も有ります。) 古語を使うことで、過去から現在、そして未来までの「長い時間」を表現しています。 「行く ゆく」は古語ですが、現在でも慣用句などで使われています。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%82%86%E3%81%8F&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=22882718764400 「緑の広がり」は、草原を想像します。 「緑の延長」は、説明ならOK。 タイトルとしては X かな。 すみません。個人的な意見です。  (^ ^;) 汗 ----------------------------------------------------------------------- 日本語の修正箇所です。 *  誤 - 長い道の左側の壁一面 [ に ] 緑に覆われています。 正 - 長い道の左側の壁一面 [ が ] 緑に覆われています。    基本文形は、主語「壁」が ( or は ) + 動詞「覆われている」  ですね。 これに修飾語を加えて、壁が + 修飾語「緑に」+ 覆われている となります。 * 距離の長さのことを言いたいと思います。 「言いたい」でもOKです ( 正しい使い方です ) が、 「指 ( さ ) したい」にすると、より自然な日本語になると思います。  指示の意味の「指す」です。 または「示 ( しめ ) したい。」でも良いかと思います。  提示の意味の「示す」です。

awayuki_cn
質問者

お礼

 kentaulusさん、こんにちは。ご丁寧に教えていただきありがとうございます。風情や情緒が感じられる文が書きたいと思います。亀のように頑張ります^^。kentaulusさんの例もとても参考になりました。私の文章のよくないところをどんどん遠慮せずに指摘してくださいね。むしろこのほうが嬉しいです。質問文の添削にも感謝いたします。今度気をつけます。本当にありがとうございました。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.3

「伸び」のような、その意味するニュアンスがたくさんある単語一つだけで、このような情景を表現することは、受け止める側に少し違和を引き起こしかねないでしょう。 まずは相手に一番分かってもらい易そうな文章を書き出し、それから短縮表現を推敲する方が安全です。 左の石垣側は木々の緑に溢れ、切り立った壁となってどこまでも続いている。 木々で一杯の石垣の連なる左手は、彼方へと続く緑の壁を成している。 その垣根は、まさに遠近法そのものとなって彼方へと収斂する緑の延長であった。    ↓ 遥か彼方まで連延する緑の壁 緑が彼方まで連なる影壁    ↓ かなたまで連延する緑の壁 かなたへと連なる垣の緑 遠近を映す緑の延長 緑なす塀は続くどこまでも

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。壁や石などの表現はなるべく出ないようにしたいと思います。ご意見はとても参考になりました。いろいろな表現を習得しました。まだすっきりしていないところがありますが、もう少し教えていただけないでしょうか。

awayuki_cn
質問者

補足

「連延」と「影壁」は何と読むのでしょうか。辞書には載っていません。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.2

#1です。 申し訳ありません。 訂正が2つあります。 1. ×とおっしゃるの点については同感です。 〇とおっしゃる点については同感です。 2. ×他にもあるかもしれませんが、私は、この表現がベストだろうという気がします。 文脈上、『「この表現」は「伸びる緑」を指している』と受け取られかねない不適切な構文でした。 『他にもあるかもしれませんが、私は、「緑の伸び」という表現がベストだろうという気がします』 と訂正いたします。 いつもすみません。     

awayuki_cn
質問者

お礼

 ふたたびありがとうございます。了解いたしました。お気になさらないでください。

関連するQ&A

  • ばねの伸びの問題です。

    よろしくお願いします。センター試験の過去問です。P22 9 問題は 質量mのおもりを鉛直につるすとき、lだけ伸びる軽いばねがある。このばねの両端にそれぞれ質量mで一辺の長さLの立方体のおもりをつなぐ。このときのばねの伸びを求めよ。 です。 私は2lだと思いました。 質量mでl伸びるのならば、両端におもりをつけているので、合計2mgの重さがかかっているので、伸びは2lだと思いました。 ですが、解答は、lでした。どうしてでしょうか。 解説には、 重力加速度の大きさをgとして、右側のおもりに働く力のつり合いを考えると、このおもりが受ける張力の大きさはmgである。したがって、このときのばねののびはlである。なお、左側のおもりに働く力のつり合いを考えても同じ結論が得られる。また、このときのばねの伸びは、ばねの左端を壁に付けても変わらない。つまり、mのおもりをばねに鉛直につるした状況と同じなので、lだけ伸びると考えることもできる。 とありました。 が、この解説の意味がまったくわかりません。 解説のいうように右側だけを考えるとl伸びる。左側のおもりだけを考えるとl。だから、結局2lではないんでしょうか? また、後半のばねの左はしを壁に付けた状態と同じというのもどうしてかわかりません。 勉強不足だとは思いますが、アドバイスをいただけるとうれしいです。 補足が必要であればさせていただきますので、よろしくお願い致します。

  • 「しめたとばかりに」と「建物の壁で尽きるところ」

     日本語を勉強中の中国人です。下記の文に理解できないところがあるのですが、教えていただけないでしょうか。 「橋のたもとにあるちっぽけなゴンドラの舟着き場に接したレストランの椅子・テーブルが、道が少しでもふくらんでいると、しめたとばかりにはみ出していたり、さらには運河沿いの道が建物の壁で尽きるところまで歩いていくと、……。」 1.「しめたとばかりに」の意味。 2.「運河沿いの道が建物の壁で尽きるところまで歩いていく」の意味。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 沖縄の言葉で「つながり、広がり」を表す言葉は?

    沖縄の言葉で「つながり、広がり」を表す言葉は? 近々、カウンセリングのセッションルームをオープンさせる予定でして、名前を考案中です。 「つながり」は人々や物事、自然・大地・宇宙との繋がり、「広がり」は、そのつながりの広がりや、意識の拡大、また、可能性の広がり、などのイメージです。 個人的に沖縄(とくに八重山地方)がとても大好きなので、セッションルームの名前に沖縄の言葉を使えたらいいなと思っています。 沖縄の言葉で「つながり」や「ひろがり」を意味する言葉、または「つながり」や「ひろがり」をイメージさせるような単語をご存知でしたら教えてください。

  • 「細い道」と「狭い道」、「小道」二者との違い

     日本語を勉強中の中国人です。「細い道」と「狭い道」、「小道」二者のイメージはどのように違うのでしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただけれ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 「ペタッと」という擬態語の意味を教えてください

     私は日本語を勉強している中国人です。  「水色は壁のようにペタッとして単調な色ですが、空色は遠くにあるような印象の、かすかに哀調を含んだ色です。」  上記の文の中の「ペタッと」という擬態語の意味についてお聞きします。辞書を引きましたが、見つかりませんでした。「ペタッと」とはどういう感じなのか、教えていただけないでしょうか。  また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも教えていただければ大変ありがたいです。よろしくお願いいたします。

  • 「細い道」と「狭い道」の違いについて(再考)

     日本語を勉強中の中国人です。「細い道」と「狭い道」についての私の理解ですが、正しいかどうかご指摘いただけないでしょうか。(前回の質問もご参考になさってください。http://okwave.jp/qa/q8120334.html)  「細い道」は精神的な高度、こころの、自然のなかのような感じがするのに対して、狭い道は単に物理的に物質的な感じで、不快感を伴うことも可能です。  「細い道」に「長い」という意味もあるかと思われますが、「狭い道」は「長い」というメッセージが含まれていないような気がします。ちなみに、「細長い道」とも言うでしょうか。  子どもが紙に絵を書いたとします。大人に説明するときに、絵のなかのあるところを指して、「ここに細い道がある」と発したとします。この場合は「狭い道」とは言いませんね。子どものこころのなかのイメージを絵にしたので、心理的な感じを「細い道」で表現したでしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 日本人の方のご回答をお願い致します

    日本語を勉強中の中国人です。エレベーターの奥の壁に一面に大きな上半身までの鏡があります。皆さんはどんな反応でしょうか。奥まで歩いていってドアが開くまで鏡のなかの自分を見ますか。自分が鏡を見ていることを他人に見られたら気になさいますか。恥ずかしいでしょうか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 「道を極める」について

     日本語を勉強中の中国人です。次の文についてお伺いします。 「同じ素材を、違った角から攻め込んで道を極めたというのが日本料理である、といっても過言ではないのである。」 1.「道を極める」の「極める」の読み方は「きめる」と「きわめる」のどちらなのでしょうか。 2.「道を極める」の意味がよく理解できないので、教えていただけないでしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 「とれようという広さ」の意味

     日本語を勉強中の中国人です。下記の文に理解できない言葉があるのですが、教えていただけないでしょうか。 「……、面積にしてちょうど100万坪は、ゆったりとしたゴルフ場の何コースかはとれようという広さである。」  文中の「とれようという広さ」とはどのような広さを指すのでしょうか。「とれる」の意味がよくわかりません。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 「×」の意味

    日本語を勉強中の中国人です。「×」というマークは「と」という意味があるのでしょうか。たとえば、アルバムの表紙に「田中花子×鈴木太郎」と表記したら、2人で一緒に歌うという意味になるのでしょうか。住所表記のB道(×A道)だと、当該住所はA道に近いという意味でしょうか。 また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。