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人類存続の是非(真に重大な唯一の問題)

noname#21441の回答

noname#21441
noname#21441
回答No.11

人間や生物そして宇宙の存在理由について私見を述べます。私がこれまで読書や人生経験によって 直感的につかんだ思想です。つかんだというよりも自然に悟った哲学です。荒唐無稽で証明する ことの不可能な説ですが、私はこの思想に支えられて日々生きています。 進化とは大いなる宇宙意志の自己認識の旅のことだと思っています。真実在が有形化して物質から 生命へと進み、獣性をしだいに脱皮して神性の高みへと向上していく。無から有へ、そして獣から 神へ、そのはてしない旅。 人類は進化のデッドエンドではないと思っています。人類はまだまだ進化します。精神的なもの への感知能力がもっともっと向上します。真と偽・善と悪・美と醜・聖と俗・貴と卑、そういうも のを、色を見分けるように、音を聞き分けるように、万人が個人差なく識別するようになります。 そうなれば法律も不要になります。政治や経済の世界で日々起こっていることは、まだサル山の ボス争い・エサ争いの域をすこしも超えていません。 けれど個人としての人間は獣ではありません。かなりの神性の高みに進んでいます。個人が群れて 企業なり国家なりになったとき、エゴイズムとセクショナリズム丸出しの獣に成り下がってしまう のです。 人気を博しているテレビドラマや映画で、人間の愛がテーマとなっていないものは、ひとつもあり ません。打算と策略で政治的・経済的成功をおさめたなどという物語は、誰も感動しません。 自分本位のこころの罪に気づき、家族・友人・恋人・同朋のために自分の力を捧げる。そういう物 語にだけ、人は感動します。 生命(いのち)の本質は愛だと思います。男女間の恋愛感情のことではありません。あれは強烈な 独占欲です。相手を自分に縛り付けるエゴイズムです。本当の愛とは、いのちといのちの親和力、 魂と魂の親和力のことだと思います。それは自己犠牲精神ではなく相手への共感・同朋愛です。 相手のなかに自分自身や自分自身のあやまちを見るから、相手を愛することができるのです。 同胞愛によって協力しあった種のみが進化の道程を前に進んできました。 愛を感知するのは生命(いのち)だけです。生命エネルギーはただ愛によってのみ活性化されます。 生命エネルギーは物理学的因果律を超越しています。われわれ生物は物理化学法則の奴隷ではあり ません。我々は真に自由なる存在です。未来は不確定です。だからこそ宇宙の存在意義があります。 唯物論者に愛が見えないのは当然です。自分の魂の冷却化・岩石化に気づかず、落伍しかかっている 人たちです。(けれど神の愛はこういう人を見捨てたりはしません。かならず契機は与えられます) 神の愛は時空を超えています。人は死んだら神の愛へと回帰していきます。神のこころに個我はあ りません。そういう意味では死後の生はありません。魂の個別性は消失します。 人間がこの世に生まれてくる目的はただひとつ、愛ふかき人になるためです。おもいやり深き人に なるためです。個人的成功をおさめるためではありません。知識をいくら詰め込んでもその人の 霊性は1ミリたりとも向上しません。かえって自尊心や他への軽蔑心を肥え太らせるだけです。自分 が家庭や職場で日々接する人々(旅のパートナー)と、いかに愛ある交流ができるか。いかにして こういうオカルト的説教や個人批判によらずして、愛をわかちあえるようになるか。(もちろん自分 自身も含めて)それだけが真に大切なことです。私はこういう思想を抱いて日々生きています。

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