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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:江戸初期、急激にキリスト教が普及したのはなぜ)

江戸初期のキリスト教普及の理由

このQ&Aのポイント
  • 江戸時代初期にキリスト教が急速に普及した理由を探ります。島原の乱の直前の西日本や九州におけるクリスチャンの割合や、戦国時代から江戸初期にかけてのキリスト教普及の背景についても考察します。
  • 戦国時代から江戸初期にかけて、特に九州でキリスト教が急速に普及した理由を探ります。大名たちの南蛮交易への関心や利益追求の動機のほか、一般庶民にとってのキリスト教の魅力にも迫ります。
  • 江戸時代初期にキリスト教が急速に普及した一方で、明治以降の日本では浸透しなかった理由を考察します。禁教令が解かれた明治時代においても、なぜキリスト教は再び普及しなかったのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3

http://hukusis.cool.ne.jp/iin/hama/kiriistan5.html 江戸初期の最大値で 40万人程度 人口が 1000万人から1500万人と推定されていますので、 4% ~ 3% 程度 Q1 島原とかの一部で 数割 というのをどこかで読んだ記憶がある。 Q2 一向宗を信じることの利益も キリスト教を信じることの利益も 同値 キリスト教を、印度伝来の仏教の一種と捉えていた人もいた。 寺内町などで商人層などが一向宗を信じたのは、経済的利便性 京都の法華宗も京都の町衆の団結のために信心とも言われています。 キリスト教だけ取り上げて、云々という方がおかしいと思う どの宗教にも、経済的利便性や、精神的安逸を求めるものだと思う Q3 現在のキリスト教の普及度と江戸時代初期は同程度 日本は戦国末期から江戸初期に、脱宗教というか、宗教と世俗の分離が行われました。 宗教と世俗の分離以前では、たとえば、加賀の国ではみなさん一向宗やら、京都の町衆は法華宗というように、世俗的な集団と宗教的な集団は ほぼ同値。エリアごとの普及は 0 OR 100 という感じになります。 明治期に再度日本に到来したときには。キリスト教も宗教と世俗の分離がなされ、宗教は個人問題になりました。 なので、急速な宗教転換(集団転換)というのは起こりづらくなった。 Q4 20世紀に入って、いろんな宗教がよーいドンした結果、韓国ではキリスト教が成功した。 戦国末期に日本は、世俗と宗教の分離のための、血みどろの戦いがありましたが、朝鮮ではそういった動きがなかったので、個人問題とのしての宗教への信心は、朝鮮王朝の崩壊後に始まります。 儒教という、宗教のような単なる祖先崇拝のようなものがメインだったので、個人問題としての宗教に関しては朝鮮はサラ地だった。 中国は、民間信仰では道教があり、浸透しづらい面がある。

sengoku38
質問者

お礼

Q3の説明がわかりやすかったです。 昔は、地域ごとに0か100かで特定の宗教を信じていて、今は、信仰は個人の問題になったから、ひとつの地域でもまちまちなんですね。

その他の回答 (3)

  • mable2006
  • ベストアンサー率35% (214/598)
回答No.4

質問3と質問4について答えさせていただきます。 回答3 江戸幕府が導入した「寺請け制度」が明治以降も「檀家制度」として残ったためだと思います。 下記のリンクに詳しく書かれています。 http://www.eonet.ne.jp/~chushingura/p_nihonsi/episodo/101_150/113_02.htm http://ameblo.jp/t-ka/entry-10360874566.html 回答4 下記の本を一読されることをお勧めいたします。 http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%88%B6%E3%81%A8%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%8F%B2%E5%8F%8C%E6%9B%B8-%E8%94%B5%E7%94%B0-%E9%9B%85%E5%BD%A6/dp/4400415325 http://homepage3.nifty.com/taejeon/book/book04.htm

sengoku38
質問者

お礼

檀家制度が、今まで影響してきたことがよくわかりました。 ありがとうございました。

回答No.2

>島原の乱の直前の頃、西日本、もしくは九州のクリスチャンの割合は何%くらいでしたか? 最大で70万人と言われているらしいです。当時の日本の人口は1300万人。 ですから全体の割合だと5%くらい。 西日本・九州の細かい人口は分かりません。 正確な統計が無いでしょうから、詳しいことは分からないでしょう。 大昔ですし、当時は調べる意味もないでしょうから。 >今の日本のクリスチャンは、1~6%くらいだそうです。 日本は1%前後です。ここ数十年間は変わっていません。 ただこれも正確には分かりません。誰も統計を取らないし必要も無いですから。 >禁教令が解かれた明治以降では、浸透しなかったのはなぜですか? 徳川幕府の政策の名残かなと思います。 つまり、キリスト教は邪教だと言うことの名残が、今現在も有るのではないでしょう。 テレビドラマなどで少女がキリストに祈るシーンが良く見受けられますが、 なぜ、あんなシーンを作るのか私には理解できません。 日本人の99%がキリスト教徒ではないのに。 質問者さんは高校生でしょうか? 私(おじさんですが)も以前(高校生ぐらいの時)同様に感じたことがありました。 深く掘り下げて考えませんでしたが、これを機会によく調べてみましょう。

sengoku38
質問者

お礼

全体で5%程度なら、昔もそんなに普及していたわけじゃないんですね。 具体的な数字を教えてくれてありがとうございます! ドラマに出てくるのは、結婚式を教会でやる人が多いのと同じ感じで、ファッションだと思います。

回答No.1

仏教の教えには、聖書やキリスト教から取られたとしか思えない言葉や儀式が、数多くあります。 一例を上げると高野山の灌頂(洗礼)や十字を切る事。ペルシャ教・・斯波教(景教)の卒塔婆や薙刀等 諺の七転び八起き(義人は七度倒れても起き上がる)聖徳太子伝記の太子誕生説話のイエス誕生の話と酷似。日本書紀や古事記の中の話、草薙の剣(海薙の剣=モーセの杖)神社とエルサレム神殿の幕屋の酷似と取り上げるときりが無い。 中国大陸で行われたペルシャ教の慈善事業を、聖徳太子や光明皇后が行っている。 仏教の僧が、光明皇后の行いを仏教徒としてはやり過ぎだと批判している。 光明とはペルシャ教の用語です。 九州や山口の寺社の僧侶の改宗も多いのは自分達の学んできた事柄の原点がキリスト教にあることを正しく認識した為だと思われます。

sengoku38
質問者

お礼

ペルシャ教ってゾロアスター教ですか? 聖徳太子や古事記の話は、仏教とは直接関係ないような・・・ でも、仏教が日本にまで伝わってくるまでに、キリスト教とかゾロアスター教とかの影響を受けていたんでしょうか。

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