• 締切済み

日本語の類義語についての質問です!

日本語の類義語についての質問です! 現在わたしは大学で留学生に日本語を教えてるのですが、なにぶんわたしも学生のため教えきれない部分がたくさんありますm(_ _)m 今回留学生に教えきれなかったのは、 『キレイだと美しいの相違点と類似点は何か?』ということです! 教えてください! よろしくお願いします!

みんなの回答

noname#212854
noname#212854
回答No.5

類似点は ともに 《良好な》ものの状態を表していることでしょう。 相違点は、「きれいだ」または「美しい」という言葉を使う時、その言葉を使う人が《感動している》か、《感動まではしていない》、かでしょう。 もちろん、感動しているのは、「美しい」場合です。 また、人の内面がその深さによって、「こころ」と「たましい」と言う言葉で使い分け出来るとします。 その場合、こころが感激すると「きれいだ」ということになり、たましいが感激すると「美しい」と表現するような気がします。 この違いは、NO1の回答者のご指摘通り「綺麗」がもともと漢語だからでしょうが、この議論の場合には、漢語というよりも外来語といった方が適切のように思います。 本来の日本語である大和言葉の「美し」という言葉に、日本人の伝統とより深い精神性が含まれており、それが現代でも通用しているならば、ずいぶん喜ばしいことではないでしょうか。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.4

「きれい・美しい」はどちらも主観です。 その「相違点」は、主観の【思い入れの程度の違い】ではないか、という気がします。 彼女に心底恋している人間は「彼女はきれいだ」ではなく、「彼女は美しい」と言うでしょう。 特に深い思い入れを必要としない状況では、一応の審美眼として、「あのモデルはきれいだ」などと言うでしょう。 「類似点」は、端的に言うと、「視覚的、聴覚的に心地よいという感覚」でしょうか。 「主観」であることは当然なので、絶対的な定義としては「個人の感覚」の範疇を出ないと思います。   

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (657/1685)
回答No.3

こんな方法で考えてみましょう。 「きれいだ」の反対(対義語)は「きたない」でしょ。 「美しい」の反対は「醜い」です。 醜いアヒルの子はどうにもならないけど、汚いアヒルの子は洗えばきれいになります。 つまり、「醜い」はもともとの姿・形について、「汚い」は表面的な汚れについて言う、と言えます。 逆も言えますから、「美しい」は元々の姿・形を、「きれいだ」は表面について言う、と。 汚いトイレは、掃除すればきれいなトイレになります。美しいトイレとは、宮殿のようで窓にはステンドグラス、天井からはシャンデリア。でも便器が汚れていると「美しいけれど汚いトイレ」となります。 よって、 類似点…見た目のよさ 相違点…姿形についてか、表面上の汚れの有無か

noname#123390
noname#123390
回答No.2

きれい:A 、美しい:B 私見ですが、女性の容姿を褒めることばとしては「君、きれいだね」とか話し言葉でA を使い、B は書き言葉や文語的表現として間接的に「彼女は美しい」と使うことが多いのではないかと思います。もっとも、「C子さん、あなたはいつも美しい---絶句」というドラマ的表現も間違いではないでしょう。ただ平成20年あたりの平均的日本人の間では、日常的にはほとんど使われないようです。 それ以外の使いかたとしてA は、「ごみひとつないきれいな公園内の道」とか、「食事前は手をきれいに洗おう」とか清潔な、手入れが行き届いたといった意味で使われることが多いのに比べ、B は「美しい絵画」とか「あのひとの歩き方は美しい」というように外見の第一印象のよさにつかうことが多いようですが、これは厳密なものではなく、傾向としてあるというだけかもしれません。 ご参考になれば。

  • mo6644
  • ベストアンサー率56% (68/121)
回答No.1

どちらもうつくしいという言葉として使います。「きれいな人」や「美しい人」というとき現代人が意識して使い分けているのかどうかはその人によって差がありそうです。しかし成り立ちから言うとやはり使い分けがあり、語感に差がありそうです。 綺麗は人工美、美しいは自然美(人間美)としたら言いすぎですかもしれませんが、 「綺麗好き」「美しい(もの)好き」の言葉にはその語感の差が出ます。 広辞苑を参考にして違いを書くと: 「美しい」は和語として、肉親への愛からちいさいものへの愛に、そして小さいものの美への愛にと意味が移り変わり室町時代には美そのものを表すようになった。 「妻子見ればめぐし、美ししーー」(奈良時代の万葉集)、 「色濃く咲きたる木のやうたい美しきが侍りしを」(平安時代の大鏡) 「綺麗」は漢語として日本に入っています。あまり古い用例は古語辞典でも見当たりません。 綾のように麗しいこと 「その壮観綺麗、未だ曽て目にも見ずーー」(鎌倉時代の太平記) 濁り汚れをとどめないさま  「しからば綺麗に御前にて打明けて申されよ」(江戸時代の浄瑠璃)