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孤児根性*教育

孤児根性*教育 はじめまして! 川端康成について卒論を書こうと思っています(´ω`) 『孤児根性』から『教育(できれば現代)』につなげたいと思っています(この2つをつなげるのはだいぶ無理矢理な気もしてきました;) いま考えているのは孤児根性を現代の子供に置き換えて、家族と家庭教育がいかに大事か、家族がいない子供に対して学校はどのように教育でそれを補っていくべきか…という感じでやろうかと考えています 『川端康成の孤児根性→学校教育』の研究として筋が通っているかかなり不安です… それと参考にしている作品は『伊豆の踊り子』、『葬式の名人』、『十六歳の日記』です。 他にも孤児根性に関する川端の作品があればぜひ教えてください! ちなみに私は、『孤児根性』(人からの好意を同情と受け止め、素直になれずに心を閉ざす独特の心性)とは、一般的な家族というものを体験的に理解することができなかった者の家族への憧れと孤独と自己憐憫から成っていると考えています。 この考えに対してもなにか意見がありましたらよろしくお願いします!><

みんなの回答

  • rkd4050
  • ベストアンサー率60% (112/184)
回答No.2

 作家論から教育問題を論じるのは無理があると思うのですけど。  孤児根性を現実問題に変換する際、その変換が妥当であることを示すための資料が必要ですよね? ならば、最初からその資料を使って教育について論じた方がてっとり早いです。川端を出す必要がない。  逆ならいいんですけどね。現代社会において「一般的な家族というものを体験的に理解することができなかった者の家族への憧れと孤独と自己憐憫」が教育における問題のひとつになっている。そしてそれは川端作品においては「孤児根性」と名付けられている、という形ならば。で、つまり川端文学は過去のものではなく、現代社会にも通じるものがあるんだ、とかいう話なら、その論理に説得力を持たせられるかどうかはともかく、筋書きとしては問題ない。  それはともかく、これから川端について論文を書こうとする人が、川端の作品について尋ねているようではいけません(笑) 自分と似たような研究をやっている論文はあるか? などの質問ならともかく。  作家論を書くなら、当然川端の作品は全部読むべきで、むしろ訊かれたら教えられるくらいでないと困ります。  川端の全作品と、川端について書かれた主要な論文を読んでから、もう一度テーマを考え直した方がいいのではないかと思います。下準備で手を抜いたら、論文は書けないですよ。

回答No.1

 完成したら、いえ途中でもいいからネットで出してくれませんか?  川端は知りませんが、面白い。自分にも徴候があり、多分人には普遍的に或いは、内在的にある徴候でしょう。  学校教育でしょうかね。わたしは個人的にも小中高と多くの先生や友人からたくさんもものをもらいましたし、慈雨のような潤いも頂いてきましたが。  学校教育の範囲をこえた、人生の邂逅という事ではないでしょうか?  しかし民族や文化としての邂逅は時に文化や思想の侵入・侵略ですからね。  素晴らしい思想や文化がバルバロイの地域にいってそこの伝統や心性を変える。  これは不幸ですね。自己喪失ですね。  日本へも大陸や天竺あたりのものが入りました、毛の唐人のもきました。  先人は、鎖国をしたし、この湿気の多い文化のなかで同化もしました。  おかげで幽かに心性を感じてはいます。  チベット仏教は文化と思想としても高く素晴らしい。しかしチベットの心性としての伝統を中国の権力との連携で、インドの邪悪の女性神の名を付して、地面に伏し敷き、要所にお寺を建立しています。  どこでも先進の文化の出会いは自己性を喪失します。  個人でも、卓抜した思想の方との邂逅は素晴らしい目覚め、曙ですが、一面自己の喪失となります。  伊豆の踊り子などはそういうものではないのですが、自己の変化とは一面そういう事になります。  そこら辺の対比・対照を心がけてください。

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