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「人の道」- 我々の宗教

人類が神を語り始めた頃から、また天国、地獄を語り始めた頃からこの地球上に諸悪が生まれました. 人類が歩んできたあらゆる歴史を通して明らかなことは、神を語ること、天国、地獄を語ることは常に人々を不幸へと導いてきたという事です. この事に気づかない限り、人の世に未来はありません. このような歴史的過程を歩んできた諸々の宗教が如何なるものであったかまた現に如何なる物であるか考えた末、最後に行きついたのが「人の道」- 我々の宗教です. 正しい道を歩むために、「人の道」- 我々の宗教は生まれました. 新たなステージを目指し、旅立たなければならない. 全宇宙的真理として、ここに「人の道」- 我々の宗教を宣言します. 「人の道」について考えたい方、ご意見ください.  

みんなの回答

noname#136007
noname#136007
回答No.5

  g3452sgpさんって、質問という形で問うているけど どんな意見が出ても、いつも、自分の主張を通しているよね。 「教えてgoo」 じゃくて、「俺の主張だ goo」になっているよね! (人の意見を聞いて、修正するならいいけど、そうじゃないなら、自分のホームページでやる事だと思うな・・・・)  

g3452sgp
質問者

お礼

kunobouはまだ頭にきとるちゅーことなのかネ~  

g3452sgp
質問者

補足

イコンと共に今よみがえる永遠の教え、「人の道」-我々の宗教    http://www.geocities.jp/g3452sgp/hitonomiti  

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  • JoyWorld
  • ベストアンサー率13% (6/45)
回答No.4

アホかもしれない人間が作った、命令だけで何の説明もない戒律を信じる人は今のご時世少ないでしょう。 質問文の説明文も何をどう考えたのかという大事な部分は全部省いてるしw 戒律よりも説明のほうが大事だよw それが正しいと信じさせたいならね

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noname#112269
noname#112269
回答No.3

人間がいろいろ考えるようになる以前から、この世界はつらいものが多い。地獄や天国を語るようになる以前から、正直世の中は厳しい。村とか作れるようになる以前から、この世界は、生き物にはつらい場所です。 宗教が生まれる以前から人はいるのだから、(人の道を語るのに)あえて宗教を立てる必要もないと私は思う。 しかしながら、人の道については、あえて考えるまでもなくわかることだけれど、それをなぜ問うのか、そのようなこと(問うまでもないことについて問うと言う事自体)についてを、深く問うことについては、意義のあることであるとも思えます。

g3452sgp
質問者

お礼

有難うございます. >人の道については、あえて考えるまでもなくわかることだけれど、... 全くその通りでして、「人の道」十ヶ条は考えるまでもなく当たり前のことなのです.しかしながら、この当たり前のことが当たり前で通らないのが現実世界なのです. 実際、人間には2種類います.神や天国、地獄について語らずにはおれない人間と神や天国、地獄など超越しこれらを語ることをしない人間です. そして前者の場合、「人の道」十ヶ条は決して受け入れません.これは明らかなことであり、それはそれでよいのです. このような状況にあることはこの質問に対する他の回答者の反応を見ただけで直ぐに分かります. ここではっきりしていることは過去の人類の歴史において、また今この瞬間においても世界の至る所で宗教が巻き起こしている様々な紛争、無用の争いを考えたとき、 「人の道」十ヶ条は声を大にして訴える意義があるということです.  

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noname#117439
noname#117439
回答No.2

A1です。 考えを少し改めました。 戒律があると生きることに考えを巡らす全てが煩悩となります。 ならばいっそのこと全てを「無」と言ってしまえばいい。 そうすると仏教観念と同一ですね。 いろんな認識の仕方があるのでしょうね。

g3452sgp
質問者

お礼

もしも物事が仏教観念で納まるというのであれば、話は簡単であり「人の道」など生まれはしません. 仏教も眺めてはみましたが所詮はこれも神(それとも仏か、どうでもよいが)、天国、地獄を語るに終始するものにすぎないことを悟りここに至ったしだいです. やはり納得のいく理念をもった宗教は自分で作る以外にはない、とこういうことです.  

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noname#117439
noname#117439
回答No.1

禁止事項ばかりですね。 それでは人の道を生きるために何をすればいいのか教えてください。 戒律を守れば後は自由であるのなら欲望が渦巻くばかりです。

g3452sgp
質問者

お礼

「人の道」において、人が生きる目的とは真理の探究です. 真理を探究するために人は生きるのです. これは十カ条の四つ、五つ、六つに示されていることです. 即ち、かたちや権威に捕らわれぬことなく、万物は常に変化流転することを認識し、 これを基本理念として過去にも未来にも永遠無限なるこの宇宙が如何なるものであるかについて探求する、これが真理の探究です.  

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