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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:初めて仏教を知るためにオススメの本。)

初めて仏教を知るためにオススメの本

grandjeteの回答

回答No.1

 奥深いテーマですが、まずはこんな著書はいかがでしょうか。  宗教世界地図 (新潮文庫)  石川 純一 (著)  初版は1997年ですが、特定の宗教に深入りせず、仏教の位置づけを含めビギナーの方にはオススメできるロングセラーの良書かと思います。仏教に特化した著書は学ぶ順番からしてこの本を読んでからでも良いかと思います。まずは「木を見る前に森を見て」全体像をイメージされてみてはいかがでしょうか。質問者様のように特定の宗派をお持ちでない方であれば偏見を持たずお読みいただけると思います。 AmazonのURLを添付します。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4101172218/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books
grindpsych
質問者

お礼

早速のお返事ありがとうございます。 木を見る前に森を見てとは正しく一理あると思いました。 レビューや紹介文を見た上での想像でしかありませんが、オススメして頂いた「宗教世界地図」は世界の宗教を絡めた社会情勢の関係をメインに扱っているものではないかと感じました。 その二つの要素が宗教を語る上で切っても切れない縁にあると言うのは良く解りますが、世界情勢と宗教の関係についてメインに取り上げているもので有れば、私の求めている物の趣旨から少々外れているかもしれません。 しかしながらその内容は大変興味深そうな物でしたので、是非とも購入させて頂きたいと思います。 貴重なご回答、ありがとうございます。

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