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バカボンは何故天才なのか?

古い話になりますが(アリストテレスよりはずっと新しいが)、元祖天才バカボン。 バカボン、天才の称号を持っています。しかも元祖。はじめちゃんではなく、バカボンのパパでもなく、バカボンが、天才なのですが、 なんでだと思いますか? ・バカボンは何故天才か? ・もう一つ、何故ママはバカボンのパパと結婚したのか?   不思議なことは多い。バカボンのママも、きっと、只者ではないだろうと思います。 人生は小説よりも奇なり、とういう文言がありますが、バカボンに天才を見出せたら、俺の見る目も、いささか変わるだろうと、期待しています。そう思い、質問させていただきました。 よろしくお願いします。

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  • H-hoko
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回答No.4

●作家が作品のタイトルに与える意味は 大きい物があると考えます。  天才バカボンの意味を わたしなりに推測しますと  天才・バカ・凡 となります。  つまり 天才もバカも凡人もみんないっしょにたのしく  やっていくのが社会であり 天才もバカも凡人も  みんな家族であり兄弟であるということ・・・。  もうすこしすすめて解釈するなら 天才もバカも凡人も  わたしたち自身の中に存在する要素で 同時に全てであるということ・・・。  赤塚不二夫は 敢えてこのことを言っておりません。  でも このことに気づいたとき その漫画の持つ世界が  そのひと自身のなかで その人だけの世界としてずっと深く温度感を持ちはじめます。  正解を言わないで 努力して探してもらうこと・・・。  このような意味で赤塚不二夫や多くの作家は  タイトルの意味を口にしないのです。    赤塚不二夫は 稀有な天才漫画家ですけれども  それと同時に彼の背景にあるものは 愛であり  やさしさ・あたたかさであると思います。  ニャロメもレレレのおじさんもウナギイヌも  愛とやさしさとあたたかさに満ちあふれています。  このことは完璧な芸術を生み出す人間に共通している  ことなのです。だからこそ 彼の生み出したキャラたちは  時を越えていきいきと存在しつづけるのです・・・。  彼の生み出した作品を観るに付け どうして東京芸大から  教授のお呼びがかからないのか不思議でしょうがありません。  わけのわからない えりーと芸術家があたりまえのように  芸大の教鞭をとり 国の予算で研究室を占領しております。  これもそれもすべて派閥と権威の弊害です。  勲章も権威も名声もないまま赤塚は逝くのでしょうか?  さて パパとママのとりあわせですが  これは エロスの極致のひとつです。  パパのようになんのとらわれもない方のSEXは  概してスゴイものなのです・・・。(経験から)  ですから パパは男性のある意味での理想像だとも思います。

noname#6163
質問者

お礼

馬鹿には馬鹿の喜びが 凡には凡の喜びが 天才には天才の喜びが   全部いただきだぜ! 馬鹿にはどうしようもない馬鹿さ加減の苦しみも、凡にはどうしようもない平凡ゆえの苦しみも、天才が抗うことのできない天才ゆえの苦しみも、同じ人の苦しみ、何とかならないことはない。 なんてよくできてる。 じーんてきたわぁ。 >これは エロスの極致のひとつです。 ウナギイヌのご両親もその口かな? ありがとうございました。   >勲章も権威も名声もないまま赤塚は逝くのでしょうか?   何お言う。彼は、元祖天才バカボンの、パパのパパだぜ?

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noname#3814
noname#3814
回答No.6

赤塚不二夫は学生時代フランス文学に傾倒していたという話は聞きますが、仏教に造詣が深いという話は聞いたことがありません。赤塚不二夫が「天才バカボン」を発表する2年前、京都大学の九鬼周造教授が「粋の構造」という論文を発表しました。こちらもフランス文学に造詣の深い教授です。この論文は単なる読本として読むにはかなり難解な文章で、私が要約してしまうのは不可能ですが、ところどころ、「粋とはあきらめの境地である」みたいな、頽廃的な、居直った、力まないスタンスを説いたところがあります。また当時はちょっとしたおフランスブームもあり、ボンといえば、フランス語の"bon"(good,よい)という意味がニュアンスとしてあったのは確かです。 赤塚不二夫は、このような世相から、居直った「センスのよいバカ」を探求したかったのではないでしょうか? つまり、マイナス(負)のバカではなく、プラス(有)のバカ、凡人には本来出来ない芸当であるにもかかわらず、非凡を見せては芸が無い。そこで非凡を隠すための非日常(非常識、イリーガル)を画風に表すことによってそれ(非凡)を隠した。タイトルにバカボンと銘打っているところからも作者の意図がないとも言えません。 ただ、バカって何だろう、天才って何だろう、ということを突き詰めたとき、やはりそれはセンスだと思うんですよね。いくら頭が悪くても、心底バカになりきるのは難しいし、頭がよくても天才として人気を博し共感を得られるとは限らない。やはりそれなりのセンスが必要。当然、バカがバカとして、天才が天才として認識を得るのはさほど困難なことではないが、天才がバカとしての認識を得るのは困難なことであるし、やはり自身のプライドが邪魔してしまう。ただ、天才がバカの振りをするのでは、あまりにセンスが悪い。これは人生観としてみても見苦しい。なぜならバカの振りをしていても、内心はエリート意識があるからです(ここでいうエリート意識とはエリーティズムとは違いますが)。そこで、天才たるパパをバカにおとしめるストーリーを設けたのです。パパはバカになった自分を恥じるもなく、昔の自分を回想するもなく、今の自分を満喫します。見る側は、「なぜあれが元祖天才なのか?」と疑問に思いますが、本人は、本来の自分は・・本当の自分は、と卑下することもなく天狗になることもない。無理して背伸びすることもなく、コンプレックスに打ちひしがれて自ら自分の可能性を抑えこんでしまうこともない。こんなことって普通の人間ができるかっていうと、到底無理です。ただ、このメッセージは、高度経済成長から右肩下がりへ推移していった日本経済(そして悲しいかなその後バブルを迎えた日本)に生きた赤塚の心の肉声ではなかったでしょうか。そこに赤塚の漫画家としての感性を感じるのは私だけでしょうか?

noname#6163
質問者

お礼

>天才たるパパをバカにおとしめるストーリーを設けたのです。パパはバカになった自分を恥じるもなく、昔の自分を回想するもなく、今の自分を満喫します。   馬鹿という薬があれば、塗りたくってやりたい奴はいっぱいいますね(笑。   すばらしい回答、ありがとうございました。 >本人は、本来の自分は・・・到底無理です。 底にいる馬鹿には、それができた、。 普通の人も、結構、底にもあれそうだと思うのは俺だけでしょうか? 天辺から底まで、ご苦労様、みたいな。   >このメッセージは、高度経済成長から右肩下がりへ推移していった日本経済(そして悲しいかなその後バブルを迎えた日本)に生きた赤塚の心の肉声ではなかったでしょうか。   ぬぅ。話が難しくなってきた。しかし、分からないような気がしないでもありません。   経済という水圧のようなものに、慣れてしまったため、その圧が解けた瞬間、圧を一気に抜かれたことで、バーストしたのかなぁと、思います。一種の潜水病?   バカボン、そのパパに見る気の抜けよう。  しかし、むしろ気のおける人間性が、あるように思います。バカボン、バカボンのパパには、気を許せます。   粋にみるbon。 粋は、職人芸、すげぇことなのに、すごいと思わせない快さ。そういうものを、俺はイメージしています。 いなせだね、粋だね、その確かな空気感。 そう思うと、天才バカボンの世界は、まさに、「粋な世界」ですね。   ありがとうございました。

  • jakarta
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回答No.5

最近あたらしい説を聞きました。 ブッダ=お釈迦様には十の称号があり、そのうちに原語バガヴァッドの訳 (音訳:婆迦婆 婆迦梵)、つまりバカボンがあるというものです。 なんらかによりバカボンのパパは悟りの境地に達した結果、自己の存在について「わしはパカボンのパパなのだ」というところにいきつきます。 悟りの境地にいますので考えることはありません。コンパスで円をくようにその行為と目的の達成は超時間的になしとげられます。そのために「これでいいのだ」で締めくくられます。超時間的なものですから理由はありません。行動自体が理由であり行動の終了とともにすでにその目的は達成しています。 そしてなぜバカボンが天才なのかというとまず天才であるという前提が先にあり、その理由・根拠の証明はありません。一言でいうと存在している自体が理由であり証明、そのた一切の全てであるということではなかろうかと思います。 No.3のliar_adanさんの回答をあわせて考えていただくと分かりやすいかもしれません。

参考URL:
http://www5a.biglobe.ne.jp/~obaccha/10gou.htm
noname#6163
質問者

お礼

た、確かにバカボン、。すばらしい情報をありがとうございます。知らんかった、。 婆袈梵→馬鹿凡。 やり手。 バァガヴァンって発音ですか。 それがえらくポッピーになって、バカボン。 >悟りの境地にいますので考えることはありません。 まじですか? あの額に汗して考えるパパの姿こそも、悟り並なのかもしれません。なぜなら、分からないことがあるのも、バカボンのパパだから(笑。 おおー。 やるな天才バカボン(笑。   >一言でいうと存在している自体が理由であり証明、そのた一切の全てであるということではなかろうかと思います。   ならば天才と言う意味は、何処にあるのですか? 来るところも、行くところも無いところにどないしたら「天才」とかく言いえるものの前提、それ自体がありえるのか?と、俺は思います(笑。全てであっても、そこに天才があるには、天才の前提が必要。 しかし天才の前提などと言うもののあり方は存在しない。とすれば、天才などそもそも無いのだと言うことになる。   「これでいいのだ。」 といいつつも、時には悩む。 好かれる親父のあり方の一つは、あれかなぁ?と、思います。 ありがとうございました。

  • liar_adan
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回答No.3

赤塚不二夫著『人生これでいいのだ!!』(集英社文庫)によると、 「天才バカボン」は、最初「天才バガボンド」だったそうです。 しかし、「バガボンドの語は馴染みが薄い」ということで 「バカボン」になったそうです。 もしもそのままだったら、あのマンガはギャグマンガじゃなくて、 剣豪の生涯を描く歴史マンガになってたかもしれないのです!(←ちょっと違う) さて、「なぜバカボンが天才か」という問題ですが、 あれは「バカであることに関して天才」であると思います。 バカボンパパはクシャミをして(アニメでは馬に蹴られて)バカになりましたが、 バカボンは生れながらのバカです。 バカとしての才能はバカボンの方がパパを上回っているのです。 このタイトルには、「バカとしての才能を持つバカボンが、 偉大なバカである父の背中を見ながら、 それを乗り越える偉大なバカになるため成長していく」 という意味が込められていると思います。

noname#6163
質問者

お礼

なるほど。 馬鹿さ加減が天才的。   しかし、くしゃみをして馬鹿になったとは、知りませんでした。 しかしあの馬鹿センス、知性を感じずにいられません(笑。ありがとうございました。

noname#3814
noname#3814
回答No.2

>人生は小説よりも奇なり たしかにそうですよね。人生は思わぬ方向に進んだりする点でほんとに奇想天外です。 さて、バカボンのパパですが、最初はバカボンのパパが天才だったのです。何でも作れるし何でも修理できたのです。はじめてみる車の中身でもぱぱっと修理してしまいました。あ、その車の修理ですが、あまりにもぱぱっと作業してたところレンチか何かを頭にぶつけてその天才の部分が頭から飛んでいって、誰かに移ってしまったのです。 ぼくもよくそことのころを覚えていないのですが、それがはじめちゃんだったか、最終的にはじめちゃんに落ち着いたのか忘れましたが、その天才の部分は目下はじめちゃんが継承しているところであります。 したがいまして、昔は天才だったけど、今はバカという実に「人生は小説よりも奇なり」を地でいったパパと言えるでしょう。 なぜパパがバカボンのパパのママと結婚したかについては忘れました。ごめんなさい。

noname#6163
質問者

お礼

>その天才の部分は目下はじめちゃんが継承しているところであります。   そうだったんですか、。 はじめちゃんといい、サイボーグ001(イワン)といい、赤ちゃんに天才を見るというのは、非常に意図的なものを感じます。何をイワンとしているのか、。なんて、言ってしまった、、。 >なぜパパがバカボンのパパのママと結婚したかについては忘れました。ごめんなさい。   ざんねんです。もし思い出されたら、ぜひご登校ください。 >昔は天才だったけど、今はバカという実に「人生は小説よりも奇なり」を地でいったパパと言えるでしょう。   あの漫画は、これでいいのだで赦される範囲であり、本官がピストルを連射するのも、レレレが延々と相似するのも、奇異ではありますが、これでいいのだで全然OKです。しかし、 現実には、これでいいのか?と、聞いてしまうことが山ほどあります。というよりも、駄目だしをしてしまいます。 バカボン達はなんていうでしょう、。 是非、彼らの助言をいただきたい。 「これでいいのだ!」というのか、 「それはよくないのだ」というのか、。   「ケムンパスでやんす」 ここらへんで(笑。

回答No.1

私の記憶では、バカボンのパパはもともとは賢い人だったの ですが、なにかの拍子に頭からネジが1個落ちて「これで いいのだー」って感じになったと思います。 したがってママが結婚したのはバカダ大学を優秀な成績で 卒業したパパです。バカボンが天才かどうかはわかりません。というか、あの 「元祖」というのは天才バカボンのアニメがRemake された時につけられたわけであって、「天才の元祖」 という意味ではないと思いますが。あくまで、これが 「天才バカボン」の元祖ですよくらいの意味ではないで しょうか。うろおぼえなんで、あまり自身はないです。

noname#6163
質問者

お礼

>アニメがRemake された時につけられたわけであって、「天才の元祖」 という意味ではないと思いますが。   そうなんですか。 元祖って、もはやなじみの薄い言葉ですが、なんか偉そうでも、笑いのネタになりますよね。 >バカボンのパパはもともとは賢い人だったの ですが、なにかの拍子に頭からネジが1個落ちて「これでいいのだー」って感じになったと思います。   賢いときも、「これでいいのだ」という台詞は健在だったのだろうなと、哀愁紛れに思います。 4んじゅ~う1っ歳の春だ~から~♪ 元祖天才バカボンのー、 ぱ~ぱ~♪だ~か~ら~~。 冷たい目で見な~~い~で~♪   ああ~ぁっ。 って感じの、閉幕の歌詞と挿絵、。 すげぇ。 ありがとうございました。

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