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「伊豆の踊子」の結末、なぜ「私」が甘い快さをしたの?

川端康成の著作「伊豆の踊子」をざっと目にして、その結末について、分からないところがでました。どうして主人公「私」が「美しいくうきょの気持」や「すがすがしい」や「甘い快さ」といった気持が出たのでしょうか。非常に悲しい気持を持っていたはずなのに。この本に詳しい方々、よろしかったら、100字ぐらい/以上お答え頂きたいのですが。お願いします。どうもありがとうございます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • danboald
  • ベストアンサー率27% (16/58)
回答No.2

簡単に言えば、この主人公は身分違いで結ばれるはずもない、行きずりの踊り子に対して、擬似的な恋愛をしていたに過ぎないのです。 ちょうど現代の若者がゲームで擬似恋愛をするのと同じようなものです。 だから悲しいはずの別れも「甘い快さ」に置き換わってしまったのです。

その他の回答 (1)

  • Singleman
  • ベストアンサー率24% (143/576)
回答No.1

これは、主人公が晩年になっての回想という設定ですよね、 自分の経験から言ってもその当時は悲しい事も年が経つにしたがって 甘く心地良い思いでになったと言う事だと思います、 それと、当時の時代背景からいっても2人が結ばれると言う状況はありえないことと、 時間的に2人の同行が短時間であったこと、さらに踊り子があまりに無邪気で無垢であったことだと思います。 主人公にとっても、学生生活から、社会人になる記念旅行だったと思いますので、 これからの人生にたいして大いなる希望と期待の中でのよき思い出(一コマ)であったと想像します。

xiaozhu020
質問者

お礼

Singlemanさん、どうもありがとうございました。 すみませんが、回想という設定はどこから見出したのでしょうか。

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