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(日露戦争以前) アルゼンチンが親日的であった理由は?

(日露戦争以前) アルゼンチンが親日的であった理由は? 日露戦争以前からアルゼンチンやチリでは親日的であったとの記事に出合いました。 これが事実のとき、理由は何ですか。日露戦争後に親日的になったというのであれば分からなくもないのですが、それ以前からというのでは理由が分かりません。 また、この記事からアイヒマンがアルゼンチンに逃亡していた事実を想起しましたが、彼の国では日本やドイツに対して好意的であったなどの事情でもありましたか。 よろしくお願いします。

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回答No.1

手元の歴史年表をみますと、 1898年2月3日、アルゼンチンと日本の間で「修好通商航海条約」が交わされています。 そこで、ちょっと検索してみたのですが、このサイトを読んで驚きました。 参考になるのではないでしょうか。 アルゼンチン日本人移民史 http://fananikkei.exblog.jp/i17/

sono-higurashi
質問者

お礼

細々ながら随分早くから日本人が渡っていたのだと分かりました。 それにしても、移民法も北欧系移民を奨励したものだというし、「修好通商航海条約」以前には、特別に日本に好意的であったという訳ではなさそうです。 勝手な想像ですが、インド、東南アジアを経由して極東に辿り着いたヨーロッパ組が日本以外に足場を確保していたのに対して、米国やアルゼンチンのように直接、太平洋を渡って極東に辿り着いた後発組は何やかやいっても結局、日本の協力を必要としたのではないでしょうか。この結果としての「修好通商航海条約」ではないでしょうか。この条約が対日感情へよい影響を与えたであろうという説は納得できます。 「春日」、「日進」の縁もあってか、日露戦争後の日本海軍への敬愛振りは大変なものだったそうですね。 キーワード「修好通商航海条約」によって少し分かった気がします。 なお、アイヒマンの件ですが、その後、次の記事を見つけました。アイヒマン逃亡と結びつくかどうかは判りません。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3  「~、第二次世界大戦の最中にイギリスと戦う枢軸国への好意的な中立を標榜した統一将校団(GOU)のフアン・ペロン大佐は徐々に人気を集め、~」 有り難うございました。本日中に何方様からも特段のご返事がないときは当方の勝手次第で締め切ります。

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