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同性愛カップルがどんなに愛し合っても結婚も出産も出来ない苦しみと、好き
同性愛カップルがどんなに愛し合っても結婚も出産も出来ない苦しみと、好きな人の子供を授かったのに好きな相手から『堕ろせ』と言われた苦しみは絶対値にしたらどっちが重くて疎外感がありますか?
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仮定の話をしてもつまらないのですが、 重さはその人のその時の気持ち次第でしょう。 元々諦めている人の気持ちと、 普通に得られるであろうと誤解してショックを受けるのとは違いますよね。 結婚出来ない子供が作れないと思い込むだけで終われるのならいいかもしれません。 結婚て入籍の事を言うだけなら、結婚をしたとは言えないでしょうし、形だけの結婚なんて意味はないですよね。 二人が寄り添い一緒に暮らせばそれは結婚している事になりますし、どちらの同性カップルでも血は繋がらなくても二人の子供として子供を産む事も育てる事も出来ます。 二人がどこまでの形を求めるかが二人の問題ですよ。 あまり世間一般の常識に捕らわれないのも生き方の一つだと思いますよ。
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好きな人からでしょうね。 生命の重さを考えるなら。 同性愛の場合は、はなから望めない事は 承知でしょうし年月をかければ覚悟も出来るでしょう。 この世の、国の創りでは同性婚は許されていませんけど 婚姻に拘る必要はないと思います。 男女でも事実婚があるのだから同性でも、あって おかしくない。 というかあって当然でしょう。 子供を作る事も生む事も出来ないが 家族は作れる。 疎外感は、どちらとも感じない。
- angel0331
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好きな人から 堕ろせといわれたら苦しいでしょうね。 同性愛の経験はないので本音の部分はわかりませんが 同性愛の方々を幾人か知っております。 その世界では、名の通った方々らしいですが たまたまひょんなことから知り合いまして 今までにいろんな話を聞かせてもらいました。 法的に婚姻が出来なくとも一緒に暮らせますし 財産などの問題は、養子縁組などで行う方法もあるらしいですが それは婚姻ではないとしている方もおられるようです。 ただ 皆さん大人ですから 希望は希望としてチャンスを待つているようです。 好きな人の子供が授かれない それは誰もが初めからわかっている事であり 締め付けられるほど苦しいものだと思えないのです。 同性愛という道を選んだ時点で わかっている話だと思います。 わかっていることを苦しみ嘆き続けるほど 彼らは愚かではないですよ。 好きな人と一緒にいる幸せをとり 子が持てない部分は、二人の愛で支え合えるのですから十分乗り越えていくと思います。 好きな人の子供を授かって 堕ろせといわれる場合 独りで悩み苦しむのですから これは地獄でしょう。 とわたしは判断します。
こんにちは。30代既婚女性です。 うーん…。 両方を経験できないから、比較しにくいけど… 私は後者、「おろせ」って言われるほうが重いと思います。 同性愛カップルについては、いろいろ辛いけどお互いの愛は本物ですよね。それゆえの苦しみというか。 後者の場合は愛してる人が、自分と子供を大切にしてくれてない、愛してくれてないって分かるってことですから。
重たいのは、堕ろせと言われた苦しみ。同性愛者の場合には、人生の長さだけ慣れてる部分もある。だけど疎外感は同性愛者。人生の長さだけ深まるばかり、かと。