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聖書と仏教について

panchoの回答

  • pancho
  • ベストアンサー率35% (302/848)
回答No.3

決定的な違いとして私が感じているのは、 仏   教 : 人間を含めて全ての生物(植物も動物も)は、死んだ後、再び別の生物として生を受ける。この「死-生-死-生-」と繋がっている物を「輪廻」と呼び、悟りを開き涅槃に至ることを「解脱」と呼んでいる(のですが、正しいですか?)。 キリスト教 : 生を受けるのは一度のみで、生まれ変わりはない。但し、死後、時を経て全ての人が復活し、神の裁きを受け天国に行けるかどうかが決まる。 ここで重要なことは、仏教は全ての生物を同一視しているのに対し、キリスト教は人を他の生物に対して特別視していることです。この「人」の解釈により、「白人」のみを人としているKKK団の様な集団や、韓国人のみが選ばれた人であるとしていた「統一教会」が現まます。では、仏教の方が良いのかというと、そうでもないんですよね...。 以上。

chikamin
質問者

お礼

 輪廻があるとすれば、この世の生命体の数は普遍であり、もしも解脱者が 続出すれば生命は、いずれなくなってしまうのでは、ということで信じてません。 天国や地獄・極楽となると、さらに信じがたく空想の世界へと行きそうです。 でも、あったらいいな!ともおもいます。

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