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人は人のために生きる以外に何のために生きる道があるというのでしょう。

人は人のために生きる以外に何のために生きる道があるというのでしょう。 このとき、「人」とは自分も他人も含めた一くくりの「人」です。 「人」を自と他に分けることに、大した意味などありません。 それでも人を自と他に分けたがる傾向があるようですが、本来ひとつのものを分けようとするから苦悩が始まるというものです。 自のみを大事にし他を切り離す。そんな人がいずれおとずれる自の死を前にして自の敗北を感じない筈がありません。 この考え方は間違っているでしょうか。

みんなの回答

回答No.4

>自己が他者に働きかけて相手の状態を変える  自のみを大事にし他を切り離す。そんな人がいずれおとずれる自の死を前にして自の敗北を感じない筈がありません。

noname#119990
質問者

お礼

ご回答いただきまして誠にありがとうございます。 たいそう偉そうな質問をしてしまい、少し後悔しています。 かくいう私は日常の忙しさにかまけている俗物でございます。 あまりに理知に富んだ皆さまのご回答に対し、適したお礼を申し上げる言葉もございませんが、ご回答ありがとうございました。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.3

自己が他者に働きかけて相手の状態を変えると、その相手の状態の変化が自己に影響を及ぼし、前の自己ではない新しい自己の状態が生まれる。そして、その新しい自己が改めて他者に働きかけ、それが再び変化した他者からの影響でまた新しい自己を発見する。結局自己の変化が他者を仲介にして自己の新しい変化を誘発する。このグルグル回る影響のことを、複雑系を取り扱う数理科学では、自己触媒効果と呼んでいる。自己触媒効果はその系を不安定にして、以前の状態に留まっていることが出来ずに全く新しい安定構造に収斂して行こうとする。そのように自己触媒を通した非線形過程は、その系に全く新しい構造を創出するための最も基本的な原理なんだ。だから、自己と他者の相互作用系では自己と他者を部分系として分けてしまっては理解出来ない新しい総体としての性質を手に入れることができる。別の言い方をすると全体は部分の単なる総和ではないもっと大きな物なんだ。 だから質問者さんの考え方は的を射ているよ。我々の存在を理解するためには、そのような高度な非線形現象を認識する必要があることを理解していないと、#1さんのようなことを言い出してしまうんだね。

noname#119990
質問者

お礼

ご回答いただきまして誠にありがとうございます。 たいそう偉そうな質問をしてしまい、少し後悔しています。 かくいう私は日常の忙しさにかまけている俗物でございます。 あまりに理知に富んだ皆さまのご回答に対し、適したお礼を申し上げる言葉もございませんが、ご回答ありがとうございました。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

それでも人を自と他に分けたがる傾向があるようですが、本来ひとつのものを分けようとするから苦悩が始まるというものです。 自のみを大事にし他を切り離す。そんな人がいずれおとずれる自の死を前にして自の敗北を感じない筈がありません。 この考え方は間違っているでしょうか。 ○ 考え方は立派で正しいと思いますよ。 でもね、何故、個があり多数があるかをもっと深く考える必要もあるのですよ。人は遠い昔、1から分かれて複数になったことは霊的事実ですから、心情的に1から多へ回帰する傾向性はみな持っているのですね。自は他の一部であり、他はすなわち自である。難しいく言えば、自即他、多即自、一即多、多即一ですね。 人は互いに他のために働き、社会を形成しているわけですが、何故、自分や個性があるかですね。 自と他を分けた理由があるからですね。それは、個々が向上するためですね。比ゆ的に言えば、甚太郎飴の状態から個を切り離し、個々が新しい金太郎飴になることを「よし」としているからなのですね。 自らを伸ばし、他に報いる。これが「利自即利他」ですね。 この「利自即利他」の精神が基本なのです。 さて、 「人は人のために生きる以外に何のために生きる道があるというのでしょう。 」 この考えは、「利他」が主体ですね。これのみでは、個である意味が薄れるのですね。自分を伸ばしつつ他のために生きる、ですから、自分を伸ばすという観点がすこし希薄ですね。 正しい表現は、 「人は自分を伸ばしつつ人のために生きる。」が正しい表現ですね。 一つ理由を挙げて置くとすれば、人のために生きる自分が立派な精神を持っていないと、他の精神に迎合し自分を含めて他人も不幸にしてしまうからなのですね。互いに切磋琢磨してこそ、個と多数に意味があるのですね。 具体例で言えば、日本と中国の関係ですね。中国の間違いに対して日本がはっきり過ちを正さないと中国は間違いに気づかず、互いに不幸になるということですね。「利他」だけではだめなのですね。そのためには互いに学び、自国の精神を高めないとだめなのですね。現在はどちらの政府もだめでしょ。だめ同士が集まると結局、どちらの国民も不幸になりますね。つまり、日本には「利自」が欠落しているからですね。 ・・・・そういうことです。

noname#119990
質問者

お礼

ご回答いただきまして誠にありがとうございます。 たいそう偉そうな質問をしてしまい、少し後悔しています。 かくいう私は日常の忙しさにかまけている俗物でございます。 あまりに理知に富んだ皆さまのご回答に対し、適したお礼を申し上げる言葉もございませんが、ご回答ありがとうございました。

回答No.1

この質問大きな矛盾と間違いを・・・・自他のないところから回答のしようがなく・・・

noname#119990
質問者

お礼

ご回答いただきまして誠にありがとうございます。 たいそう偉そうな質問をしてしまい、少し後悔しています。 かくいう私は日常の忙しさにかまけている俗物でございます。 あまりに理知に富んだ皆さまのご回答に対し、適したお礼を申し上げる言葉もございませんが、ご回答ありがとうございました。

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