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(日清)日露戦争について

以前日露戦争について議論したことがあるのですが 私は角田順氏の本や黒羽茂氏の本などを読んでいたので、私は 「日露戦争は本土防衛のための戦争であり、日本は安全保障上の理由から開戦にふみきった」と主張しました。 すると相手の方に「それは右翼的で歴史修正主義に通じるものだ」と言われました。 そこで大江志乃夫氏や稲葉千晴氏などの著作を薦められ、大体は読みつくしました。 確かにこの学者様の論調は冷静で「なるほど。確かにそうだ」と納得のできるものでした。 しかしながら自分の有する考えを否定することもできず、前者の立場を肯定するような本も読んでいます。 色々読んでいるのですが読めば読むほど分けが分からなくなってしまうのです。最近では両派の主張は全くベクトルの違うことを論じあっているのではないか?とも思うようになりました。 いったいどちらが正しいのでしょうか? (私個人には帝政ロシアは信用できない等の先入観はあると思います) もうひとつお聞きしたいのですが、自国の立場から歴史を考えるというのは間違っているのでしょうか? やはり歴史は多様性を持たせるべきなのでしょうか? そして前者が自由主義史観(自慰史観)につながり、後者が進歩史観(自虐史観)に通ずるのでしょうか? 日清日露戦争はセットで考えるべきだと思います(両方とも朝鮮半島問題が起因している)ので()付けにしました。 分かりにくい文章ですみません・・・ ご回答いただけたらと思います。

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  • tokyoond
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回答No.7

 質問者さんは歴史に対する知識も認識も、すばらしいものを持っていると思います。だから私の意見はアドバイスとしてちょっと耳を傾けてくれるだけで結構です。  歴史というのも立派な科学だと思います(歴史学)。そして科学の目的は何かと言えば、究極的には「人の役に立つ」ことだと思います。だからこそ国がお金を払ってそれを発展・維持させているわけです。その目的に合致しないものは「非科学的」と認識されて、学問にはなり得ないですよね。哲学が軽視される傾向にあるのも、そういう意識があるためなんだと思います(即効性がないだけで、思想的に大いに役立っているが)。ですから、 >自国の立場から歴史を考えるというのは間違っているのでしょうか?  この質問は、自国の利益を追求する人にとっては「OK」だと思います。それは政治家や公務員などですね。また一般国民だって、自国の利益を追求する状況や、意識をもっていれば、当然「OK」なんだと思います。  しかしこの場合、科学(歴史)の目的を、国のためという狭い範囲に限定しているために、その汎用性が少ない、つまり他国では通用しないわけです。  より客観的な歴史認識(例えば利害関係のまったくない第3国が認めるような)を求めるためには、国益という限定を外して、「日露両国が2度と戦争を起こさない」という目的に広げなければならないと思います。たとえば、 >地政学的に考えて朝鮮半島は日本にとって地政学上非常に重要な土地であるので明治日本にとっては朝鮮半島の安定確保(敵対する可能性のある第三国の勢力の進入を許さない)が必要であったのではないでしょうか?  その通りだと思います。日本は朝鮮半島南部が不安定、もしくは第三国の勢力の手に落ちると、国防意識が一気に高まり、西日本を要塞化してきた歴史があります(白村江の戦い後、元寇)。清国に甲申事変でやられて軍備を増強したり、朝鮮戦争で警察予備隊(自衛隊)が発足したり。だからこういう事は、日本の国益上は当然の措置なわけですよね。しかし相手国の国益にとっては当然ではない。だから「2度と戦争を起こさない」という目的に歴史学を用いることはすごく難しいんだと思います。両方が妥協しなければいけないのですから。  私は、質問者さんの言う、「自由主義史観(自慰史観)」が相手国の妥協を重視する立場、「進歩史観(自虐史観」)が自国の妥協を重視する立場、という風に認識しています。どちらも歴史から学んでいる点では共通していると思います。どちらが正しいのかは未来を見なければわかりません。ちなみに南京虐殺で30万人殺されたとか、従軍慰安婦問題での「奴隷狩りのような強制連行」などは、歴史学の厳正な手続きを通過できていなため却下せざるを得ないでしょう。これは歴史を学ぶことの大前提にあることだと思います。 >しかしながら自分の有する考えを否定することもできず  この意見には激しく共感しますね。これは日本人である以上、自然な感情なんだと思いますよ。

waffenss
質問者

お礼

なるほど。 国家間の正しい歴史認識というものが有り得ないのはどちらかが妥協する必要があるからなんですね。 自分が損したくないのは当たり前ですよね(時には損をすることが長期的利益につながることもあるようですが・・・) そもそも互いの国益のぶつかり合いである戦争で認識を共有しようということは間違いだということでしょうか。 国益というものが絡んでくると相手側や自分に犠牲を強いることが多々ありますからね・・・ 大変参考になりました。 ご回答有難うございました。 >この意見には激しく共感しますね。これは日本人である以上、自然な感情なんだと思いますよ。 やはり日本人の視点で歴史を俯瞰するような姿勢が自然と出来上がるのしょうかね。

その他の回答 (14)

  • A6M2-1941
  • ベストアンサー率16% (2/12)
回答No.15

日露戦争が自衛の戦争であったと言うことは間違いありません。 当時ロシアは不凍港獲得の南下政策 領土膨張政策 でヨーロッパ中国極東などに進出していた最中でした。朝鮮を手中に収める野望は見栄見栄です。旅順に大要塞を築き拠点を置いた。朝鮮国王と結託して軍隊を朝鮮に駐留し政治に介入しようとした。対馬の近郊 巨済島に大砲を設置。義和団事変以後も他の軍隊が撤退する中 ロシアは居座り続ける。朝鮮を虎視眈々と狙っていることは明らかでした。 朝鮮がロシア領土になれば日本の喉元に大国ロシアが居座ることになり 海洋安全保障が脅かされるばかりではなく 十分な準備を以って日本侵略の足場とすれば本国侵略も想定される事態でした。朝鮮を取ってしまうと目の前に覆いかぶさるように存在である日本が気になって仕方が無いでしょうし 良港に恵まれる日本が欲しくなるのは十分想定されます。戦えば総力戦では日本には勝ち目は無いことは判っていました、ヨーロッパではイギリスがロシアの南下政策で対峙し 中国の権益を手にしたいアメリカの双方は日本を後押しして資金面や政策面でバックアップし 早期開戦 早期決着こそロシアを撃破して朝鮮進出を阻む方策だと判断しました、 開戦を決意した天皇初め閣僚は沈痛の思いで決意をしたそうです。正に国の存亡をかけた戦いでした、このことには異論はありません。 当初の予定通り 短期決戦で有利に戦いを進め アメリカの仲裁で勝ちを収めることは出来ました。 この勝利は世界中が驚きました、同盟を結んだイギリスもまさか勝利するとは思ってもいなかったでしょう。 日露戦争は近代戦で有色人種が白人国家に勝った最初の戦いでした、有色人種は欧米人から支配されるという常識が覆った画期的な出来事でした、有色人種だってやればできると言う希望を与えました。ヨーロッパでもロシアの横暴に苦しめられた人々は大変喜んだそうです。 この時代は力こそ全ての時代です、明治政府を作った政治家たちはいち早くその理屈を理解して死にもの狂いで力をつけていきました。 そして日露戦争に勝利し 晴れて世界の強国に仲間入りが出来ました、またこの事で 先に締結した数々の不平等条約の撤廃が出来ました。国際関係に力が決定的な要素であることを身をもって実感した瞬間です。 この事実からして日露戦争が十分正当性のある戦争であったことは明らかですし 世界的な評価でも理不尽な戦争であると言う論説は無いはずです。 朝鮮の方がこの戦争に異議をはさむのであれば「お気の毒でしたね」としか言いようがありません、それ以上でもそれ以下でもないです。 私は こと日露戦争に限ってはもっと日本人は誇っても良いと思いますし 世界史的にも重要な出来事です、わずか50年前には皆ちょんまげ姿で太平の時代を過ごしていたかと思うと信じられない出来事です。 また自虐史観を強調して述べているのは日本ぐらいではないですか?どんな国にも光と影がありますよ、強固な国を保持するために自国に誇りと愛着を持ってもらうことは大事な事ですから どんな国でも自国の輝かしい過去や英雄を大事にして教育しています。いや影の部分は隠さなくてもいいですが ことさら強調することに何の意味がありますか?自虐史観は何の為ですか?近隣諸国への配慮ですか?侵略国家へ成らない為の布石ですか?この理屈は政治的な匂いがプンプンしますけど、日本が腰抜けであれば何かと有利な国家がありますから。 ただ太平洋戦争へ進んだ道を遡ると日露の勝利にたどり着いてしまいます、そういう長期的な意味では国家破滅の分岐点の初めが日露戦争と言えるかもしれません。

waffenss
質問者

お礼

ご回答有難うございます そうですね。日本の勝利は衝撃的なものだったでしょうね。 これは誇ってもよいのかもしれません。 >また自虐史観を強調して述べているのは日本ぐらいではないですか?>どんな国にも光と影がありますよ 確かにそうですね。 日本の場合は殊に近代史となると闇の部分ばかり強調しているのは確かだと思います。 光の部分を無視してしまうのは惜しいことですね。 米国の開拓史や西洋の近代文明の拡大なども常に闇の部分を伴っていますが、そこだけを強調することは惜しいことですしつまらないでしょうね。 それは日本も同じだと思います。 そういったことについて論争が起こるのは当たり前なのかもしれません。 歴史をどう俯瞰すればよいのかについての議論は尽きることはないのかもしれません。 どちらの立場に身をおこうとも相手より道義的に上に立っているなどということはないのでしょうね。 大変参考になりました。

  • Roman0
  • ベストアンサー率18% (118/628)
回答No.14

No.9 のお礼 > そうなるとやはりイデオロギーや国家というものが介在 > する場合は自分の(自国)の立場で考えるということが > スタンダードになるのですね。  はい、そのとおりです。  なお、注意点としては、スタンダードに従っていたらみなが褒めてくれるという意味のスタンダードでは無いという点ですね。  特定アジア(共産党中国、北朝鮮、韓国)の人や、特定アジアを心の祖国とする人からすれば、仇敵宣言をしているようなものですから、この場合はスタンダードに則れば彼らと徹底的に戦うことになります。その覚悟を、私としては持ってほしいと思いますが、戦術的撤退もしばしばあるでしょう。 > 純粋に歴史を学ぶということになるとまた違った様相を > 呈してくるということでしょうか。  そうですね。利害関係の軸が変わってきますから。  竹島や尖閣諸島が日本の領土と主張すれば、特定アジアは死に物狂いで抵抗してきます。というか、領土に対する国家の執着という意味ではこれは普通のことで、日本が淡白すぎるのが異常なのです。ただ、領有権主張の根拠が100%でたらめというのは、特定アジアの特徴ですが。  それはともかく、歴史的には、両方がそのような主張をしているという事実を踏まえ、なぜ特定アジアはそんな主張をするのか、という歴史的分析や、なぜ日本はそんなに淡白なのか、という歴史的分析は、それぞれもうちょっと切り口をシャープに絞れば、論文になるテーマですね。

waffenss
質問者

お礼

またまたご回答有難うございます。 確かに日本人は歴史に対して淡白になっているのかもしれませんね。 清濁併せ呑む態度で歴史を学んでいきたいと思います。 大変参考になりました。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.13

 No.12です。  高校生と言うことなので、歴史を見る上でのアドバイスを少し。  一つは、「歴史の流れ」を見ると言うことです。  歴史は本来連続しているものであるにもかかわらず、暗記中心の歴史勉強では、その連続性を意識することが出来ず、歴史から未来への指針を読み取ることが出来なくなってしまいます。  ですから、日清日露をセットで考えると言う視点は、大変いいことだと思います。  第二次世界大戦中の日本の起こした人権軽視が、現在の時点で政治問題となっています。この問題を考える時には、第一次世界大戦における日本の対応はどうだったかということを知らずにコメントしても、流れとして把握できません。  問題の起きる以前はどうだったのか、それが問題把握の第一歩です。 参考:第一次世界大戦中の日本の捕虜収容所の実態。  https://library.pref.oita.jp/docs/reference/k32.html  http://www.city.kasai.hyogo.jp/02kank/08sisi/huryo.htm  http://www.city.naruto.tokushima.jp/germanhouse/about.html  http://homepage3.nifty.com/akagaki/kousina.html  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E6%9D%B1%E4%BF%98%E8%99%9C%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80  もう一つは、どの歴史の教科書も歴史的書籍も、その著者・編集者の多くが歴史の学者であるため、経済などの数字の把握が十分ではありません。(経済学者の書いた歴史著作もありますが、少数です。)  特に明治以後の世界各国の政治を考える場合、その経済力や各経済部門ごとの生産力・伸び率などが、国政の判断の基礎となっています。  また、昔は一国の中にその国の経済活動がほぼ収まっていましたが、現在ではお互いの政治的な国境を越えて、経済活動が行われています。この変化は、政治判断の大きな変化となって、歴史を変えていく原因になっています。  歴史資料の経済などの数的グラフと、政治的出来事の関連を忘れずに対比することをお勧めします。

waffenss
質問者

お礼

続けてのご回答有難うございます。 司馬遼太郎氏の「明るい明治暗い昭和」に必ずしも賛同するわけではありませんが、大きく変化した部分が多くありますね。 大正期においては反軍思想が広まりを見せたり自由民権運動が盛んに行われもしました。 なのに昭和期に入ると一転して軍に対する信頼や尊敬の念が高まりを見せていますね。やはり経済問題などが関連しているのでしょうね。 日露戦争や第一次世界大戦における捕虜の扱い方には雲泥の差がありますね。(これは戦勝国と呼ばれる国々も似たような部分があるかも知れませんが・・・) >歴史資料の経済などの数的グラフと、政治的出来事の関連を忘れずに>対比することをお勧めします。 政治史にかかわるような本は多く読みましたが、経済から歴史を見るというと「昭和経済史」ぐらいしか読んだことがありませんでした。 戦争関係の書籍を読むと両方に言及したような内容が多く出てきますね。 その当時の国力が政治的判断のもとになっているということは歴史の流れを理解するうえで大変重要なのですね。 ご回答ありがとうございました。 大変参考になりました。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.12

 歴史の見方に「ラベル」を付けて、色分けすることで、二極分化したプロトタイプの歴史観に分けることが必要でしょうか?  歴史を学ぶ意味は、「今後、我々はどのように時代を渡っていくのか。」という、指針を得るためにあると考えています。  ですから、歴史を見るときに『繰り返し起こっている出来事』について、ヨーロッパの国同士であっても、日本と他国とであっても、同じような条件の下で、同じようなことが起きていれば、今後の教訓とすることが出来ます。この場合は、できるだけ多様性のある視点が必要です。  もう一つは、「もし、日本人だけに起こりやすい失敗パターンがあれば、そのケースについて日本人がはっきり意識していないと、同じ失敗を起こす可能性が、他国の場合に比べて大きくなる。」と言う点です。  このパターンで起こる失敗例を見るには、『日本』という立脚点を無視できません。(成功例も同様です。)  日本人が国の将来を誤らずに、『戦争と飢えがなく、国民の病気・老化・貧困に対して社会として援助できる体制』を継続し続けることが出来るなら、大成功です。  そのためには多様性のある歴史視点と共に、日本人としての特殊性を意識することも必要です。どちらが欠けても、歴史の教訓を未来に生かすことは、出来なくなると思います。

waffenss
質問者

お礼

確かにラベル・・・というかレッテルを貼りあう行為は奇妙にも思えますね。 進歩史観も自由主義史観も一面的な真実を映し出しているということでしょうか?だとすれば清濁併せ呑むような態度が必要なのでしょうね。 日本人としての特殊性・・・ですか。 私の理解できる範囲だとやはり朝鮮半島や大陸へのコミットの仕方でしょうか。地理的に近いこともありなにか起こったときに直接的な被害を受けやすいため深入りして国の進路を誤らせるのではないだろうかとは思います。 月並みかもしれませんが西洋なのか東洋なのかというアイデンティティの揺れもあるかもしれませんね。 アジアか欧米か中国か米国かで今現在も揺れていますね。 個人的には中国の「徳治」に期待したいのですが・・・ ご回答有難うございました。 大変参考になりました。

回答No.11

 例えば、現在進行中の紛争を考えて見れば何がしかのヒントがあるのではと思います。えー、ダルフールでの大量虐殺はたいへん悲惨で醜く悲しい事で、それは一つの国の一つの地域で起こっているできごとですが、多くの国・地域の、多くの困難な問題が錯綜して起こっている出来事です。単純に考えれば殺したヤツのリーダーが犯人で悪者である事は一目瞭然です。でも、未だに虐殺は続き解決の道は遠い様です。この場合は誰が悪いとか良いとか、正義がどうだとか、正しいのはどちらだとか、そんな事は現実のできごとに対してへのツッパリにもなっていません。たぶん、後年になってあれはこうだったどうだったと正解が出ているかも知れません。何万人もが殺された後で。歴史はだいたいこれの繰り返しでしょう。たぶん。(ダルフールの大虐殺は、もちろん日清・日露の戦争とはまったく関係はありません。)  歴史を研究する事はある種無意味で現実の動きには無力です。でも、その出来事の背景にはその出来事に関連した膨大な情報と人の動きがあります。これを研究し掘り起こしていく事はたいへん面白くて、出来事そのものよりも興味深い事がらがたくさん出てきます。そして、それには歴史だけではなく社会や思想、数学や芸術など多くの知識があればより面白くなります。せっかく、歴史に興味があるのでしたら表面的な事も良いですが、より広く深く探求される事をと思います。

waffenss
質問者

お礼

確かにそうですね。 その時代に起こった出来事に対して色々な判断を下すのは常に後世の人間ですね。 ただ私には正しかった間違っていた或いは、ああすればよかったこうすればよかったと論じることが正しいかどうかは分かりません。 また日露戦争ひとつをとっても日本国内の変化やロシア国内の変化を考えるのは確かに面白いです。 現実におきている問題に歴史研究することで対応しようというのは無理な話なのでしょうかね。 ご回答有難うございました。

  • teccrt
  • ベストアンサー率35% (91/257)
回答No.10

日韓併合・日中戦争・太平洋戦争の解釈を巡って「自虐史観」と「自慰史観」の対立があることは知っていましたが、日清・日露戦争でもこんなに盛んに論じられていることは、恥ずかしながら知りませんでした。 まず、どちらが正しいかという質問については、「事実に基づいた考察であるなら、どちらも正しい。」と思います。コップに半分くらい水が入っているのを見て、「半分しかない」という人もいれば、「半分もある」という人もいる訳ですから、立場によって見解に差が出るのは、仕方がないと思います。 日露戦争も「朝鮮半島・満州で戦っておいて、自衛戦争はないだろう。」と言われればそうですし、「当時の国際状況を考えれば、朝鮮へ進出の野望を隠さないロシアを放置すれば、間違いなく時間の経過とともに日本は安全保障面で大きな危機を迎えるのは明らかで、性格としては植民地を巡る争いよりも自衛戦争の色が濃い。」と言う見解にも一理あると思います。 但し、かみ合わない見解に対して評価する軸を決めれば、どちらがBetterなのかは判断できると思います。多様性を持たせるべき、というよりは多様性がある前提で、自分が支持したい見解も含めてあらゆる見解に+をもたらす面と負の面があることを認識することが大切なのではないかと思います。 ちなみに、国益という点から判断すると、僕自身は「自虐史観」よりの見解の方がBetterだと思っています。(前提としては、諸外国からの事実を捻じ曲げたり、意図的に隠した日本批判には、毅然と対応した上で、ということですが。) 自慰史観の見解も、同じ日本国民としては確かに受け入れやすいです。ただ、日本の国益にとって、今後当面はアメリカに次いで重要な相手となる中韓からは到底受け入れてもらえませんし、世界世論をリードしている欧米にも受け入れられにくいことは、慰安婦問題を巡るアメリカ議会の動きをみても明らかです。 これだけビジネスがグローバルになっている中、これまで自虐史観を根底にした「ソフト路線」で中朝韓を除くほぼ世界中から好意的に捉えられてきた日本が、自慰史観に変わることで世界に到底受け入れられない歴史解釈を声高に主張することは、いたずらにビジネスにおいて日本を不利にします。 経済力で持っている日本は、それが弱まれば、国際的な影響力はさらになくなります。日本が一定の繁栄を維持したいなら国際的に支持されやすい歴史解釈を掲げるべきですし、それが嫌なら、政治的孤立とそれがもたらす経済的没落に陥る可能性が高まることを認識しておくべきだと思います。既に、落ち目の日本を尻目に、急成長の中国はアメリカと距離を縮めたがっているし、アメリカも日本べったりから、中国とのビジネス強化の方が旨味があると判断し、日中に対する距離感を修正し始めています。

waffenss
質問者

お礼

確かに国益という観点から考えることも重要ですね。 こう考えると大東亜(太平洋)戦争に関しては明らかに進歩史観派に分がありますね。 ただ日清日露戦争に関しては当時の欧米の「ルール」に則って行った戦争ですので、彼らの心象を悪くすることはないと思うのですが・・・ やはり重要なのは中韓との関係でしょうか? 私はまだ高校生ですので国益やビジネスという実生活から離れたものはなかなかイメージし難いですが・・・;^^

  • Roman0
  • ベストアンサー率18% (118/628)
回答No.9

 外交における歴史とは何か、ということを考えましょう。  正解は、「自国の主張、自国の行為の正当性を裏付ける、強力な武器の一つ」です。  日本が日本の主張を裏付けるために有利な事実は、特定アジアにとっては不利になります。だから、彼らはなりふりかまわず歴史を捏造します。逆に言えば、それしか正当性を示す手段が無かったので、文字通り必死でしがみつくのです。今は、核を持っていますから他の選択肢も出てきていますが。  従って、自虐史観の持ち主が、他者を歴史修正主義と批判するのは、タチの悪い冗談でしかありません。そもそも歴史を捏造してきたのは自虐史観を構成するグループだったのですから。当人は本気かもしれませんが。  まあ、捏造された歴史を事実に基づくものに是正する処置として修正するという意味で、歴史修正というのは正しいのですが、別にそれは主義でやっているわけではありません。  主義でやっているのは、むしろ歴史を捏造することで自らの正当性を主張できるというコンセプトを持っている、共産主義者です。 > いったいどちらが正しいのでしょうか?  正しい、の定義として、「事実に基づく」を取るのなら、自衛が正しいのです。そもそも、日本は海外雄飛なんてしたくなくて鎖国していたのを、ペリーがむりやり開国したのです。この経緯からして、いきなり数十年で世界征服をたくらむなんてあり得ません。  他方、自国の主張に準じる(殉じる)という意味なら、どちらも正しいといえますね。自虐史観の持ち主の「(精神的)自国」は、特定アジアのどこかでしょうから。 > もうひとつお聞きしたいのですが、自国の立場から歴史を > 考えるというのは間違っているのでしょうか? > やはり歴史は多様性を持たせるべきなのでしょうか?  歴史は、ヘロドトスと司馬遷が、洋の東西でそれぞれ独自に発明した概念です。両方とも、冒頭に上げたように国家という概念が前提としてあって発明されました。  自国の立場から考える、というのは、歴史のスタンダード中のスタンダードです。その意味で、間違っていません。  「多様性を持たせるべき」という主張は、対立する国家同士の場で語る場合、「相手の主張に飲み込まれろ」という主張と同義です。売国奴の発言と言えるでしょう。もっとも、(精神的)自国が日本でない場合、愛国者と言えるかもしれません。  いずれにせよ、「世界共通の歴史観」なんてものは、あり得ないということです。国家の数だけ、もしくは政策グループの都合の数だけ、歴史観はあるのです。  他方、学問としての歴史学であれば、現象の時系列をどういう形で理解するかを比較できることは、説明原理としての幅を広げることになるので、学問的には良いことと言えるでしょう。

waffenss
質問者

お礼

なるほど。 歴史も外交の武器のひとつと言う事ですね。 そうなるとやはりイデオロギーや国家というものが介在する場合は自分の(自国)の立場で考えるということがスタンダードになるのですね。 純粋に歴史を学ぶということになるとまた違った様相を呈してくるということでしょうか。 ご回答有難うございました。

  • kodon
  • ベストアンサー率19% (17/86)
回答No.8

世界に共通の歴史観が出来ることが望ましいことですが、決してできないのではないでしょうか。人間の本質を考えれば判ることですが、そもそも人がこの世に誕生する時本人の考えも何もなく親も誕生地も必然的に決められてしまています。成人した後親をすて国を捨てる人も中にはいますが、多くの人は親、国を変えようなどは考えない者です。人は自分の関わりのある団体や組織が良くなれば利益の分け前を得られることは知っています。生まれ育った国が良くなればと皆努力してきたはずです。過っての祖先の人々も我が国が良くなればと活動してきたはずと考えるのが当然であり、先人が行った事を相手国に気兼ねして自国を悪し様に言ふことなどすべきでないと考えております。日本人を守ってくれるのは日本国しかないのですから、日本国の歴史を正等に評価されるように努力することは国民の務めと考えても良いのではないでしょうか。

waffenss
質問者

お礼

なるほど。 民族や国家というものが虚構であるとはいえ「民族として共有すべき歴史」のようなものが必要なのかもしれませんね。 そうなると自然と自国の視点から考えるということが多くなるのですね。 自国にとっての成功体験や失敗の体験を考えていくということが必要なのでしょうね。 そのうえで、上の回答者様がおっしゃられるような「国益」というものも考えていく必要があるということですね。 ご回答有難うございました。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.6

補足として 日本が朝鮮半島を領有しなくても、安全保障上の問題がないのは、有史以来の日本史が証明しています。また、ロシア極東艦隊の戦力では、日本の連合艦隊を撃破して日本へ侵攻するのは不可能でした。仮定のおはなしでしかありませんが、朝鮮半島がロシア領になっていたとしたら、日本は無謀な戦争を経験しなくてすんだかもしれません。 朝鮮半島の領有は、日本が大陸へ進出するために必要だったと判断しています。 自国の立場から歴史をとらえる全ての試みは、政治的試みであり、科学的態度を放棄する結論に結びつきやすい、ととらえています。韓国などによくあるヒステリックな非難は、歴史とは縁遠い政治の世界の話だとは、同意していただけるのではないでしょうか。

waffenss
質問者

お礼

ここは質問者である私が自分の意見を長々と開陳する場ではありませんし、議論をする場でもありませんので手短に書かせていただきます。 直接侵攻されなくとも日本側としては海上交通路を脅かされるだけでも十分な脅威であるのではないでしょうか? 旅順を押さえられているだけでもそれなりの脅威ですし、その上釜山あたりに軍事基地を造られたりしたら日本のシーレーンは常時ロシア海軍に脅かされるのではないでしょうか。 実際戦争が始まってみるとロシア側も通商破壊に乗り出してそれなりの成果をあげていますし。 ロシア側は日本との交渉中にも兵力の増強や要塞の強化を図っていますので開戦に踏み切った判断は正しかった。という考えにも一理あると思うのです。 こういった論点にも正しさを感じるのは私が視野狭窄に陥っている証拠かもしれませんが・・・ 勿論日本に大陸進出の願望があったことは否定いたしません。 後段に関しては大変勉強になりました。 確かに自国の立場のみから歴史を捉えようとするのは科学的態度を放棄することにつながりかねませんね。 ご回答有難うございました。

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.5

結局のところ「歴史」なんてのは「あとから振り返ってどうだったか」という点があるんですよね.... (実際に起きたことである) 「真実」は 1つでも, (個々人が受け止めた) 「事実」は人の数だけあります. そういう観点で, 「いろいろな視点」から考える (= 「多様」と言ってもいい?) のがいいんじゃないでしょうか. もちろん, 「ある人の書いた事実」というのは, その人の「意識」によって (あるいは無意識に) ゆがめられている可能性はあるので, それは注意しなきゃなりません. あと, 「歴史」を考える上では「その当時の価値観ではどうだったのか」にも気を払う必要があります. 「今の価値観」だけで判断してはいけません. それは「真実」から遠ざかることにはなっても近づくことにはならないでしょう.

waffenss
質問者

お礼

そうですね。 その時代の背景も考えることが必要となりますね。 徒にイフを考えて「こうすれば戦争は避けられたはずだ」等と妄想するよりは「先人たちはこのように考え、このように行動したのだ」と事実を重ねていくほうがいいのかもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。

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