- ベストアンサー
物理を理解するのに日本語は英語より不向ですか?(物理、英語が堪能な人に
物理を理解するのに日本語は英語より不向ですか?(物理、英語が堪能な人に質問です。) 昔、物理の授業中先生に、例として「直線上の一点」という表現、英語なら「above、on」の区別があるが日本語は「上」しかない。物理は日本語より英語の方が理解しやすいと言われました。その時は、なるほどと思ったのですが実際はどうなんでしょうか。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
私は30年前にアメリカに渡って今まで物理の研究を生業にして飯を食って来た者です。 日本人ならば日本語に決まっています。ただし、今の世の中、英語でスラスラ読み書き出来ないと物理の専門家になるのは無理でしょう。貴方の昔の先生は何処の国から来た方か存じませんが、日本人なら「直線より上の一点」はaboveに、「直線上の一点」はonにそれぞれ対応していることぐらい誰にでも判ることですね。このように、「より」の一言があるかないかで、何の曖昧さもなしに区別が出来ます。 また、日本人が学問をするのにカタカナはいただけません。外国語を一旦漢字に直すと、その意味は、何となくでも良いという段階も含めるならば、誰にでも判るようになります。例えばエレクトロンじゃあ、その言葉はうちの婆さんには何のことだか見当がつかないが、電子なら多分それが電気に関係がある言葉であることぐらいは判ると言っていました。また、マニフェストじゃ判らんが、公約だったら判るとも言っていました。このように、漢字には表音語にはない意味の透明性があり、その結果、その言葉で意味される概念を専門家達が独占してしまうことを妨げる、大変民主的な利点があるのです。ですから、日本の専門家には外国語で表現されている概念を出来るだけ透明な漢字に直して、知的貴族の出現を許さない民主的な文化を作り上げる義務があるのです。しかし、どうも近年の専門家達はこの義務を履行していないようです。もちろん、訳語には拙劣な訳と透明な訳がありますが、それこそ、どう言う訳をするかで、その専門家の能力が試されているわけです。 また、カタカナ語は完全に元の発音と違っておりますので、それは外国語ではなく立派な日本語であると考えるべきです。カリフォルニア、マクドナルド、ボストン、オースティン、、、どれもこれもそのままでは元の外国人には通じません。私の経験でも、ソリトンとかパーターベーションとか電算機のバグという物理で頻繁につかう専門言葉をアメリカ人の前でカタカナのままに発音して全然通じなかったことを経験しております。ということは、カタカナで書かれた専門用語は、漢字と同じレベルの翻訳語と言うことになります。ところが、これは漢字で書かれていない翻訳語なので、漢字で書かれていない分だけ、その文字をいくら眺めても何を意味するか何の印象も湧いて来ない不透明で拙劣な訳語とみなすべきです。 そのことに関連して、蛇足ですが、哲学者はどうしてそんなにも言葉に対する感覚がないのかと、何時も感心させられております。もう一晩寝れば誰にでもその意味の見当が付くような、もっと透明な命名が出来るはずなのに、当為、定言的命法、仮言的命法、格率、措定、投企、所与、実存、形而上学、止揚、徴表、帰納、演繹、、、あるはあるは。漢字を見ていても何の印象も湧いて来ない。哲学って、そんなに素人に判ってもらっちゃ困る学問なんですかね。そもそも「哲学」と言う漢字を見せられて、それを初めて見た人は何をやる学問であるのか全く見当がつかない。西周とか言う人の造語だそうですが、良くもまあこんなに意味の不透明な造語を作ったものだと感心しております。多分、哲学をやる人間は、どうせ素人を煙に巻くことが生き甲斐で生きている連中だからという理由で、深慮遠謀のある命名法だったのでしょうかね。事実、その後の日本の哲学者達の言葉の命名法は、この西周さんの予想通りになって来たようですから。物理だけは、こんな拙劣な漢字文字やカタカナ文字などの手抜きをした意味不透明な訳語にしないで、誰にでも見ただけで何となくでも良いから見当がつく漢字を使って頂きたいですね。 序でですが、日本語がどれだけ物理を表現するのに適した言葉であるのかの具体的な例として、朝永振一郎の『量子力学』を挙げておきます。昔、この本について私の先生曰く「この本は危険な本である。量子力学は誰にでも出来るような物ではない。ところが、この本を読むと、量子力学が簡単に判ってしまった気になってしまうので、私も物理学者になろうと言う気を起こさせてしまう。それで、日本のどれだけの若者が進むべき道を誤ったことか。」勿論これは冗談ですが、こと程左様に、この本は、日本語が物理学を記述するのにどの国の言葉にも劣っていないことを示す具体的です。したがって、ある物理の本を日本語で読んで良く判らなかったら、それは日本語のせいではなく、その著者の物理の理解の程度の低さのせいであると考えるべきでしょう。
その他の回答 (2)
- htms42
- ベストアンサー率47% (1120/2361)
湯川秀樹は枕元にメモ帳を置いていたそうです。 起きていても寝ていても考えていたのでしょう。 中間子のアイデアを見つけた時のエピソードとしてよく取り上げられます。 夢の中にもでてきたかもしれません。 日本語で考えていたはずです。 うつらうつらとしながら英語で考えていたのではないでしょう。 abaveとonの違いによる「上」の区別の例はほとんど意味を持ちません。 「上」という概念で一つにくくってその中の違いは「上」に続く別の言葉で表すというのも一つの論理的な表現方法です。単一の言葉であらわされていなければ論理的ではないという考え方はおかしいです。 逆の例もあります。water、hot waterに対して水、湯という言葉があります。湯という言葉を使う日本語の方が論理的であるということができるわけではありません。 「日本語は非論理的な言葉である」というのは一時はやった言い方です。 戦後すぐの「なんでも英語が・・・」というときには目立ちました。
お礼
回答ありがとうございます。
- sa10no
- ベストアンサー率68% (15/22)
直線上と言わわてaboveかonか日本人は無意識にaboveがonか使い分けています。そういう意味では差はないと思います。 それよりも物理学はドイツやアメリカでつけられた物理量の名前が多く存在します。それを日本語に訳した人が上手い訳語をつけてくれているとわかりやすいのですが、下手だとその物理量のイメージがつかみにくかったり、誤ったイメージを持ってしまったりしがちです。最近では訳さずにカタカナで表記するものも多いです。インダクタンスとかがそうですが日本人には名前からはどんな物理量なのかイメージできないと思います。コンデンサは英語ではcapacitorが一般的ですが個人的にはcapacitorのほうがイメージにあっています。 これら外来語については言語として不利なのではないですが、不便な場合はあると思います。
お礼
回答ありがとうございます。たしかにカタカナはイメージが難しいと思います。 インピーダンス → 交流抵抗 キャパシタンス → 静電容量 インダクタンス → 動電容量(電磁誘導を動電誘導と言い換える必要がありますが) ではどうでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。物理量、単位等を適切な漢字で表現するなら物理の学習において日本語の方が有利ではという気がしていたので、回答者様の意見に同感です。哲学は分かりませんが、法律でも表や図で表現すれば、誰でも理解できるのにわざと難し言い回しをしているような気がします。