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聖書と仏教について

aminouchiの回答

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  • aminouchi
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回答No.4

えーと、「お礼」がつきましたので、その内容について補足的に。 >最近、気になることですがアメリカ人には日本の仏教がビジネスとみえるらしく >困ってしまいます。普通の日本人は仏教とお寺さんを割り切って考えることが >できると思いますが、多分、アメリカの人に理解を求めるのは難しいと思います。 ということについてですが、 それはアメリカ人にとって異国の宗教だから客観的に見ることができる、 という意味だと思うのです。キリスト教の教会にしても、いろいろとビジ ネス的なことを行っているように思えます。私は、実際に現地へ行って、 自分で実態を調べたわけではありませんから、断定することはできません が、小説・映画などで教会組織の内幕を読んだり見たりすると、やはり 教会の維持、施設の拡充などで「寄付」をつのったり、いろいろと事業 を行っているように見えます。さらに中世ヨーロッパにおいて、教会や 修道院が世俗領主であったこと、(現在のローマ教皇庁=バチカン市国 が一つの独立国家として認められているのはその直接的な帰結です。) などの面を忘れてはならないと思います。アメリカで主流のプロテスタ ントはこの世俗領主としての教会に対して抗議したことも忘れてはなり ませんが。 ただ、chikaminさんが、このようなことを直接相手の方にお話しても、 おそらくそれは宗教的行為であるとか、信仰心に裏打ちされているなど の返事が戻ってくると思います。そこで、お互いの正しさを言い合って みても仕方ありません。ですから、こういう見方については、「あなた は日本の仏教や寺のありかたについてまだ判っていない、」としておけ ば良いのではないでしょうか。 なお、輪廻については、釈迦およびそれ以前のインド思想においては、 「いかにして魂が輪廻のサイクルから解脱するか」が問題であり、釈 迦の唱える、四諦・八正道はそのための方法でありました。ですから、 仏教思想の根底(というか背景)にそういう思想があることは確かで す。しかし、 >輪廻があるとすれば、この世の生命体の数は普遍であり、もしも解脱者が >続出すれば生命は、いずれなくなってしまうのでは、ということで信じてま >せん。 というのは、本来の意味からはずれた解釈であると思えます。「魂」と「生 命体」を同一に考えてはならないでしよう。 (「普遍」は「不変=一定数を保つこと」の意味ですよね) なお、この世界の本質を示すブラフマン(梵)は一つの魂でもあり、個々の 生物に存するアートマン(我)=魂もこのブラフマンと同じものであると言う こと(梵我一如)を悟れば輪廻転生から抜け出せるとされています。つまり、 そのように考えたときには、魂の数は表面的な生物の数にかかわりなくブラ フマン1つしかありません。

chikamin
質問者

お礼

私が時折行く教会はプロテスタントで運営されています。私も少しですが寄付に応じますが、その運営費用は主にメンバーの寄付でまかなわれているようです。 牧師さんや伝道士さん、托鉢して歩く僧侶を思い浮かべますと 異宗教でありながら、どこかに共通するものがありそうな気がします。 お寺さんや教会のマネジメントについてはよくわかりませんけど、昨今、葬儀がショーのようになり、結婚式がクリスチャンでもないのにそれっぽく行われたり 何か変ですよね。真実が遠くなりすぎてるような気がします。 輪廻転生について深く考えたことはありませんが、人の一生は朝露のように、どこからか生まれどこかしらに消えるものだ、という言葉が頭のすみに残っています。 短い一生と思えばこそ悔いのない日々を送りたいと思います。

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