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思考をとめて感情を感じきると、その感情は消えるといった事をよく聞く事が
思考をとめて感情を感じきると、その感情は消えるといった事をよく聞く事があるのですが、ニュアンスがよく分かりません。 例えば怒りの感情が起こった時に、客観的にあぁ今怒っているんだな、、と見つめてあげる事なのかな?と思ったのですが、合ってるでしょうか? 上記のようにすべての喜怒哀楽の感情をありのまま感じきるのがよい、という事に思えたのですが、私は怒りや悲しみといった感情は、そもそも避けたいという思いがあります。 例えば私は人前で話しをするのが下手で、失敗した時に、他人に馬鹿にされるのではないか、恥ずかしい、自分が情けない、という思いを感じる事に恐怖があります。 この恥ずかしい、情けないという思いを感じないよう、自分は今はそれでよくて馬鹿にする人が居たら、それは自分にとって不要な人なのだ、と思うようにしたいと思っているのですが、そのようにして避けようとする事はよくないのでしょうか?
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動物である自分と 理性的生物である自分が居る 理性的な自分が動物である自分を抑え込んで生活していると考える 例えば、怒りの感情が生じる 動物である自分がプンプンしている 理性である自分は、そいつに「おい怒るな。こら!」と 叱りつける 動物である自分はやっぱり動物であるので、なかなか静まらない。 理性である自分は、その静まらない自分をさらに抑えようとする。 そのせめぎ合いにより、怒りをずっと引きずるよりも ちょっとの間だけ、動物の自分に身をまかせて上げて、壁をガン!と叩かせる方が 動物の自分はすっきりするということです。 泣きたいときも、笑いたいときも同じ。 闇雲に抑え込んでもエネルギーは消えないし、 それこそ、「ああこいつ(俺)今泣いているんだなW。かわいい」 ぐらいの余裕がないと。 そこまでのレベルに行くには相当泣かないといけませんが。
- Coodro
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まずはじめにわかってほしいのは、思考と感情は切り離せないということです。「思考を止めて感情を感じきると、その感情は消える」というのは、思考と感情が全く別のものでなければ成立しません。けれど、実際はある対象に対してそれがどのようなものかを脳が分析して(思考して)から喜怒哀楽などの感情が出るのではないでしょうか。また、さらにその感情を分析(思考)して感情を止めるには、それを客観的な目で分析することが必要です。なので、思考を止めて感情を感じきれば感情は止まるといったことはあり得ません。元々の内容が非現実的であるため、ニュアンスが理解できないのも当然だと思います。 けれど、ここでの最大の問題はtoriton431211が人前で話すことが苦手でバカにされるのが心配というところにあるのだと思います。 人間には得手不得手があるので、話すのが苦手という人もいて当然です。なので、それをバカにしたりあざ笑ったりすることはとてもひどいことだと思います。(そのような言動をする人が、短絡的に、無用な存在だとは限りません) 自分の口から発してしまったことは取り返しがつきません。自分が言ったこと一つ一つを客観的に分析し、反省、そして確信を積み重ねながら常に挑戦する立場が必要だと思います。
お礼
”常に挑戦する立場”という心構え参考になりました。ありがとうございました。
なにごともバランスが大事ですよね。 人間の脳は三層構造で、呼吸や睡眠などの生命維持をつかさどる脳幹(別名「爬虫類脳」)、それを取り巻く大脳辺縁系(別名「中間的脳」とか「情動脳」あるいは「旧皮質」)、そして一番外側の高度な知的活動をつかさどる「大脳新皮質」という順に進化してきました。つまりですね、元々一つのまとまった脳として設計されたものではないということです。ですから、「情動脳」を「大脳新皮質」で抑え込もうとしても、反発が起きて、何もしなかった時より、かえって怒りや不安などの悪感情が長引いてしまうのです。森田療法で言うところの“思想の矛盾”です。 参考; http://global.yu-yake.com/2brokenh.htm http://green.ap.teacup.com/applet/forest2003/msgcate5/archive?b=40 http://www.ykren02.com/chap-b_07.html http://okwave.jp/qa/q1501381.html
お礼
専門的な情報をありがとうございました。理解できるか分からないですが、これから読みたいと思ってます。
- dai1000
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>例えば怒りの感情が起こった時に、客観的にあぁ今怒っているんだな、、と見つめてあげる事なのかな?と思ったのですが、合ってるでしょうか? それで良いと思いますが、それによって、すぐさま、その思念を消し去ることはできないと思います。 思念--->客観視--->他への集中--->再び思念--->客観視 こうした繰り返しを経て、徐々に薄くなって行くものだと思います。ま、実のところ、 思念--->客観視--->あるイメージ--->他への集中 という順でやると、頭の切り替えがもっと早くできる可能性があるのですけどね。 >私は怒りや悲しみといった感情は、そもそも避けたいという思いがあります。 避けるより、積極的に、客観的に感じてみよう、と、思った方が良いと思います。それがあるがままを受け入れるということではないかと思います。我を忘れて思念にしたがってはいけません。客観視が重要です。 ちなみに、個人的には、客観視とは、今、過去のレベルにくらべてどれくらい怒っているのか?とか、その水準を客観的に把握することから始めるようにはしています。 >例えば私は人前で話しをするのが下手で、失敗した時に、他人に馬鹿にされるのではないか、恥ずかしい、自分が情けない、という思いを感じる事に恐怖があります。 この場合。その場面ではうまく自分をコントロールするのは非常に難しいです。だから、その後、悔やんだりしだしたら、さきほどの、 思念--->客観視--->他への集中--->再び思念--->客観視 を実行に移せば良いと思います。問題なのは、その状況に直面したときより、その前などに出てくる予期不安ともいうべきものだと思います。人間の悩みとして苦しいのは、こうした、関係のないときに悩む苦しみだと思います。 >それは自分にとって不要な人なのだ、と思うようにしたいと思っているのですが、そのようにして避けようとする事はよくないのでしょうか? それでうまく、予期不安が解消されるのならそれでも良いと思います。
お礼
考えている事で、的外れでないように思えました。予期不安という言葉は知らなかったので勉強になりました。少し調べてみようと思います。ありがとうございました。
- 2886796
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他人の視線を気にするより、自分は自分らしく、思ったままの感情を出したっていいじゃないですか? 感情の赴くまま、何も考えないのもどうかと思いますが いちいちこれは、こういう感情で・・・などと、考えすぎることも精神衛生上良くない気もします バランスの問題かと・・・ 例えば、怒りの感情は、何も無いところからは生まれませんよね 何か、怒るような出来事があるからこそ生まれるものですよね、だとしたら 怒る自分がいたっていいじゃないですか、それに蓋をしてこらえてストレスをためるほうが不健康です 怒る感情を持つ自分を許してあげるのです。 そういう部分もふくめて自分なのですから 自分をもっと許し、愛してあげればいいでしょう。 不要な人というのはいないと思います、反面教師にできたりします、そうしても区別するなら尊敬できない人として区別すればいいと思います。
お礼
感情のバランスのとり方は難しいですよね。反面教師にするというのはいいですね。勉強になりました。
- バグース(@bagus3)
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たとえば怒りが起こったら、それはあなたの心が 怒っているんです。あなたが怒っているのではありません。 あなたは、心や頭脳とは別です。 心と一緒になって怒ってはいけません。 怒っている心を眺めていてください。 怒りを静めようとしなくていいです。 怒っている心を評価せず批判せず褒めもせず、 ただ眺めているだけにして、心とは離れた地点に 立つのです。 自然に怒りは消え去ります。心は幻だから。
お礼
分かり易い説明ありがとうございました。
お礼
感情に振り回されないという事なのかな、と思いました。アドバイスありがとうございました。