• ベストアンサー

16世紀のカール5世について

こんにちは。よろしくお願いします。 大人になってから世界史のことを勉強しだしたどしろうとです。 16世紀に宗教改革がおこり、ドイツ諸侯たちが、 神聖ローマ皇帝に対して、ルターをヴォルムス会議に召喚して、 ルターの審理をローマから引き離そうとした、ということは理解し ました。 ただ、ローマ法王はカール5世に迫り、ルターの自説を取り消すか 否かを求めましたよね。なぜ、そこでカール5世は、ローマ法王を 無視して、ルターを守らなかったのですか?カール5世にとっては ローマ法王の干渉も避けたいわけですよね? イギリス、フランスは王権が強まってローマ法王の手が入らないこ とは分かるのですが、カール5世も、ドイツ諸侯と結びつきを強め ローマ法王の力が入ってこないようにすればいいのに・・・、と、 思うのですがどうなんでしょうか。 実際トルコが攻めて来た時も、「ルターを抑えたくてドイツ諸侯に 妥協した」とありますが、カール5世と法王は結びつきが強いので しょうか。 どなたか教えて下さい<(_ _)>

  • 歴史
  • 回答数3
  • ありがとう数7

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

ドイツの特殊性 神聖ローマ帝国皇帝は、継承するものではなく、選定されるものである。 自民党の派閥で、森=小泉=阿部=福田 と同じ派閥が継承したが、あくまで選挙の結果最大派閥の森派が強かったというのと一緒。 なので、常に多数派工作が必要。 フランス王やイギリス王が血統によって決まるのと大きな違いです。 そのためローマ皇帝は、多数派工作が必要で、ドイツ諸侯にいい顔をしたり、ローマ法王にいい顔をしたり・・・となります。 なので、質問者の疑問が生じます。 カソリック = プロテスタント という対立軸が主軸ではなく、ハプスブルク家とその他の勢力の対立ということになり、そのその他の勢力には ● ローマ法王 ● ドイツ諸侯 ● フランス王 このへんがいるので、その時々でカール五世がくっつく相手がかわるということになります。

takue-22
質問者

お礼

なるほど。ありがとうございます。 さらに勉強を続けます!

その他の回答 (2)

noname#125540
noname#125540
回答No.3

スペイン側の家系だけ・・・・ カスティーリャ女王イサベル1世+アラゴン王フェルナンド2世 「カトリック両王」(レコンキスタを完了した人々) カスティーリャ・アラゴン連合(スペイン) カトリック両王の子女 ⇒ファナ(狂女王) ⇒カタリナ・デ・アラゴン(後のキャサリン・オヴ・アラゴン/イングランド王妃) ⇒他、数名 ファナ+ブルゴーニュ公フィリップ(美公) ⇒息子カルロス(=ブルゴーニュ公シャルル2世、スペイン王カルロス1世、神聖ローマ皇帝カール5世。兼任) 他 キャサリン・オヴ・アラゴン+イングランド王ヘンリー8世 ⇒娘メアリー(後のメアリ1世/ブラディ・メアリー) 家系図がありました(参考URL) 親戚に似た名前や同じ名前が何人もいたり、名前の読み方が数パターンあったり(言語による)、複数の領土を持ったり王位を兼任したりで、少々ややこしいです。

参考URL:
http://www9.wind.ne.jp/chihiro-t/royal/Spain/Felipe1.htm
takue-22
質問者

お礼

参考URLもありがとうございます!

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.2

カール5世は、スペイン王カルロス1世でもあります。 カルロス1世は、祖父であるスペインのフェルナンド2世から王位を継承します。 このフェルナンド2世と、その妻イサベルは、ローマ教皇より、カトリック両王の称号を得るほど、カトリックの敬虔な信者でした。 そのため、カルロスの母親であるファナも、カルロスに徹底したカトリック教育を行いました。 また、同じく両王の娘であるカタリーナ(キャサリン)も、自分の娘メアリーにカトリック教育を行ったため、メアリーがイギリス女王となると、メアリーは、イギリス国教会を弾圧し、イギリスを一時的にカトリックに戻すことを行っています。 一方にこういった理由がありました。 他方で、ドイツ諸侯が、ルターを支持したのは、強大になりすぎたハプスブルク家の勢力を削ぐという目的がありました。 カール5世の領土を、今日のヨーロッパで言いますと、スペイン、ナポリ、シチリア、ミラノ、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、ロレーヌ、オーストリア、チェコ、スロバキア、スロベニア、シレジエンになります。 さらに、イギリス、ポルトガルと同盟関係にありました。 そのため、ドイツ諸侯としては、ハプスブルク家の勢力をこれ以上拡大させることを阻止するために、反ハプスブルク家の象徴としてルターを担いだのです。 もしもその段階で、カール5世が、ルターを擁護したら、反ハプスブルク諸侯は、カトリック擁護の立場で、カール5世と敵対したでしょう。

takue-22
質問者

お礼

ありがとうございます!!

関連するQ&A

  • マルティン・ルターの名言について。

    マルティン・ルターが、神聖ローマ帝国皇帝のカール五世 から召喚を受けたとき、国会で言ったといわれる言葉、  「我ここに立つ。他になしあたわず。神よ救いたまえ。アーメン。 の、”ここ”とはどこなんですか??ぜひ教えて下さい!

  • 神聖ローマ帝国って…?

    世界史の質問なのですが、フランスの王権伸長について勉強していたところ、ふと神聖ローマ帝国についてわからなくなってしまいました(汗 「イタリア戦争」ですが、これはイタリアが戦争に加わっているわけではなくて、イタリアの領土をめぐった戦争ですよね? 戦争しているのはフランスと神聖ローマだと塾で言われた気がするのですが、復習の段階で「ローマはイタリアじゃなかったっけ?」と思い、調べてみたところ、神聖ローマ帝国はドイツ、ローマはイタリアと出てきたので訳がわからなくなってしまい…。 神聖ローマ帝国とローマとは全く別なのでしょうか? イタリア戦争が本格化した、ヴァロア朝のシャルル8世期、戦っていた相手国は神聖ローマ皇帝のカール5世だったと思いますが、そのカール5世について辞書をひいたところドイツ皇帝と載っていたので、やはり現在で言うドイツを指すのかなと思いました。 ただ、数日前にアナーニ事件やアヴィニョン捕囚、大シスマについて勉強していたのですが、ローマ教皇はアヴィニョンに移される前ローマにいましたよね。ローマはイタリアにあるので、つまりローマ教皇もローマ皇帝もイタリアの人物だと思っていたのですが…。教皇と皇帝の違いすらあやふやになってます;; どなたかご説明してくださると助かります。 よろしくお願い致します。

  • 護帝侯、護帝侯領をドイツ語にすると…?

    ドイツ語でKurfürst(選帝侯)というものがあります これは神聖ローマ帝国において、ローマ王(ドイツ王)すなわち神聖ローマ帝国の君主に対する選挙権(選定権)を有した諸侯のことであります これをヒントに帝国の君主を護る諸侯のことを"護帝侯"とした場合、ドイツ語で何と訳すのが妥当でしょうか?複数ある場合は複数教えて下さい 仮にWächterと訳した場合、Kurfürstentum(選帝侯領)に相当する語も教えて下さい ※造語ですのでなるべく格好いい物にしたいです

  • 神聖ローマ帝国について(受験生です)

    962年にオットー1世が戴冠され、神聖ローマ帝国ができましたが、これは東フランク国王だったオットーは”皇帝”になったかと思うのですが 皇帝というコトバは中国における皇帝とヨーロッパにおける皇帝とは どう違うのでしょうか?ヨーロッパの方は地上におけるイエスの代理と 認識しているのですが間違いないでしょうか?あと皇帝というのは国王よりも偉いのでしょうか?そして、神聖ローマ帝国というのは実在するものなのでしょうか?それとも、概念として存在しているものなのでしょうか?後にドイツ領内は分権化し後にハプスブルク家が帝位を世襲しはじめ、後にオーストリアの国王も兼ね、ウェストファリア条約を経て、オーストリアの国王であるハプスブルク家が神聖ローマ帝国の皇帝を兼ねると思うのですがハプスブルク家、オーストリアというものも よくわかりません。稚拙な文章ですがどうぞ御回答宜しくお願いします。

  • 七選定侯の由来について

    中世ドイツ(神聖ローマ帝国)で皇帝を選ぶための選挙において、選挙権を持っていたとされる七選定侯(ケルン大司教・マインツ大司教・トリーア大司教、ザクセン公、ライン宮中伯、ブランデンブルク伯、ベーメン王)が決まった由来はなんでしょうか?13世紀半ばから1356年の金印勅書で最終的に示されるまで多くの皇帝選挙があり、中には大空位時代に見られる二重選挙もあり、選挙権を持つ多くの諸侯が現れては消えていきました。 僕も一度調べたことがありますが、明確な結論は得られませんでした。勢力のある諸侯や、権威ある司教クラスが、だいたいはその役割を担っていたと思われますが、選挙権所有者が最終的にこの7人に決まった経緯についてご意見をお聞かせ下さい。

  • 神聖ローマ帝国とドイツ民族国家について

    神聖ローマ帝国とドイツ民族国家について質問です。 「神聖ローマ帝国」とは、現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在していた国家だが、様々な領邦が形成した国家連合でもあり、皇帝の権威も弱いという国家であったのですが、ここで以下の質問です。 1.「神聖ローマ帝国」は、ある皮肉として、18世紀のフランス知識人、ボルテールが時代的制約の下で発言した名言、「神聖でもなければローマでもなく帝国でもない」と書かれているが、ここで質問です。 ボルテールが、「神聖ローマ帝国」は「神聖でもなければローマでもなく帝国でもない」と言ったなら、では「神聖ローマ帝国」はドイツ民族の国家だったのでしょうか? 2.「神聖ローマ帝国」の言語は、ドイツ語以外にも、ラテン語、イタリア語、チェコ語、オランダ語、フリジア語、フランス語、スロベニア語、ソルブ語、ポーランド語などがあるが、ここで質問です。 これ程までの様々な言語があるなら、「神聖ローマ帝国」は多民族国家になりますよね。 だとしたら、ナチスの指導者、アドルフ・ヒトラーは「神聖ローマ帝国」を「第一帝国=ドイツ人帝国」を呼ぶには無理があるのではないでしょうか(要はドイツ民族の帝国として呼ぶには相応しいのでしょうか?)?

  • 聖職者叙任権闘争に関して

    中世ヨーロッパにおいて、聖職者(司教や修道院長など)を任命する権利を、皇帝が持つのか、教皇が持つのかで闘争や戦争になっています(最大の事件がカノッサの屈辱)が、いずれも教皇と神聖ローマ帝国の皇帝の間で行われています。 聖職者の叙任の問題であれば、他の国、フランスやイギリスなどでも有ったはずです。 なぜドイツ(神聖ローマ帝国)の問題だけが、大きくクローズアップされる事になったのでしょうか? イギリスやフランスでは、そのような問題は起こらなかったとすれば、それはなぜでしょうか?

  • 近代ヨーロッパ

    高3生です。 受験勉強として世界史を勉強していたのですが、色々疑問が生まれてしまいまして・・・。 1.ハプスブルク家とは何なのでしょうか? 神聖ローマ皇帝に選出されることもあったスペイン・オーストリアの王家という感じですか? 2.神聖ローマ帝国=ドイツと考えていいのでしょうか? また領邦はオーストリアやオランダなどがあると思うのですが、これはつまりドイツの中にオーストリアやオランダがあるということですか? 3.ウェストファリア条約でヨーロッパの主権国家体制が確立された、と教科書にあるのですが、これはウェストファリア条約によって領邦に主権が与えられ、プロイセンなどの主権国家がうまれたということですか? また、そうだとするとイギリスやフランスは何をもって主権国家体制が確立した、というのでしょうか? 回答よろしくお願いします。

  • ドイツ語はなぜ「ドイツ語」?

    ヨーロッパの歴史に関心を持っているのですが、なぜドイツ語をドイツ語と呼ぶのかがどうしてもわかりません。 まだまだ勉強不足なのですが、歴史に「ドイツ」という名称が登場したのは近代になってからなのではないでしょうか? それ以前に神聖ローマ帝国の皇帝を数多く排出したハプスブルク家の本拠地から「オーストリア語」と呼ばれるのであれば納得できるのですが、なぜ「ドイツ語」なのか? 1815年のドイツ連邦規約に基づいて、言語の名称もドイツ語と規定されたのでしょうか? もしそうなのであれば、それ以前の言語の名称など、教えてください!お願いします。

  • ローマ=カトリック教会が十字軍を送るまで、宗教改革について、大航海時代について

    こんな問題が出ました。 わからないのでどなたか教えてください。 次の3つの問いどれかについて、指定された用語を必ず使って600字程度で述べよ ・問い(1)  ローマ=カトリック教会が十字軍を送るまでの歴史的な流れを答えよ。  ただし、フランク王国が3国に分裂したころのヨーロッパの封建制度の影響と、このころのローマ=カトリック教会の協力の様子もふくめて述べよ。 ○用語○  ・国王・諸侯 ・寄進 ・1096年 ・キリスト教 ・エルサレム   ・ローマ教皇 ・十字軍 ・約200年に7回  ・セルジュク=トルコ ・ビザンツ帝国 ・問い(2)  宗教改革について、十字軍が送られた影響とルネサンスの影響をふまえて具体的に述べよ。 ○用語○  ・国王・諸侯 ・ローマ教皇 ・イエズス会 ・免罪符 ・プロテス タント ・ルター ・ローマ=カトリック教会 ・サン=ピエトロ大 聖堂 ・フランシスコ=ザビエル ・活版印刷 ・問い(3)  大航海時代について、十字軍が送られた影響とルネサンスの影響をふまえて、具体的に述べよ。 ○問い○  ・東方貿易 ・イスラム商人 ・香辛料 ・火薬 羅針盤 ・東方見聞 録 ・スペイン ・ポルトガル ・銀 ・オスマン=トルコ ・労働 力の不足 どれか1つでもかまわないので、どなたかお願いしますm(__)m