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カトリックについて

ray_rayの回答

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  • ray_ray
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回答No.2

こんにちは。 それぞれの質問は、実は1行や2行で簡単に説明できるような内容ではありません。すべてにきちんと回答したら書籍数冊分になってしまう大きなテーマなのです。 ですので、誤解せずに理解する必要があるのならば、キリスト教やカトリックに興味を持っている人向けに、神父さんが書いた書籍を参考にするとよいと思います。 金額的にもお手軽にということなら聖母文庫から出ている文庫本がお勧めです。わたしは下記の本を読みましたが、わかりやすくてお勧めですよ。 キリスト教と私:アルフォンス・デーケン神父著 キリスト教の常識:セラフィノ・フィナテリ神父著 キリスト教信仰案内講座1~5:ペトロ・ネメシェギ神父著 以上、ヨーロッパから日本に来た神父さんが、日本人との交わりの中で得た経験を踏まえてわかりやすくキリスト教のことを教えてくれます。洗脳も勧誘もされませんのでご安心を。 聖母文庫は大きな書店だとか(東京なら新宿のジュンク堂にあります)、教会に併設している売店、聖品を扱っているお店などで販売されています。 とはいえ、困り度が高いようなので、簡単に回答もさせていただきますね。 ただし、わたしも勉強中なので、あっているかどうか・・・若干自信なしです。 (1)人は死んだらどうなるのですか?   ==> いわゆる肉体的な死の後、キリストと同じように復活します。 わたしやあなたが今使っている身体と同じものが復活するのではなく、霊的な新しい身体での復活です(←ここポイントです)。聖書に、死んでから同じ肉体で生き返った人の記述がありますが、その人もいずれ再び肉体的な死は迎えるのです。復活というのは魂が今の身体に帰ってくることではありません。 (2)天国・地獄はありますか? (3)罪人に罰はありますか?   ==> あります。 ありますが、はっきりとした描写があるわけではないため、どんなものかは推測の範囲から出ていませんが、天国とは神と共にいて、神の顔を正面から見れる状態、地獄は神から離されている状態です。神から離れた状態になることがそもそも罰だと思います。 熱い湯でゆでられたりムチで打たれたりの一般的なイメージの地獄があるかどうかはわかりません。聖書にはよい麦は蔵へ、毒麦は炉で燃やしてというような表現もありますが、たとえ話ですからね、本当に燃やすのかどうかはわかりません。それに、このよい麦と毒麦も、別の人ではなく、ひとりの人の中によい麦と毒麦が両方あって絡み合っているという解釈です。もしかしたら煉獄で毒麦(に当たるものを)を焼く(消す)のかもしれないですね。 (4)してはいけない事、禁止事項の代表的なものはなんですか?   ==> 罪を犯すこと 法律的な罪・道徳的な罪ではありません。神に対する罪です。大罪・小罪というのがあります。大罪の有名どころは「人を殺すこと」でしょうね。神から授かった命を人がどうこうすることは禁止です。カトリックが堕胎を禁止しているのも殺人の禁止と同じ理由からです。胎児は「まだ生まれていない子供」です。受精して細胞分裂がはじまっていれば、おなかの中にいても、まだ知性が芽生えてなくても、それは人間です。 なお、正当防衛は有りとされています。自分の命は守らないと、ということで。また、自殺についても近年では病気と捉えている面もありますので罪ではないともいわれています。 (5)命は平等との考えですか?   ==> 人の命は神のもとにおいて平等です。 Aさんの命よりBさんの命の方が尊い、というような考え方はありません。 質問がざっくりなので、知りたいことにお答えできたかわかりませんので、また何かありましたら補足欄に書き込みください。 あ、ちなみにカトリックに種類はありませんよ。カトリックはカトリックです。お国柄の違いは出るかもしれませんけど、カトリックの教義は全世界共通です。

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