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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:本能寺の変について。)

本能寺の変の真相とは?

teccrtの回答

  • teccrt
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回答No.9

根拠はありませんが、個人的な推察として、本能寺の変の直前に徳川家康と一定の協議はしていたのではないか、と思っています。 (1)二人とも動機がある 光秀は、長曾我部攻略、丹波料召し上げなど、よく知られている理由があります。家康の場合も、1579年に信長の圧力によって嫁の築山殿と息子の信康を殺しています。「これ以上、信長には従っていられない。」という動機は二人に十分あったと思います。 (2)暗殺後の利害を分け合える 光秀が、秀吉他の信長配下の重臣と謀議をした場合の疑問としては、密告されれば終わりだという大きなリスクを負う勇気があったのか、ということと、暗殺が成就した後に利益の分け前をきちんと相談できたのか、という疑問が残ります。家康であれば、織田家の従属下とはいえれっきとした大名家なので、光秀が家康の配下になることもできるし、織田家が抑えていた西は光秀、東海以東は家康、という地理的に分けることもできるし、光秀は朝廷に取り入って公家化、家康は征夷大将軍という棲み分けも考えられたと思います。 (3)本能寺の後の光秀・家康の動きに対する疑問 光秀にとって、京都の織田信長・信忠父子を討ったあと、身近な織田勢力は堺にいた家康です。しかも、軍勢は引き連れておらず、殺すには最適の状況でした。家康は命からがら逃げ延びたことになっていますが、光秀にしては堺に滞在していた家康を打ち損じた失態は理解に苦しみます。但し、「光秀は家康と信長暗殺後に結託することを確認した。ただし、信長にいらぬ警戒心を与えたくなかったので、家康は予定通り丸裸の状態で堺に滞在することにした。」とすれば、光秀が家康を打ち損じたこと、家康がその知らせを聞きつけて即座に行動を起こして無事国に帰れたことの説明がつくのではないかと思っています。 また、本能寺の変まで、家康はあくまで信長の従属大名であり、格は違っても柴田や秀吉よりも発言力があったとは思えません。ところが、柴田vs秀吉の決着が着いたころには、なぜか家康は東海の一地域の大名にすぎなかったのに秀吉に対抗しています(小牧・長久手の戦いあたり)。当時、味方は織田信雄くらいで、日本全国が敵みたいな状態だったのに、家康としてはずいぶんギャンブルをしたものだと思い、不思議でした。ただ、本能寺の変で一度光秀と二人で天下を狙う話を具現化した直後であれば、夢を秀吉にさらわれることが嫌で精一杯の抵抗をしたのではないか…と考えると、すっきりするような気がします。

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