樋口一葉「たけくらべ」の冒頭部分を現代日本語に訳す

このQ&Aのポイント
  • 仕事で樋口一葉の「たけくらべ」の冒頭部分を中国語に訳さなければならない日本語を勉強中の中国人です。
  • 樋口一葉の「たけくらべ」の冒頭部分の訳文が難しくて読めません。
  • 訳文を現代日本語に書き換えていただける方を探しています。
回答を見る
  • ベストアンサー

樋口一葉の「たけくらべ」の冒頭部分

樋口一葉の「たけくらべ」の冒頭部分  日本語を勉強中の中国人です。仕事で樋口一葉の「たけくらべ」の冒頭部分を中国語に訳さなければならないことになります。その文章の日本語は難しくて、全然読めません。どなたか現代日本語に書き換えていただけないでしょうか。下記の部分です。よろしくお願いします。  「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前(だいおんじまへ)と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社(みしまさま)の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦(いへ)もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形(なり)に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂(でんがく)みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日に仕舞ふ手當こと/″\しく、一家内これにかゝりて夫れは何ぞと問ふに、知らずや霜月酉(とり)の日例の神社に欲深樣のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ、……」  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.2

すでに#1さんが適確なご回答をされているので、そのご回答を参考にさせていただきながら、ネックとなりそうな語彙について少々、あくまで補足として投稿いたします。 1.吉原遊郭や遊女の意味についてはウィキに詳しく載っています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%8E%9F%E9%81%8A%E9%83%AD 2.【吉原】の見取り図については下記サイトがわかりやすいでしょう。 http://www.viva-edo.com/yosiwara.html 中に詳しい解説がありますが、 【大門】 吉原という区画の出入り口にある大きな門。 【見返り柳】 吉原から帰る客が名残惜しさにここまで来て見返るところだと言われる。 【お歯黒どぶ】 遊女の逃亡を防ぐための五間(9m)幅の堀。 です。 3.簡単なあらすじとしては http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAI99406/から。 「吉原のとなり町【大音寺前】、子どもたちは二つのグループにわかれて対立していた。やがて遊女になるさだめにある少女・美登利と、美登利がほのかに思いをよせる寺の息子・信如。そのふたりもこの対立にまきこまれていく。-あわい恋のめざめ、少女が女になる哀しみ…少年少女たちが信じられないほどピュアだった時代の信じられないほどせつない物語」 一葉は新吉原にも近い下谷龍泉寺町というところに住んでいたらしいので、作品中の大音寺前というのは龍泉寺町が、たぶんモデルなのでしょう。 いずれにせよ、「吉原のすぐ隣の町」ということです。 ここに住んでいる勝気な少女「美登利」が主人公。 4.【胡粉】は「ごふん」で、goo辞書によると「白色の顔料。貝殻を焼き、砕いて粉末にしたもの。成分は炭酸カルシウム。」 5.【酉の日】は、毎日に十干十二支を当てて定める日付け法で、「酉」に当たる日のこと。これは、12日おきに巡ってくる。 とウィキにあります。 この日に立つ市が「酉の市」。 「酉の市」の立つ日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並ぶ。 ようです。 詳しくお知りになりたいときはウィキでご確認ください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%89%E3%81%AE%E5%B8%82#.E7.86.8A.E6.89.8B.E5.AE.88.E3.82.8A.E3.81.A8.E7.B8.81.E8.B5.B7.E7.86.8A.E6.89.8B 表現上の不明点がございましたら補足なさってみてください。 読んだことは無いのですが、できる範囲でお答えします。     

awayuki_cn
質問者

お礼

 いつもご親切に教えていただきありがとうございます。補足内容はとても参考になりました。疑問に感じたところがありますが、もう一度教えていただけないでしょうか。

awayuki_cn
質問者

補足

原文がぜんぜん読めないので、現代語訳を拝見して疑問に感じた箇所についてお尋ねいたします。 ________________________________________________  吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。明け暮れなどお構いなしの車の行き来はこの町の果てしない全盛を表しており、大音寺前という仏くさい名前とは裏腹に陽気な町だよ、とは住む人の言である。  三島神社(さま)の角を曲がればもう目立つ豪邸はない。かたむいた軒端の十軒長屋や二十軒長屋ばかりで、とてもまともな商売などはできそうにない場所なのだが、そこでも半開きの雨戸の外で、紙を妙な形に切って胡粉をぬりたくり、それに串を貼り付けて色つきの田楽みたいな物を作っている。それも一軒や二軒ではなく、どの家でも毎日欠かさず色つき田楽のような物を朝に干して夕方にしまっている。  一体それは何を作っているのかと聞けば、「あんた知らないのかい、霜月酉の日に、例の神社で欲深いお方がかつぎなさるやつだよ。つまりこれが熊手の下ごしらえさね」と言われることだろう。 _________________________________________________ 1. >吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。 「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長い」は日本の同僚に聞いてもよくわからないと言っていました。私は、「吉原というところで廻れば」と「大門の見返り柳から廻れば」とこの二つの表現でいったいどこを廻るのかよくわかりません。「とても長い」は何を指すのかも理解できません。日本の同僚の意見では、「吉原へ行くために大門の見返り柳から廻ればその道(見返り柳から吉原までの道)がとても長い」となっています。 また、「お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎ」もよくわかりません。騒ぎは水に映せるものなのでしょうか。 2. >かたむいた軒端の十軒長屋や二十軒長屋ばかりで、とてもまともな商売などはできそうにない場所なのだが、そこでも半開きの雨戸の外で、紙を妙な形に切って胡粉をぬりたくり、それに串を貼り付けて色つきの田楽みたいな物を作っている。 「十軒長屋や二十軒長屋」は「十個の狭い部屋や二十個の狭い部屋」という意味でしょうか。

その他の回答 (7)

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.8

#7です。 ご質問の真意を捉え違えたかもしれませんね。 淡雪さんは、 『「長い」のはもしかして「柳の糸」でしょうか。』とおっしゃっていましたから、柳の枝が糸にたとえられることはご存知だったのでしょう。 だとすれば、#7では、言わずもがなのことを長々と述べてしまい、失礼しました。^^; 改めて回答し直します。 ----------------------------------------------- >「そう言えば、正規ルートを廻るには見返り柳の前を必ず通るわけだから、遊び心として、[いと=糸]の掛詞【大門の見返り柳】を挿入してみようか・・・」 と一葉は考えたのかもしれません。(全くの素人見解ですが) 「いと」の掛詞は「糸」ではないでしょうか。なぜ「大門の見返り柳」になるのでしょうか。 : 私の表現が不完全でしたね。 「そう言えば、正規ルートを廻るには見返り柳の前を必ず通るわけだから、遊び心として、[いと=とても]の掛詞として【(大門の見返り柳の)糸】を使ってみようか。どちらも長いのだから面白いかもしれない・・・。」 と一葉は考えたのかもしれません。 とすべきでした。   

awayuki_cn
質問者

お礼

 度々ありがとうございます。これで解決いたしました。何度もご親切に回答していただき誠にありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.7

#6です。 >「そう言えば、正規ルートを廻るには見返り柳の前を必ず通るわけだから、遊び心として、[いと=糸]の掛詞【大門の見返り柳】を挿入してみようか・・・」 と一葉は考えたのかもしれません。(全くの素人見解ですが) 「いと」の掛詞は「糸」ではないでしょうか。なぜ「大門の見返り柳」になるのでしょうか。 : ごもっともな疑問だと思います。^^ 細くてしなやかな柳の枝は、よく糸にたとえられます。 「柳の糸」という春の季語もあります。 「阿部ひろし」に、 ・寒すでに柳の糸の青みたり という句があります。 新古今和歌集には、 凡河内躬恒(おおしこうし の みつね)という人の、 ・春雨のふりそめしより青柳の糸のみどりぞ色まさりける という歌もあるようです。

awayuki_cn
質問者

お礼

 度々ありがとうございます^^。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.6

#5です。 >>基本的には、 「吉原を(直接行くことによって知るために)、大門の見返り柳から廻ればとても長いが、」 という意味になると思います。 しかし、「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長い」の中の「吉原を」の後ろに「知る」という動詞は省略できるのでしょうか。それは日本語として成立するのでしょうか。なぜその現代語訳に「吉原を」にかかる動詞がないのでしょうか。 : 端的に言うと、 「このような名作として認知された段階では、許容範囲の(特に問題とはならない)日本語表現である」 という印象を受けます。 しかも、こういった「超省略表現」が文学作品としての味を(たぶん)深めていることも否めないようで、そこが難しいところかもしれません。 専門家ではないので断定的なことは言えませんが、 漱石などもそうですが、必ずしも「文学的表現ー文法的表現」にはならない場合が往々にしてある、ということなのかもしれませんね。 前回も述べましたが、ここは、淡雪さんが奇しくもご指摘された内容により私的に解釈したところの、一葉の遊び心としての「掛詞」の表現ではないか、と思います。 「 廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全盛をうらなひて、」 は、本来、 「 (正規のルートを)廻ればいと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く(吉原の様子は窺い知ることができ)、明けくれなしの車の行來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全盛をうらなひて、」 という文であったかもしれません。 「そう言えば、正規ルートを廻るには見返り柳の前を必ず通るわけだから、遊び心として、[いと=糸]の掛詞【大門の見返り柳】を挿入してみようか・・・」 と一葉は考えたのかもしれません。(全くの素人見解ですが) >しつこくて本当に申し訳ありません : とんでもありません。 ネイティブの回答者としてお答えしていますが、日本語表現の本質は、むしろ質問者である淡雪さんに教えられることのほうがずっと多いのです。 それが回答する楽しみでもあるわけなので、どんどん、納得のいくまで補足なさってください。 ネイティブというのは、何気なしに日本語を使っている、という人種にすぎず、なぜこのような表現を自身がしているのだろうか、ということを論理的に全て説明できるとは限りません。 淡雪さんは、その可能性を広げてくださる貴重な質問者です。 日本語に対する真摯な姿勢は淡雪さんのほうがずっと上です。 必ずしも納得できる回答に至らない場合も多々あるかと存じますが、懲りずに、しつこく、今後ともよろしくお願いいたします。   

awayuki_cn
質問者

お礼

 度々ありがとうございます。掛詞自身はまだよくわかっていないのかもしれません。発音がまったく同じで、漢字が違うものだと考えています。私の心配を払っていただき本当にありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて、今回もしつこく質問させていただきます。よろしくお願いいたします。

awayuki_cn
質問者

補足

>「そう言えば、正規ルートを廻るには見返り柳の前を必ず通るわけだから、遊び心として、[いと=糸]の掛詞【大門の見返り柳】を挿入してみようか・・・」 と一葉は考えたのかもしれません。(全くの素人見解ですが) 「いと」の掛詞は「糸」ではないでしょうか。なぜ「大門の見返り柳」になるのでしょうか。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.5

#4です。 1. >基本的には、 「吉原を(直接行くことによって知るために)、大門の見返り柳から廻ればとても長いが、」 という意味になると思います。 すみません、「吉原を(直接行くことによって知るために)」の意味はよくわかりません。ほかの言い方に書き換えていただけないでしょうか。 : わかりました。 「 吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。」という記述を、「なぜ一葉はしたのだろうか」ということを想像してみると良いでしょう。 この箇所の意図は、実は隠されていて、 「 吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、【そのようにして、長い道程を経て、直接わざわざ行かなくても、吉原の賑わいを知ることはできるわけで、たとえば、】お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。【だから、吉原に隣接している大音寺町に住んでいるものであれば、大人だろうが、子供だろうか、吉原の賑わいというものを実感することは難しくない。】」 というものです。 「吉原は賑やかな遊郭であった」と表現すれば済むことなのですが、わざわざこのような遠回りな表現にしたのは、「少女美登利の目線に立った表現」を一葉がしたかったからではないか、と思います。 美登利はおそらく一葉の分身(一葉がモデル)なのでしょう。 2. 古文はわかりませんが、いまもう一度原文に目を通しました。「いと」という表現が目に入りました。「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」に言う「長い」のはもしかして「柳の糸」でしょうか。 : 大変、鋭いご質問と思います。 原文の解釈は私も自信が無いのですが、この「いと」は【実質的には】「とても」という意味でしょう。 ただ、私も言われてみて初めて気づいたのですが、これは、いわゆる「柳の糸が長い」との「掛詞」である可能性も大いにあるように思われます。 一葉は稀代の天才女流作家と言っていいでしょうから、このぐらいは遊び心として、さりげなく発揮したとしてもおかしくはありません。 文学カテなどでご質問なさってみるのも面白いかもしれませんね。   

awayuki_cn
質問者

お礼

 度々ありがとうございます。分かるようになりました。しつこくて本当に申し訳ありません。「吉原を」という箇所がどうしても気になります。

awayuki_cn
質問者

補足

>この箇所の意図は、実は隠されていて、 「 吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、【そのようにして、長い道程を経て、直接わざわざ行かなくても、吉原の賑わいを知ることはできるわけで、たとえば、】お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。【だから、吉原に隣接している大音寺町に住んでいるものであれば、大人だろうが、子供だろうか、吉原の賑わいというものを実感することは難しくない。】」 というものです。 意味は理解できました。 >基本的には、 「吉原を(直接行くことによって知るために)、大門の見返り柳から廻ればとても長いが、」 という意味になると思います。 しかし、「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長い」の中の「吉原を」の後ろに「知る」という動詞は省略できるのでしょうか。それは日本語として成立するのでしょうか。なぜその現代語訳に「吉原を」にかかる動詞がないのでしょうか。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.4

#3です。 「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、(わざわざその長い道のりを辿って中まで入らなくても、すぐ目の前にある)お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。」 といったニュアンスなのでしょう。 「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長い」という文はやはり理解できませんでした。「吉原を」はどういう意味でしょうか。 見取り図によると、「大門」と「見返り柳」の間に結構距離があるようです。なら、なぜ「大門の見返り柳」と言うのでしょうか。とても長いのは「大門」から「見返り柳」までの道のりでしょうか。 : a. 基本的には、 「吉原を(直接行くことによって知るために)、大門の見返り柳から廻ればとても長いが、」 という意味になると思います。 たぶん、ですが。 b. 「(吉原の入り口としての)大門に必ず至ることになる見返り柳から廻れば」といったニュアンスでしょうか。 吉原に行こうとして正規のルートを辿ると、「通常の道路を外れて最初に曲がる角」に見返り柳があります。 この見返り柳は「吉原の入り口としての大門」に(距離はありますが)直結しています。 そのため、この二つは殆んどセットとして認識されていたのでしょう。 「吉原を見返り柳から廻ればとても長い」 と言っても良かったのでしょうが、 「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長い」 と言うことで、「見返り柳を廻る」ということは「吉原の大門を潜る」と同義なのだ、というニュアンスを出したかったのではないか、と思います。 c. >とても長いのは「大門」から「見返り柳」までの道のりでしょうか。 :その道程も含んでいますが、それだけではありません。 吉原の隣町である「大音寺前町」からの距離を言っていると思います。 「お歯黒どぶ」は大音寺前町に接触しているので、「近くで(吉原の一端を)知ることができる」ということになります。      a と b に関しては、あまり自信がありません。 新しく質問を立てられても面白いかもしれませんね。 >ちなみに、「見返り松」ではなく、「見返り柳」です^^;。 :柳より松が好きなので(無意識に)勝手に変えてしまいました。 一葉さんに叱られますね。^^; 教えていただきありがとうございます。   

awayuki_cn
質問者

お礼

 度々ありがとうございます。すみません、今回は五里霧中の状態です(><)。

awayuki_cn
質問者

補足

1. >基本的には、 「吉原を(直接行くことによって知るために)、大門の見返り柳から廻ればとても長いが、」 という意味になると思います。 すみません、「吉原を(直接行くことによって知るために)」の意味はよくわかりません。ほかの言い方に書き換えていただけないでしょうか。 2. 古文はわかりませんが、いまもう一度原文に目を通しました。「いと」という表現が目に入りました。「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」に言う「長い」のはもしかして「柳の糸」でしょうか。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

#2です。 1. >吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。 「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長い」は日本の同僚に聞いてもよくわからないと言っていました。私は、「吉原というところで廻れば」と「大門の見返り柳から廻れば」とこの二つの表現でいったいどこを廻るのかよくわかりません。「とても長い」は何を指すのかも理解できません。日本の同僚の意見では、「吉原へ行くために大門の見返り柳から廻ればその道(見返り柳から吉原までの道)がとても長い」となっています。 また、「お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎ」もよくわかりません。騒ぎは水に映せるものなのでしょうか。 : a. 見取り図をご覧になるとわかりやすいと思いますが、吉原の様子を知ろうと思えば、【正規ルートとしては】、見返り松の前を通って大門をくぐり、その区画の中に入る必要があります。 しかし、このように、【わざわざ(正規の)長いルートを辿って中まで入らなくても、】お歯黒どぶに灯火を映している三階の騒ぎなどを見れば、吉原の賑わいを手に取るように近く感じることができる、 ということでしょう。 これは子供である少女が主人公(おそらく作者の分身)なので、子供は吉原の中には簡単に(たぶん)入れなかったという事情を背景にした表現ではないか、と思います。 「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、(わざわざその長い道のりを辿って中まで入らなくても、すぐ目の前にある)お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。」 といったニュアンスなのでしょう。 b. 「お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階」「の」「騒ぎ」と区切るとわかりやすいかもしれません。 吉原の3階の部屋の灯火が水に映っていた、ということです。 煌々とした明かりの下で、お客さんが遊女と戯れているわけですが、その明かりが水に映っているわけです。 客の大きな声や遊女の嬌声なども同時に「騒ぎ」として聞こえてきます。 「湖面に影を映している鳥の羽ばたきが微かに聞こえてくるようだった」 などといった表現などと同様ですね。 2. >かたむいた軒端の十軒長屋や二十軒長屋ばかりで、とてもまともな商売などはできそうにない場所なのだが、そこでも半開きの雨戸の外で、紙を妙な形に切って胡粉をぬりたくり、それに串を貼り付けて色つきの田楽みたいな物を作っている。 「十軒長屋や二十軒長屋」は「十個の狭い部屋や二十個の狭い部屋」という意味でしょうか。 : 「長屋」の定義は、「複数の住戸が水平方向に連なり、壁を共有する物」とウィキではなっています。 現在のマンションなどとは違って、この頃の長屋は、とても壁が薄くて作りも貧弱なため、隣の人の声や音が手に取るように伝わってきたはずです。 そういった家が十軒つらなっていれば十軒長屋と言います。 二十軒長屋、三軒長屋など色々あります。 狭い部屋ではなく狭い家ですね。 私も現在は独立した一戸建てですが、子供の頃から長い間、二軒長屋に住んでいました。 一応住宅ですが、一軒の中に通常は、一部屋か二部屋ぐらいしか無かった(無い)と思います。   

awayuki_cn
質問者

お礼

 再びありがとうございます。だいぶわかるようになりました。まだよくわからないところがありますが、もう一度教えていただけないでしょうか。ちなみに、「見返り松」ではなく、「見返り柳」です^^;。

awayuki_cn
質問者

補足

>「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、(わざわざその長い道のりを辿って中まで入らなくても、すぐ目の前にある)お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。」 といったニュアンスなのでしょう。 「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長い」という文はやはり理解できませんでした。「吉原を」はどういう意味でしょうか。見取り図によると、「大門」と「見返り柳」の間に結構距離があるようです。なら、なぜ「大門の見返り柳」と言うのでしょうか。とても長いのは「大門」から「見返り柳」までの道のりでしょうか。

noname#210617
noname#210617
回答No.1
awayuki_cn
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。こんな便利なサイトがあるんですね。大変助かりました。本当にありがとうございました。

関連するQ&A

  • 樋口一葉について

    今さらながら、5千円札の樋口一葉について質問します。 日本語を勉強している外国人に、今度日本のお金を見せてあげようと思います。そこでお札の人物に関しても少しだけ触れたいと思っています。 そこで、樋口一葉は、一言でいうと、何をした人なのでしょうか。 いろいろ調べてみましたが、「明治時代の女性小説家で、24歳で肺結核で亡くなった」ということしかわかりませんでした。 「女性小説家」なら、その時代にも、その前後にもいるのに、どうして樋口一葉が5千円札の顔なんでしょうか。 教えてください!!

  • 樋口一葉の辞世の句の意味

    「さりとはの浮世は三分五里霧中」というのが、樋口一葉の辞世の句の最後の部分ですが、私の知識では、現代語に直すとどういう意味になるのかよく分かりません。「さりとは」は前の句を受けるものとして、「そうは言っても」でしょうか?「三分五里」は1センチ少しの長さですから「そうはいっても、世の中というものは、ほんの表面だけでも、理解し難いものだ」ということなのでしょうか?アドバイスをお願いします。

  • 身分差恋愛を描いた小説を教えてください

    樋口一葉の「たけくらべ」、森鷗外の「舞姫」のような、身分差恋愛が描かれた小説が知りたいです…!日本の文豪が著者のものだと嬉しいですm(__)mよろしくお願い致します。

  • 教えていただけますか。よろしくお願いいたします。

    日本語を勉強している学生です。今論文の要旨を書いています。文法として間違っているところが必ずあります。日本人の方々に直していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。  樋口一葉は明治時期の天才の女流作家である。幼い頃から文学を好んだ。しかし、父が死んでからの一葉は、青春のない時代を迎えるようになった。それから、彼女は家族という重荷をせおい、不遇な一生に陥っていた。現実生活の圧迫に必死に抵抗しつつ、かろうじて作家精神を守り通した。一葉は、現実を突き詰めることによって、独自の文学世界を作り出したのである。  本文では、まず「幼年時代」「歌人一葉」「小説家への道」「文学と生活」「一葉の晩年」という五つの方面から、樋口一葉苦難の一生及び微妙な心理を述べる。次に、彼女の最上作品「たけくらべ」というのを通して、一葉文学の特徴を理解する。即ち、写実主義の魂と浪漫主義の外形の融合である。それも「たけくらべ」という作品の最大限の魅力の体現だと思う。

  • ご指導いただけませんか。

    外国の大学で日本語を勉強している日本語学部の学生です。今論文を書いています。 論文のテーマーは「樋口一葉の生活とその作品」です。 次は論文の目次です。 一はじめに(序論) 二生活意識の変化 (一)未熟な作家―ーー前期の概述 (二)生活第一という現実的な生活意識の 生まれ (三)立身出生のゆめ 三「たけくらべ」「にごりえ」という二つ の作品からうかがった一葉の生活意識 (一)詩的、現実的な「たけくらべ」 1、詩的な「たけくらけ」 2、現実的な」「たけくらけ」 (二)「にごりえ」 1「にごりえ」という作品の中の一葉 の姿 四、おわりに(結論) 私は以上の題目をめぐって書いていきたいとおもいますけど。 以上はわたしは自分で書いたものです。日本人にご指導いただきたいのは中に間違えたところがあるかどうかということですけど。よろしくおねがいいたします。

  • 樋口一葉が怖い!

    お札が新しくなってからずいぶん経ちますが、私はどうしても、5000円札の樋口一葉の顔に慣れません。怖いんですっ(>_<)夜なんか見たら眠れなくなりそうなくらい。 お札の肖像には偽造防止の役目があるんですよね。同じく新しくなった1000円札の野口英世さんは、あの髪型が偽造しにくいと聞きました。では、樋口一葉の顔はどんなところが偽造しにくいんでしょうか?それとも、偽造うんぬんの他に、彼女を採用した理由があるんでしょうか? だって、目なんか真っ黒に塗りつぶしてあるし、とても偽造しにくい顔に見えないんですものっ。彼女の肖像を使うにしても、他にもっといい絵がなかったんでしょうか? おつりなどで5000円札をもらうたびに、ちょっとブルーな気持ちになってしまいます(^^;

  • 樋口一葉「十三夜」

    1.主人公は、なぜ実家に帰ったのか? 2.お関の行動に対してどのように考えるか? 3.父親の説得をどう考えるか? 4.高坂録之助が人力車夫になった理由? 5.この後、二人はどのようになっていくと考えるか? 6.お関の苦悩とは? この質問に対してわかる方がいたら回答お願いします。

  • 直していただけませんか。よろしくお願いいたします。

    日本語を勉強している学生です。今論文を書いています。次は私が自分で書いたものですが日本語として間違えたところがあったら直していただきたいと思いますけどよろしくおねがいいたします。 論文要旨 樋口一葉(1872~1896)は、明冶時期の有名な女流作家であった。一葉は東京府下級官吏の家庭で生まれて、家族が中途で没落して、24歳という若さで亡くなりました。彼女は幼時から、文学がすきであったが生活の重圧に追い詰められて、生活と文学、現実と夢の矛盾に陥っていた。 本論文ではまず「未熟な作家」「生活第一という現実的な生活意識の芽生え」「立身出世の夢」という三つの方面から一葉の生活経歴及び現実的な生活意識の形成と成熟の過程を描きたいと思う。それから一葉の後期の代表作品「たけくらべ」「にごりえ」の分析を通じて彼女の生活第一という現実的な生活意識を述べてみようと思う。この二つの作品は前期の作品と比較すると大きな変化があったのである。それらが現実生活の問題を題材とし、社会意識をひらめかせた作風となっていって、明治文学を代表する傑作として日本文壇で確実な位置を占めている。ここで「たけくらべ」、「にごりえ」という二作を分析して、作家の現実的な表現手法、作品の内容を通じて、一葉の生活意識の変化と風格に注目する。

  • 樋口一葉の訳

    水の上日記の古語の訳が知りたいです。お願いします。 ~「水の上日記」(明治28.5.1) ~ 「浪六のもとへも何となくふみいひやり置しに絶で音つれもなし 誰もたれも、いひがひなき人々かな。三十金五十金のはしたなるにそれすらをしみて出し難しとや。さらは明らかに、とゝのへがたしといひたるぞよき。ゑせ男を作りて髭かき反ぜなど、あはれ見にくしや。引きうけたる事とゝのへぬは、たのみたる身のとがならず。我が心はいさゝ川の底すめるが如しいさゝかのよとみなくいさゝかの私なくまかれる道をゆかんとにはあらず まかれるは人々の心也 我れはいたづらに人を計りて永耀の遊びを求むるにもあらず。一枚の衣、一わんの食、甘きをねがはず、美しきをこのまず。慈母にむくひ、愛妹をやしなはん為に、唯いさゝかの助けをこふのみ。(略)たのまれて後いたづらに過すはそもたれの罪とかおぼす。我れに罪なければ天地恐ろしからず」

  • 樋口一葉の作品について

    みなさんの一葉の作品を読んでの感想をきかせてください!いろんな人からの感想を聞いてみたいです^^