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女性も日本の神として数えられるの?
- 日本の神の数え方は男根に起因するという記述がありますが、女性は死後も神として数えられるのでしょうか?
- 別天津神と神世七代の内の最初の2代は「性別が明かではない独り神であり」、残りは男女の対で一代と数えているようですが、一代とする神様は一柱として数えられる神様とは別ものなのでしょうか?
- これらの疑問について、渡部昇一「日本史から見た日本人 古代編」に詳しく載っているかもしれません。
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渡部昇一氏の件の書は読んでいませんが、出典や論拠は示されていますでしょうか。説得力が無いゆえのご質問だと思いますが。学問に想像力は必須ですが、裏づけを取って初めて論として成立します。一般に広く浸透している論に対峙するならば、彼も客観性と説得力のある裏づけを取っているのだろうと思いたいのですが。 ご参考です。 神様の数え方 -神様は「1柱、2柱…」で数える。何で? http://www.hino.meisei-u.ac.jp/nihonbun/column/vol-01.html 助数詞から探る各国の文化 神様の助数詞は「柱」と「座」 「柱」で数える理由は古墳時代の「柱」祭祀? 上記URL記事に日本書紀は中国志向で書かれたので、「柱」を避けたとあります。「神」も避けています、『記』では天之御中主神、高御?巣日神etc.『紀』では天御中主尊、高皇?靈尊etc.です。 因みに、中国語の量詞(日本語の助数詞)には、 佛の場合・・・量詞は"尊" → 一尊佛 現代漢語では、神には量詞はなさそうです、古代は神=上帝で万物の最高位、数えるものではなかった? ご質問「更に言えば~」の件は、一般的な解釈は以下の通り。 とりわけ反論の考古的材料もなさそうですし、混乱か否かは措きましょう。 疑問であれば論拠を示して頂くとよろしいのですが。 別天津神 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A5%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%A5%9E 神世七代 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%B8%96%E4%B8%83%E4%BB%A3 日本の神の一覧・・・これら神々を祀る神社はおんな神も柱で数えます http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A5%9E%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
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- SPS700
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日本古代の説話には、女性の神様が重要な地位を占めています。アマテラスはその例で、これを除外するような学説は、臆説ではないでしょうか。 その著者だと、シャーマンは男性に限られるようですが、ヒミコという超一流のシャーマンも間違いなく3世紀の日本代表です。なんだか変な思いつきですね。
お礼
回答ありがとうございます。 無学ながら、勝手ワガママな事を言ってしまうと、「日本史から見た日本人 古代編」の中では論述を急ぐあまりはしょってしまっている点が多々あると思うのです。 私自身が今現状として思っている事は、 1.日本の神は性別不明+男女が対になっている所からスタートしており、男性のみが神様になれるというロジックは無い。 2.柱の例として、鋒を海に入れてかき混ぜたら島が生まれたという交配を暗喩する記述を出しており、鋒が男根である可能性もあると書いているのですが、それではその場合、海は信仰としてどうなっているかの記述が無い。 3.その場合男根は柱となったが、概念として必ず表現されている女性器はどこにいった? となるのですね。 まさか「座」というのが・・・。 という事で不足している記述の部分に対して疑問を持っているのです。 決して渡部氏の説を否定したい訳ではありません。疑問を解消したいのです。 >その著者だと、シャーマンは男性に限られるようですが いいえ、抜粋した私の質問文が悪かったのか、その書籍ではそのような表現はしていません。 通して読んで頂ければ分かると思いますが、男性限定のシャーマンという記述ではありません。飽くまで柱の語源は何か、という事で記述された説明でしたが説得力はあるように思われます。但し、その詳細や出典まで突っ込んでくれていないので、このQAのような疑問が出てくる事も否めないのです。 宗像三女神・神功皇后も柱と数えられている為、ちょっと苦しいように思われるのですね。 宗像三女神 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%83%8F%E4%B8%89%E5%A5%B3%E7%A5%9E 神功皇后 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%8A%9F%E7%9A%87%E5%90%8E 日本神話以前のシャーマニズム・アミニズムとして形成されたのかと言う作業仮説を立てれば、その後変遷があって男女対となる神話形成に変質し、柱の数え方だけが残ったという説明ができるのですが、この辺がもやもやしているのです。 余談ですが、神という視点において、女性が男性に対して異質ではあったが同格であった、という認識で現状話しています(男女のどちらが上という事は無い)。 この点で「ヒミコ」については、男女神性差の例に挙げる人物として、日本神話に連ねる人物かどうかは精査を待たねばいけないと思うのです。 元々「ヒミコ」は正史三国志の魏書東夷伝倭人条(通称魏志倭人伝)の2000文字前後の文章だけを以って事実としている事、卑弥呼はその漢字から蔑称とも捉えられる事、そもそも正史は正しいのか? という所で原点に戻らねばならない所が多々あります。 渡部氏の同著からの引用で大変恐縮ですが、中国での正史の例として明の時代の日本伝を次のように挙げています。 -----引用開始----- 倭寇や秀吉の朝鮮出兵のため、日本に対する関心がひじょうに高まり、日本に関する情報もうんと増大したはずの明の時代の日本伝は、次のような調子のものだという(岡田氏による)。 「日本にはもと王があって、その臣下では関白というのが一番えらいのだった。当時関白だったのは山城守の信長であって、ある日、猟に出たところ木の下に寝ている奴がある。びっくりして飛び起きたところをつかまえて問いただすと、自分は平秀吉といって、薩摩の国の人の下男だという・・・」 十六、七世紀にこういう正史を書く習慣の国の人が、三世紀の日本について何を書いたところで、史実として信用できるわけはない。 -----引用終了----- これも出典が明記されておらず、調査を必要とするのですが、これが事実であるならばたしかにその通りで、ヒミコを神話に並べようとすると日本書紀や古事記などの他の文献とつき合わせなければならないと思うのです。しかし、現状ヒミコの存在は正史三国志を基点としており、その内容についての正確性も問わなければならないと考えるのです。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ANo.1 booter さんもご存じの通り、柱とか高い樹木、そして塔(これはインドでも中国でもトウ、英語でもタワー)は雲も摑むが気や霊を寄せ、依り代ともされてきました。 梵、漢、和というシルクロードの最後の終着点、日本。 いろいろ創造を絶する古代からインドやオリエントの思考が伝わりました。 そういう中で日本には脊柱という語もずぅっと後ですが生まれます。 頭は東方で一番聖なる域。尾骶骨は南なんです。それぞれ西も北もありますが省きます。 そういう脊柱を柱とみる、つまりアンテナや依り代と観る見かたから、神の座、鎮まり方を数えるときに柱を使うという話は、盧溝橋事件で大尉であった、ラージャのヨガの先達さんに聞いた事があります。 一応ご参考までに。このかたはその後非制服の参謀として中国の隅々を歩かれました。
お礼
回答ありがとうございます。 柱=脊柱説ですか。初めて聞いて新鮮でした。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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日本の神を柱という観念で観る観かたはペニスなどとは全く無関係です。
お礼
日本神話が形成された頃のシャーマニズム・アミニズムにおける男根崇拝と柱での数え方というのは無関係であるという事で、これは渡部さんの推論だという事ですね。 回答ありがとうございます。
補足
不出来な質問に回答して下さりありがとうございます。 柱と男根崇拝の関連については、質問に挙げた書籍では出典が載っておりません。 かと言って、これを肯定・否定する文献も見つからないのが現状です。 紹介頂いたURLを見ました。 墳墓に立てた柱が関連するとの事で説得力があります。 こちらも機会があれば、渡部氏の説と同様に調べてみようと思います。 ・別天津神、神世七代については性別が不明、あるいは一代につき男女で性別が判別しており、とりわけ男のみが男性という訳ではない。 ・女性の神様もちゃんといる。 という事で「柱」=「男根」とならないのか、と思っていますが、一つ気になる事が出てきました。 こちらも出典無しで、私の記憶を頼りに書くのですが、男根崇拝を基に祭りを催している日本の地方の神社で(どこかは忘れてしまいましたが)、藁で作った人が数人で担ぐくらいの巨大な男根と藁で作った女性器を用意し、女性器の方は神社に祀っておいて、男性器の方は担いで練り歩いて最後に神社へ行き、待ち構えている女性器に男性器が見事入ったらその年は豊作、というお祭りがあったかと。 直接私が目にした訳ではないので情報的に誤りの可能性もありますが・・・。 これが正しい記述なのであれば、つまりは男性のみでは祭祀は成り立たず、女性もなくてはならない訳です。 ちなみにかなまら祭りの御神体を見ると、ああこれも一つの柱なんかな、と思ったりします。 渡部氏の解釈では「男根→柱」という一つだけの解釈の紹介でしたが、これだけですと私のように「じゃあ男だけが神様になれるのか? 」と安直に疑問に思ってしまうので、勝手なわがままですがこの当たりも掘り下げて説明して頂きたかったです。 以下は私の勝手な想像ですが、備忘の為に書いておきます。 1.古事記にあるように、「男性のみが神様になれる」というロジックは存在しない。 2.男根崇拝の元々は男女が対になっていたが、その内男根のみになっていったのではないか? 3.「男根」=「柱」であるという文献は現状見つかっていないが、否定する文献も同様に見つかっていない。