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江戸時代のキリスト教の神学について

江戸時代のキリスト教の神学について 戦国時代後半フランシスコ・ザビエルによって伝わった キリスト教ですが、江戸時代にそのキリスト教の 神学研究は進んだのでしょうか?禁教扱いで 神学は後退したのでしょうか?是非、教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kigurumi
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回答No.2

鎖国をした理由は猛毒のキリスト教から日本を守るためだったというのはご存知だと思います。 しかし鎖国後もウイルスに犯された宣教師は潜伏していた。 公には活動はしていなかったようです。 ギリシャの哲学の学校で誰にも負けない議論ができた宣教師より、一般の日本人の教養の方がはるかに高かったので、宣教師は言い負かされてグーの音も出なかったそうです。 有名な学校を優秀な成績で治めた自分は優秀な人だと思っていた宣教師は、自分より日本の一般人の方がはるかに上だと知ることになったわけですから。 ヨーロッパは一部の人しか学問を学べなかったそうです。 キリスト教が一般人が知識を身に着けることを妨害したので、金持ちしか学問が学べなかったらしいです。 よって金持ちの子供のみ支配階級になる。 日本の場合、寺子屋などがあり、小さい頃から学問に親しめたので、お茶屋の店員すら書物を読めた。 その小さい頃から中国という高度な学問に親しんできた日本人に、金持ちの娯楽程度の学問で育った人が勝てるはずが無い。 日本人に相手にされなかった。 そりゃ 日本人の中にも学問に触れる機会が無いままの人もいましたよ。 その人達は言いくるめられた。 が、学問を身に着けていた日本人には歯がたたなかった。 よって、鎖国後も日本に潜伏した宣教師が布教しても広まることは無かったんです。 もともとキリスト教は中国をキリスト教化するための足がかりとして、日本をキリスト教化しようとしたんです。 ヨーロッパにしてみたら、中国は大国ですから脅威で、ここを無毒化し攻め落とすために、宗教を使って内部から破壊しようとしたんです。 日本も同じことをされようとして、トロイの木馬だと気づいた武将が、ウイルスを撲滅しはじめたんです。 しかしウイルスの猛威は止まらず、鎖国をすることで感染を防ぎ日本という国体を守った。 日本は開国の時、毒性の薄いウイルスをオランダなどの宗派は受け入れたんです。 オランダ商人が持ってくる品物は珍しいので欲しかったわけで。笑 で、こっち系なら毒性が薄いとして、宣教を許したんです。 だから、現在日本にある宗派の多くはそっち系なんです。 ヨーロッパで宗教革命が起こり、ローマ・カトリックと分離した宗派がオランダとかに新しい宗派を作ったんです。その系列が開国後の日本に入ってきたんです。 といっても、宗教革命後、アメリカに渡った人が、20世紀初頭くらいに猛毒性を持つ宗派を作り、それが現在日本に入ってきています。 またこれがひどくなれば、また鎖国ですねぇ・・・・

sibukawa581
質問者

お礼

丁寧な解説有難う。

その他の回答 (1)

  • goold-man
  • ベストアンサー率37% (8364/22179)
回答No.1

江戸時代の初期キリシタンが日本を追われるまでの 20数年間は、印刷機により、教理書、辞典、古典文学など、百種におよぶ多様な出版物(キリシタン版)・文献が刊行されているようですが、禁教になってからは発展はない(進んだとは言えない)と思います。(その間も隠れキリシタンはいた・・・熊本・天草旅行で隠れキリシタンらしいお墓を見たことがあります) 明治になってからの研究 参考URL 会津 http://plaza.rakuten.co.jp/aizukirishitan/ 鎌倉 http://homepage.mac.com/kamekokishi/edo.html 軽井沢 http://numano.music.coocan.jp/khtm/k3200.htm

参考URL:
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/exhibition/tokubetuten/tenji/kirisitan.html
sibukawa581
質問者

お礼

参考になりました。どうも、有難う。

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