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エレベーター待ちの出会いと面接の緊張
- 外国人が日本でエレベーターでの出会いを通じて面接の日程を確認する場面を描いたエピソード。
- エレベーターでの偶然の出会いから応募者との面接の日程が確認されるまでのやり取りを紹介。
- 中国人が日本で面接を受けるためにエレベーターでの出会いを通じて面接の日時を確認する場面を描いたエピソード。
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1. > 退社後、エレベーターのところで待っている時のことだった。 → 退社後、【ビルの】【エレベーターを】待っている時のことだった。 : a. 「退社後、エレベーターのところで待っている」という表現はおそらく違和感を与えるでしょう。 いくつかの企業が同居しているビルの共同エレベーターだろうとは思うのですが、単に「エレベーター」と表現すると、読者は会社専用のエレベーター(あるいは、一戸建ての社屋)であるかのような印象を受け、退社したのであれば「エレベーターのところ」という表現はおかしいのではないか、と思ってしまう、ということです。 「ビルの」という補足をつけるほうが良いでしょう。 b. 「エレベーターのところで待っている」でも特に大きな問題はありませんが、「エレベーターを待っている」とするのが簡潔で、且つ十分な表現です。 2. >エレベーターの門が開くと、中の人と擦れ違い、私は乗り込んだ。 →エレベーターが【来て】【扉が】【開き】、中の人と【入れ違いに】私は乗り込んだ。 : a. 「待っている時のこと」から、いきなり「エレベーターの門が開く」という展開は不親切な表現で、違和感を与えます。 待っているという状況と、エレベーターの扉が開くという状況は必然的ではないからです。 「待っているときのことです。エレベーターが来る前に忘れ物をしたことに気づいて急いで会社に戻りました」 という展開もあり得ます。 これが、「待っていた→エレベーターが来た→扉が開いた」の真ん中を抜かすとよくない理由です。 「待っている時のことだった」と表現した以上は、「(エレベーターが)来た」ことを明示しないで、「扉が開く」という表現をすると不自然になります。 b. みなさんおっしゃるように「扉」とするのがよいでしょう。 c. 「(開く)と」という表現は、このシチュエーションでは不適切です。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/135919/m1u/%E3%81%A8/[三]の、 (3)次に起こる動作・作用のきっかけを表す。 「話が始まる?、あたりは静かになった」 の意味でお使いになったと思いますが、 エレベーターが来たのは(乗り込む)きっかけではなく「原因・理由」です。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/131274/m1u/%E3%81%A6/の[一] (2)原因・理由などを表す。ので。 「人にすすめられ?、本を読む」 の「~(し)て」を使うのが自然です。 d. 「中の人とすれ違った」のは確かでしょう。 ただ、「すれ違う」というのは「互いのすぐ脇(わき)を通り抜ける」という意味ですが、話の展開において必要性がないのに、この表現を使うと不自然になります。 「今朝、出勤途中で【大勢の人】とすれ違って出勤した」だけで終わる文は不自然で、 「今朝、出勤途中で【ある女性(ある人)】とすれ違った。よく見ると私の幼馴染だった」が自然なのと同じです。 「ある女性(ある人)とは誰なのか?」という疑問を内在しているので次へとつながる文になります。 ここは、「乗り込むために【中の人】とすれ違ったこと」ではなく、「特定のある人とすれ違ったことを述べたい箇所でしょう。 その必要性を表現するためには、「一人の人とすれ違った」「ある男性とすれ違った」などとする必要があります。 「すれ違い」という表現を使うのであれば、 「エレベーターが【来て】【扉が】【開き】、ある男性とすれ違いながら私は乗り込んだ」 などとすれば自然になります。 ただ、この場面は、「エレベーターに乗り込む」という単純な動作として表現するほうが話の展開上効果的だと思うので、「入れ違う」という表現を使うのが最も適切でしょう。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/12941/m1u/%E5%85%A5%E3%82%8C%E9%81%95%E3%81%86/ (つづく)
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- hakobulu
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#24、#25です。 1. >>→エレベーターが【来て】【扉が】【開き】、中の人と【入れ違いに】私は乗り込んだ。 a. 「エレベーターが来て扉が開き、中の人と入れ違い、私は乗り込んだ」は自然でしょうか。 : はい、自然です。 ただ、「入れ違い(に)~」と名詞として使うほうがさらに自然です。 b. この「に」はやはり理解できませんでした。「中の人と入れ違った」と「私は乗り込んだ」とこの二つの動作の関係は何でしょうか。「中の人と入れ違いに」という部分の意味がよくわかりません。 : #26さんのおっしゃる、 (10)動作・状態の行われ方・あり方を表す。 と捉えたほうが良いかもしれませんね。 「入れ違い」という名詞は、 「一方が出るとかわりに他方がはいること。」 ですが、 『「その人が出るかわりに淡雪さんが(エレベーターに)はいる」という状態になった』 という意味です。 「すれ違う」は、 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/104661/m1u/%E3%81%99%E3%82%8C%E9%81%95%E3%81%86/の、 (2)出会うはずの人が、出会えないでしまう。ゆきちがう。 という意味で使われる場合が多いように個人的には感じます。 「何らかの関連性のある両者」あるいは、「(後で)何らかの関連を持つことになる両者」に対して使う場合が多いような気がします。 2. >>このことを念頭において肩肘張らずに楽しく、しかし、表現に関しては厳しく、お勉強していきましょう。 a. >「お勉強していきましょう」はなぜ尊敬語の「勉強されていきましょう」ではないでしょうか。「お(ご)~する」は自分の行為を謙遜に言う時に使うのではないでしょうか。たとえば、「お送りします」、「ご添付します」。 : 「お送りします」「ご添付します」は、「動作の向かう相手を持ち上げる」という意味で謙譲語と言えるようですね。 「お勉強しましょう」は、動作が相手に向かっているわけではないので謙譲語としての用法ではありません。 b. >また、「肩肘張らずに」はどういう意味でしょうか。 : 「気負わずに」「気楽に」といったような意味で使いました。 回答者としての自戒を込めた箇所ですね。 疑問点はさらに補足なさってみてください。
お礼
度々ありがとうございます。疑問点は解けました。大変助かりました。本当にありがとうございました。
ご丁寧にお礼をいただきました。 ありがとうございました。 補足がありましたので、ここに私なりの回答をさせていただきます。 1)に は格助詞で、すでに別の先輩が回答されておられます。私も一説として (10)動作・状態の行われ方・あり方を表す。 「左右?ゆれる」 この例なのかと考えます。すれ違いの情況になって、という意味になるのかと思います。 2)なぜ未来のことなのに過去形で表すのか?というご質問ですが、これは面接予定者が過去にその予定日時を書類で認識した、その事実を言ったのだと考えてください。「面接時間は明日と(書類には書かれて)あった」、あるいは「水曜日(と書類にあったのを私は昨日)見た」という意味になるかと思います。 文面の場合の、「面接は今週の水曜日の午後一時半です。」と日本人は普通言いません。これは面接者の立場としては(自分が勝手に決めたように思われて)傲慢な態度だと取られます。 >彼はさらに言った。「今日、場所を確認しに来ました」と。 これは 間違いではありませんが、かなり古風な、文語的なちょっとくどい言い回しになります。 彼は続けて「今日は、場所を確認しに来ました」と言った。 と後ろに回すほうが自然で良かったかもしれませんが、原文のこだわりを少しでも残した積りでした。 最後の と。止めは現代文としては違和感があると私は思います。もちろんこれは趣味の問題に属していますので、つけても間違いにはならないと思います。 ご参考になれば。
お礼
度々ありがとうございます。だいぶわかるようになりました。「に」の件でまだよくわかりませんが、よろしければ、もう少しご意見を聞かせていただけないでしょうか。
補足
>退社時のことだった。エレベーターの扉が開く。中からの人と入れ違いに私は乗り込んだ。 「中からの人と入れ違いに」はどういう意味でしょうか。「中からの人と入れ違い」との違いは何でしょうか。
- hakobulu
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#18です 1. >因みに、「その人」が「彼」であれば、状況を俯瞰している視点からの表現として「思わず」は使えることになるでしょう。 これはどういう意味でしょうか。「思わず」はまた使えるようになったのでしょうか。 : 「その人は私が出てくるのに気づき、思わず立ち止まった」 というのは間違いですが、 「彼は私が出てくるのに気づき、思わず立ち止まった」 であれば間違いではない、という意味です。 「思わず」という言葉を使う状況設定が異なっている、ということです。 「【その】人は」と言う場合、これは私目線(=「私」の気持ちに基づいた表現)ですから、『その人の気持ちが「思わず」であったのかどうか』は推測するしかありません。 #14さんがご指摘なさっているように、「相手の気持ちを(思わず立ち止まった、と)勝手に断定するのは不可」ということになります。 「彼は」と言う場合、これは第三者的表現です。 あくまで、「私」でもなく「その人」でもなく、「作者という第三者」の立場で俯瞰している表現ということが言えます。 そうですね、映画監督のような立場、とでも言いましょうか。 登場人物の気持ちは全て理解している、という立場で表現できるので、「思わず立ち止まった」という断定が許されるわけです。 2. >このことを念頭において肩肘張らずに楽しく、しかし、表現に関しては厳しく、お勉強していきましょう。 「お勉強する」は謙譲語でしょうか。 : これは丁寧語として使っています。(「お」が謙譲語として使えるのかどうか、も私は文法が不得手なのでよくわかりませんが、それは詳しい方にお任せすることにしましょう) 「勉強になること」は、質問者だけではなく回答者も同様である、ということを述べましたが、とは言っても質問なさっている質問者の方のほうが、明らかに勉強に対する意欲は強いわけで、その意味で、勉強する主体としては、やはり質問者の方を優先すべきである、という意図に立った表現です。 ひとつ前の回答も含め、疑問点に関してはさらに補足なさってみてください。 他の視点に立った表現で納得していただける場合もあるかもしれませんので。
お礼
度々ありがとうございます。「その人」が「彼」であれば「思わず」は使えることに納得できました。敬語のことについてもう少しご意見を聞かせていただけないでしょうか。
補足
>このことを念頭において肩肘張らずに楽しく、しかし、表現に関しては厳しく、お勉強していきましょう。 「お勉強していきましょう」はなぜ尊敬語の「勉強されていきましょう」ではないでしょうか。「お(ご)~する」は自分の行為を謙遜に言う時に使うのではないでしょうか。たとえば、「お送りします」、「ご添付します」。 また、「肩肘張らずに」はどういう意味でしょうか。
- hakobulu
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1.(#8) >→エレベーターが【来て】【扉が】【開き】、中の人と【入れ違いに】私は乗り込んだ。 「入れ違いに」の「に」はどういう意味でしょうか。 : 難問ですね。たぶん、 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/146509/m1u/%E3%81%AB/の、 (9)変化する結果を表す。 「学者?なる」 ではないかと思うのですが、自信はありません。 2.(#9) 辞書に「取り急ぎ」の解釈として「取り合えず急いで」が書いてあります。両者は同じように見えます。「はっきりしないまま~する」なら、「取り合えず急いで」とするのが適切でしょうか。「不完全であることを前提にするニュアンス」との違いがよくわかりません。 : 辞書には載っていないようですが、「不完全であることを前提にするニュアンス」は、私の個人的な見解です。(が、たぶん間違ってはいないはずです) 「A.取り急ぎ=不完全であることを前提にするニュアンス」 「B.取り合えず急いで=はっきりしないまま~するニュアンス」 これらを比較した場合、 後者の B は「急いで」に比較的重点を置いた表現になるように思います。 「はっきりしない」のだから「不完全でも仕方ない」という A のようなニュアンスが幾分薄れることでしょう。 今回のシチュエーションにおいては、「不完全でも仕方ない」という要素は薄いので、「取り急ぎ」を使うと不自然になるわけです。 3.(#12-1) >私と一緒にエレベーターに乗るのを遠慮し、わざわざ階段で降りただろうか。 →私と一緒にエレベーターに乗るのを【遠慮して】、わざわざ階段を【使ったのだろうか】。 b. 少なくとも「降りた【の】だろうか」とする必要があります。 「降りただろうか」は、降りたことを「確認できない場合」に使います。 また、エレベーターを使わなかったこと自体が骨子なので、「降りた」という表現にこだわらないほうが、骨子としての意図が生かされるでしょう。 なぜ『少なくとも「降りた【の】だろうか」とする必要がある』のでしょうか。『「降りただろうか」は、降りたことを「確認できない場合」に使う』の意味がよくわかりません。また、『エレベーターを使わなかったこと自体が骨子なので、「降りた」という表現にこだわらないほうが、骨子としての意図が生かされる』も理解できていません。 : a. たとえば、マンションの自宅に遊びに来ていた友人が帰った直後、忘れ物をしているのに気づいて、後を追います。 廊下に出てみるとどこにも姿は見えません。 「もう階段を降りただろうか。それともエレベーターに乗っただろうか」 と考えます。 実際に見ていないので「降りたか、または降りてないか?」という純粋な疑問が生じるわけです。 これが「確認できない場合」です。 因みに、ここの「のだ」は、 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/151806/m1u/%E3%81%AE%E3%81%A0/の、 (1)原因・理由・根拠などの説明を強く述べる。 「こうして独り住まいをしていると、ますます孤立感が深まっていく?だ」 です。 これが「少なくとも「降りた【の】だろうか」とする必要」がある理由です。 この点に関しては、説明不足でしたね。 すみません。 b. このシチュエーションにおいては、「エレベーターを使わなかったのは、私(awayuki_cn さん)に気を使ったからだろうか」という点が文の骨子でしょう。 仮にですが、「わざわざ階段を昇ったのだろうか」でも、意図は通じるはずです。 つまり、「階段を降りたのか昇ったのか」が問題ではなくて、「エレベーターを使わなかったこと=階段を使ったこと」が骨子になっています。 「階段を降りた」とせずに、「階段を使った」とするほうが焦点が絞れるというわけです。 4.(#12-2) >「会社はこちらです。あまり緊張なさらずに気を楽に持ってください」と笑顔で彼を案内した。 最後の「まとめ」の箇所に「気を楽に持ってください」となっていますが、前のご添削に「気を楽にしてください」と「気を楽になさってください」と書かれています。「気を楽に持ってください」でもよろしいでしょうか。 : そうですね。 どちらでも大差はないでしょう。 ただ、「気を楽にしてください」は丁寧語ではないので、初対面の相手であることを思えば、「気を楽になさってください」が一番自然かもしれませんね。
お礼
補足の内容を少し追加させていただきます。 この「に」はやはり理解できませんでした。「中の人と入れ違った」と「私は乗り込んだ」とこの二つの動作の関係は何でしょうか。「中の人と入れ違いに」という部分の意味がよくわかりません。 ___________________________________________ 度々ありがとうございます。「A.取り急ぎ=不完全であることを前提にするニュアンス」と「B.取り合えず急いで=はっきりしないまま~するニュアンス」は難しいです。この二つのニュアンスを参考にさせていただきます。これから文章を読む時に、確認してみます。いろいろ大変参考になりました。まだすっきりしていないところがありますが、もう一度教えていただけないでしょうか。
補足
>→エレベーターが【来て】【扉が】【開き】、中の人と【入れ違いに】私は乗り込んだ。 「エレベーターが来て扉が開き、中の人と入れ違い、私は乗り込んだ」は自然でしょうか。
- cxe28284
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#7です。補足です。 擦れ違いは動詞でしょう? 擦れ違うは動詞です。擦れ違いは名詞です。 擦れ違いますは擦れ違うの連用形です。 動詞の勉強をされた時、動詞のます型Vますというのを 沢山覚えられたでしょう。 そのVますのますをとったことばには、名詞として使われるものがいくつもあります。 つまり動詞の連用形がそのまま名詞として使われる言葉があるということです。 日本語の辞書をみると分かります。 いくつか例をあげておきます。 辞書形 遊ぶ ます型 遊びます 名詞 遊び みんなで遊びます。動詞ます型 これは遊びではありません。仕事です。名詞 この作品は少しあそびがほしい。 名詞(余裕、ゆとり) 辞書形 急ぐ ます型 急ぎます 名詞 急ぎ この仕事は急ぎます。 動詞ます型 今日は急ぎの用事があります。 名詞 辞書形 思う ます型 思います 名刺 思い とてもいい人だと思います 動詞ます型 やっと思いがかないました。 名刺 (願い、望み) 辞書形 泊まる ます型 泊まります。名詞 泊まり 今夜は○○ホテルに泊まります。動詞ます型 旅行は日帰りですか泊まりですか 名詞 泊まりはどこにしますか。(宿) 辞書形 働く ます型 働きます 名詞 働き 会社ばかりでなく家でも働きます。 動詞ます型 彼の働きは抜群だ。名詞(仕事 功績 成果)の意味 辞書形 教える ます型 教えます 名刺 教え これからは私が数学を教えます。動詞ます型 親の教えは尊い。(教訓) 名詞 辞書形 疲れる ます型 疲れます 名詞 疲れ パソコンは目が疲れます。動詞ます型 どうも、年のせいか目の疲れがとれません。名詞(疲労) 擦れ違うように 状態を表す副詞句 awayukiさんて女の方なんですね。すごいパワフルな方ですね。
お礼
再びありがとうございます。すみません、女性です^^;。おっしゃることは私の疑問点ではないような気がします。補足させていただきましたので、よろしければ、ご意見をもう少し聞かせていただけないでしょうか。
補足
文法用語がよくわかりませんが、私が#7で申したかったのは「中の人と擦れ違い、私は乗り込んだ」という文は「中の人と擦れ違った」と「私は乗り込んだ」と二つの文を一つにするため、「擦れ違う」を「擦れ違い」に変換したことです。二つの動詞をつなぐ時によく使う手法でしょう。なぜ不自然なのでしょうか。
- LTCM1998
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>どんな時に過去形なのか、どんな時に現在形なのかまだよくわかっていません。挙げられた例文も理解できません。 まず,原則は,過去のことは過去形です。 例外として,過去のことではあるけど,その過去においては現在であったときに,現在形が使えます。 二つの例文の両方とも,雨が降ったのは昨日であるとしましょう。 >例)雨は降る。しかし傘はなかった。 昨日の雨の話です。ですから原則どおり 「雨が降った。しかし傘はなかった。」 としても正解です。 しかし,もし10年前の話をするなら,全部が過去ですから,「…した。~と思った。…だった」ばかりになりますね。 そういう表現方法もあります。「プロジェクトX」というNHKのテレビ番組が10年ぐらい前にありました。この番組のナレーションでは,「悩んだ」「実験した」「完璧だった」と過去形を多用し,文章を長くせずに切ってしまうことで印象付けていました。 しかし,過去形をたくさん使いすぎると,読んでいて「過去であることは分かっている」と思うこともあります。 その場合,過去の時点ではリアルタイムな出来事である部分だけを,現在形に変えることは許されます。 傘がなかった=昨日(過去) 雨は降る=昨日の時点では現在の出来事 >例)傘は買えなかった。だが雨はますます強くなる。 傘は買えなかった。=昨日 雨はますます強くなる=昨日の時点では現在進行中の出来事 これは,どれも過去であると判断できる内容だからです。雨と傘は同じときの出来事だと思えるので,一方を過去形にしてあれば,もう一つを現在形にしても良いのです。 全然関係ない文章ではできません。 例)雨が降った。家に電話する。 これでは読んでいて,電話したのが昨日の話とは思えないのでダメです。しかし, 例)雨が降った。家に電話する。なかなか出ない。やっと出た妹に「車で迎えにきてほしい」と頼んだ。 と,後の文章によって「電話する」「なかなか出ない」が雨と関係があると分かれば,こういう表現も許されます。 これは,そういう方法もあるんだ,ぐらいでお考えください。 >エレベーターの遠慮(原因不確実・推測)と,階段で降りていった(上ったかもしれないという不確実・疑問)があって,分かりにくい感じがしました。 >階段を下りたほうを間違いないとして,エレベーターの遠慮を取りました。 >このため,階段が不確実だとすれば元の文とは違ってしまいます。 >上記のご説明の意味はよくわかっていません。もう少し説明していただけないでしょうか。 最初に客観的な事実として, (a)エレベーターを使わない・階段のほうへ行ったことは目で見ていた,確実なことですね。 (b)「階段で降りていった」ことは,見ていないので,出来事そのものが不確実なことです。「エレベーターを使っていないんだから階段で降りたんだろう」と推測したのですね。 もしかしたら階段を使わずに降りたのかもしれません。 (アクション映画みたいに飛び降りても平気だとか……極端ですが) 上の階の会社にも用事があって,上の階に行ったのかもしれません。 次に原因について, (c)エレベーターを使わない=きっと遠慮したんだろう は推測です。 (もしかしたら下りは階段を使ってダイエットしたいのかもしれません) (d)階段を使ったかどうかは見ていないので分かりません。 となると,確実なのは(a)「エレベーターを使っていない」ことだけで,あとはすべて推測です。 もし,階段のほうに向かっても,実はそこにはエスカレーターがある,となると,(b)の不確実さが増します。 しかし,(b)(c)(d)すべてを不確実にすると,何も分からなくなりますから,文章では書けなくなってしまいます。 もう一度元の文章に対応させると, 彼は恥ずかしそうに「失礼します。水曜日よろしくお願いします」と言って、階段のほうに向けた。→(a) 私と一緒にエレベーターに乗るのを遠慮し→(c) わざわざ階段で降りただろうか。→(b)(d) となります。 そこで,(b)については通常疑わなくて良いと考えよう,というのが説明でした。 推測を(c)の心理(動機)のみに絞ることで整理したわけです。
お礼
度々ありがとうございます。少しわかるようになりました。過去形の中に出てくる現在形という現象はまだよく理解できていません。もう少し教えていただけないでしょうか。
補足
>例外として,過去のことではあるけど,その過去においては現在であったときに,現在形が使えます。 「その過去においては現在であったときに」はどういう意味でしょうか。 >その場合,過去の時点ではリアルタイムな出来事である部分だけを,現在形に変えることは許されます。 「過去の時点ではリアルタイムな出来事である部分」はどういう意味でしょうか。 >傘がなかった=昨日(過去) 雨は降る=昨日の時点では現在の出来事 「雨は降る=昨日の時点では現在の出来事」というご説明が理解できませんでした。 >傘は買えなかった。=昨日 雨はますます強くなる=昨日の時点では現在進行中の出来事 「雨はますます強くなる=昨日の時点では現在進行中の出来事」というご説明が理解できませんでした。
- LTCM1998
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>「擦れ違うように」の「ように」はどういう意味でしょうか。 元は「擦れ違い、」とされていたところですね。 (A)文法面では; 確かに,動詞+、+次の文 とするときは,動詞は連用形にします。 例) 私は帰り、彼は残った。:帰る=五段活用動詞の終止形→帰り=連用形 ところがこの場合,名詞の「すれ違い」にも読めるのです。 例)結局,議論はすれ違いに終わった。:双方の主張が平行線で終わったことを表現 ここで辞書を見ると,次のようになっています。 擦れ違う《自五》 (1)たがいに触れ合うほど近くを通って、それぞれ反対の方向へ行く。「列車が―・う」 (2)出会うはずのところを出会わないでしまう。行き違う。「ちょっとのところで―・う」 (3)議論などで、論点が合致しない状態になる。(広辞苑第6版,以下引用は同じ) 助動詞「ようだ」を使って,「擦れ違う」が動詞であることを明らかにしています。 (B)表現の面では,「擦れ違う」の強い印象を,「~に似ている、~と同じである、~のごとくである」を表す助動詞「ようだ」を使って,緩和しています。 例)ぶつかるような勢いで→実際にはぶつかっていないが,ぶつかるのと同じ勢い 同時に,ここでは「すれ違った」ことそのものを重要視していません。エレベーターに乗り込む様子を表すために,「ような」を使って「乗り込んだ」を修飾する表現にしました。 これと似た表現のしかたは,カ行変格活用「来る」で多く見られます。 というのは,「来る」は連用形が「き」ですよね。 例)私がき,彼女は帰った。 これは間違いではないのですが,読みにくいと思いませんか。なぜなら,「き」一文字なので,かなにすると混ざってしまっています。そこで話し言葉では自然に, 例)私が来て,彼女は帰った。 と,助詞「て」を(意識せずに)使います。 て《助詞》活用形の連用形、副詞などに付く。(1)(接続助詞)前の語句を受けて後の語句に続ける。 と説明はできますが,気にしなくていいです。 あまり意味は変わらなくても,助詞・助動詞を使って,活用のために読みにくくなったところを読みやすくする方法がある,と考えれば良いでしょう。 >「閉まりかかる」はどういう意味でしょうか。 ドアが開いている状態から,閉まっている状態へ移る最中である,という意味です。 かかる (抜粋) (7)(他の動詞の連用形に付いて)ある情況に移り及ぶ意を表す。(1)…し始まる。ちょうど…する。「その時知人が通り―・った」 エレベーターの動きを詳しく書くと, (a)エレベータが自分のいる階に到着する→(b)ドアが開く→(c)人の乗り降り→(d)自動でドアが閉まる→(e)完全に閉まる→(f)数秒たって何もなければ上下どちらかへエレベーターが動く となります。 (d)の途中で「開」を押す,つまりドアが閉まる前に「開」ボタンを押したので,ドアは閉まらずに開いた,と解釈したのが私の「閉まりかかる」です。 つまり,ドアが完全に閉まってから「開」ボタンを押した=(e)と(f)の間に「開」ボタンを押したのではない,と解釈しています。 >「少しの時間検索した後で思い出した」はどういう意味でしょうか。 「検索」という言葉を使った意図として,自分の記憶をGoogleで検索するイメージだと考えました。もし瞬時に思い出せるなら,「検索」という言葉は使わないと思うからです。 (a)顔を見て,すぐには誰だか思い出せなかった。 (b)そこで「検索」した(=Googleで語句を入力して検索ボタンを押した)。 (c)その結果「思い出した」(=Googleで結果の一覧が出て思い通りのサイトが見つかった) (b)と(c)の間に数秒が経過している,という意味です。
お礼
度々ありがとうございます。まだよくわかりませんが、もう少し教えていただけないでしょうか。
補足
1. >ところがこの場合,名詞の「すれ違い」にも読めるのです。 例)結局,議論はすれ違いに終わった。 なぜ名詞の「すれ違い」にも読めるのでしょうか。「中の人と擦れ違い」の中の「擦れ違い」は動詞の連用形としか読めないような気がします。「擦れ違い」の後ろに「に」があるなら、名詞に読めることに納得できます。 >(B)表現の面では,「擦れ違う」の強い印象を,「~に似ている、~と同じである、~のごとくである」を表す助動詞「ようだ」を使って,緩和しています。 例)ぶつかるような勢いで→実際にはぶつかっていないが,ぶつかるのと同じ勢い 同時に,ここでは「すれ違った」ことそのものを重要視していません。エレベーターに乗り込む様子を表すために,「ような」を使って「乗り込んだ」を修飾する表現にしました。 なぜ「擦れ違う」という言葉に強い印象があるのでしょうか。なぜ「ようだ」で緩和する必要があるのか、よくわかりません。『ここでは「すれ違った」ことそのものを重要視していません。エレベーターに乗り込む様子を表すために,「ような」を使って「乗り込んだ」を修飾する表現にしました』についてもう少し説明していただけないでしょうか。よくわかりません。「擦れ違うように」だと擦れ違っていないような気がします。でも、実際は「擦れ違った」という行為が発生しました。なぜ「ようだ」を使うのか、不思議です。 2. 「少しの時間検索した後で思い出した」という意味はわかりましたが、#4でおっしゃる >また、過去の回想ということで過去形を使っている(原文:検索した)と思いますが、少しの時間検索した後で思い出した、ということなので,「検索する」と現在形にしました。 ということはまだ理解不能です。「検索する」と現在形にする理由をもう少し教えていただけないでしょうか。
- kentaulus
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淡雪さん、こんにちは。 > 1.また、日本語の「門」は、建物の敷地内外の出入口(ある意味、境界線上)に有る「門」の意味が強いです。 「門」についてのご説明はまだよく理解できていません。 特に、「敷地内外」と「境界線上」の意味がよくわかっていません。 中国では土地は国家財産で、国民は国から土地を借りて家やビルを建てますよね。 日本では土地は個人所有できる財産なので、法律上では土地に境界線が有ります。 言い換えれば、個人で管理する国境のようなものです。 自分の所有する土地を「敷地 ( しきち )、あるいは、所有地」と言います。 この敷地の内部( 内側 ) を「敷地内 しきちない」と言います。 国や他人が持つ土地は、自分が持つ敷地の外部なので「敷地外 しきちがい」と言います。 ですので、敷地の境界が存在します。 日本では、一般的に敷地の境界に有る関門を「門」と言います。 また、別の分け方では、建物( ビル、家などの居住や仕事のための建築物 )に付属せず、 単独で建てている関門を「門」と言います。( 英語の Gate ) そして、 建物 ( ビル、家などの居住や仕事のための建築物 ) に付属する門を 「**口」( 出入口、玄関口、勝手口、裏口など )と言います。 ( 英語の doorway, entrance ) 門 - 建物に付属せず、単独で建っている。 http://image-search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E9%96%80 ビルのエレベーターは建物の内部に有る( 建物に付属する ) ので「門」ではありません。 エレベーターは「出入口」になります。 どうでしょうか、理解できたでしょうか? 図を添付します。 マウスの右ボタンで、図を拡大して見てください。
お礼
kentaulusさん、こんにちは。再びありがとうございます。「門」のイメージはつかめました。大変助かりました。本当にありがとうございました。
- 阿加井 凛悟(@neutral)
- ベストアンサー率29% (231/773)
淡雪さん。おはようございます。 何度もすみません。 今日も、ほんの一言だけです。 >その人は私が出るのに気づき、【思わず】止まって振り向いた この【 】中が、 「思わず」のような心理的描写ではない副詞であれば、 (たとえば【その瞬間】【瞬時に】【急に】【突然】【すぐに】など) 「その人は私が出るのに気づき、【 】止まって振り向いた これでOKなのですよ。 「正しい表現」も人によって、いろいろありますから、 「いったいどれなんだ?」と思わないでください。 お忙しい中、読んでくださり、ありがとうございました。 頑張って。(^_-)-☆
お礼
再びありがとうございます。正しい日本語より、自然な日本語、美しい日本語を習得したいと思います。でも、何をもって自然とするか、何をもって美しいとするかは、場合によって、議論を呼びますね。ご回答は大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- hakobulu
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みなさんのご意見を拝見したのですが、私の添削手法と絡めて少し感想を述べてみたいと思います。 まず、確かに、大作家であろうが、たとえば夏目漱石なんかでも変な日本語表現をしている箇所はたくさんあります。 しかし、大作家が変な日本語表現をしているのだから、一般人だって変な日本語表現をして良い、という理屈にはなりません。 学習者の方々は、あくまで「日本語として自然に感じる表現」を基礎として身につけるべきでしょう。 ここで、「自然な表現とは何か」という問題は確かにあります。 個人的な感覚は千差万別ですから、当然、そういう要素は含まれます。 しかし、全てをそれで片付けることはできません。 つまり、「明らかに不自然な表現」「明らかに間違った表現」というものも確かにある、ということです。 よい例が、#14さんご指摘の、 「その人は私が出るのに気づき、思わず止まって振り向いた」 という箇所です。 #14さんは、「思わず」という表現に言及して、 >自分でなく「そのひと」の心理を直接描写するのはるール違反だと思います。 :とおっしゃっていますが、これは正論でしょう。 これをも「千差万別」で片付けるのは間違いです。(原文では「あの人」となっていますが、これも当然「その人」でなければなりません) 因みに、「その人」が「彼」であれば、状況を俯瞰している視点からの表現として「思わず」は使えることになるでしょう。 こういうことはネイティブであっても見逃してしまいがちな誤りであり、むしろ純粋な気持ちで日本語を学ぼうとされている方々の素直な疑問で、私たちのいい加減さが浮き彫りになってくることが多々あるわけです。 その意味で、私は教えているつもりで実は教えられているのだ、という視点も失わないようにしたいものと考えています。 こういったわけで、 「明らかに不自然な表現 / 明らかに間違った表現」と「個人的な感覚の違いで済む表現」は、やはり見極める必要があるでしょう。 私の添削に関しては、 「明らかに不自然な表現 / 明らかに間違った表現」に関しては、<要注意点>として列挙するようにしています。 それ以外の添削箇所は、「多少稚拙ではあるが許容範囲」または「個人的な感覚の違いで済む(しかし私としては済まして欲しくない)表現」ということになります。 偉そうに言うわりには間違い・訂正の多い投稿ですが、そこはおそらく諦めていただいていることでしょう。 中途半端に納得せずに、どんどん、突っ込んでください。 日本人だから日本語をよく知っているというわけではないんですよね。妙な面子を捨てて、間違いは間違いと認めていくことによって、私(たち)も勉強になるわけです。 このことを念頭において肩肘張らずに楽しく、しかし、表現に関しては厳しく、お勉強していきましょう。
お礼
添削手法について教えていただきありがとうございます。よくわかりました。これからもよろしくお願いいたします。
補足
1. >因みに、「その人」が「彼」であれば、状況を俯瞰している視点からの表現として「思わず」は使えることになるでしょう。 これはどういう意味でしょうか。「思わず」はまた使えるようになったのでしょうか。 2. >このことを念頭において肩肘張らずに楽しく、しかし、表現に関しては厳しく、お勉強していきましょう。 「お勉強する」は謙譲語でしょうか。
お礼
いつもご親切に添削していただきありがとうございます。大変参考になりました。一箇所よくわからないのですが、もう一度教えていただけないでしょうか。
補足
>→エレベーターが【来て】【扉が】【開き】、中の人と【入れ違いに】私は乗り込んだ。 「入れ違いに」の「に」はどういう意味でしょうか。