- ベストアンサー
アイデンティティと偏見について
すみません。またわからなくなってしまいました。教えてください。 さまざまなセクシャリティ、人種、職業、社会的な貧富の差、教育から 人間は経験し文化的価値観などでアイデンティティを形成するのでしょうが、そういうことがひとつくくりで偏見に結びつくこともあるわけです。その人自身を形成している感覚的、情緒的にとても大切なことが、ある意味、閉鎖的にマイナスに働いてしまうという現実をどうとらえればいいのかわからなくなってしまいました。 例えば、江戸時代に罪人であった為に動物を精肉する職業を世襲している方々、人体実験されたユダヤ人、ハンセン病患者、在日韓国人などなど悲しい歴史をあげればきりがなくなりますが、 それ以外でも、食習慣についても犬を食べる韓国人、魚の踊り食いを食べる日本人、生きた猿の脳みそを食べる中国人こんなものもきりがないのですが、 しかし、動物を愛する情緒は人間に必要なわけだし、文化できづかれた人間の感性は今までの人類の発展の為に大きく貢献してきたわけです。 それを否定することは人間を否定してしまうことにもなるわけです。 なので、人類にとって否定できないことが、悲しい歴史を作っている現実をどうとらえればいいのかということですが。 すみません、宜しくお願いします。
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
>さまざまなセクシャリティ、人種、職業、社会的な貧富の差、教育から人間は経験し文化的価値観などでアイデンティティを形成する 要するに人間文化の多様性ということですね。それらの文化は基本的に等価であるとともに、(残念なことにおおむね)お互いが閉鎖的であり、それゆえに無理解な、あるいは傲慢な他者から差別されるという事実が続いてきたことは確かですね。 その「差別の歴史」そのものはとっても哀しいことですが、それら文化そのものが悲しいことだとは私は思いません。それ自身がマイナス的な存在はないと思います。そういう考え方が差別意識なのでしょう。 >文化できづかれた人間の感性は今までの人類の発展の為に大きく貢献してきたわけです。それを否定することは人間を否定してしまうことにもなるわけです。 まったくその通りだと思います。すべての文化は基本的に存在価値のあるものだと思います。悲しい歴史は忘れずに、しかし確実に過去のものにしていくことが人類の未来をあかるいものにしていくのだろうと思います。 ご参考まで。
その他の回答 (11)
何となーーく思う事ですが、、、 否定的な成長、と言うか、おっしゃるような悲しい歴史は 発端として「群れの行動」が為したものと言う気がします。 そして、そう言った歴史の暗い面から学び、正の歴史の第一歩は「個の行動」から生まれて来るように思います。 (思いつきで、今論拠は気にしておりませんので。。。) >悲しい歴史を作っている現実をどうとらえればいいのか 悩み抜き、考え抜き、 自分なりに見つけ出した信じるものに沿って、 己の道(と思えるもの)を歩む事。 そして、人間の否定的な面、悲しい歴史を決して「忘れない事」。 何よりも「忘れない」、、、出来る事は結局それだけ、とも言えますけれど、 それが一番難しい事なのではないでしょうか。。。。?
お礼
ありがとうございます。 悲しいことを、悲しいと感じることが文化を受け入れることなのですね。それなくしては、何もはじまらないのですね。
- 1
- 2
お礼
等価、、、そうですね。人間は等価。 確かにどんな文化があっても、価値観があっても、かれらは誇り高く生きている。たとえモナリザの絵が称賛されても、ハンセン病患者の心は汚れはしない。今、少しだけ立ち返れた気がします。 ガーコンさんが人間の質について言及しても、私がそれについて反論しても、何もそれによって変わりはしない。 同時多発テロ、秋葉原事件、彼らは死を恐れない。そんなものよりもっと大切なものを見つけてしまった。 「等価?そうだよ。だから、つっこんだんだよ」 「等価?そうだよ。だから、法律で合法的に死ぬつもりだけど、何か?」 ドストエフスキーにあっかんべーしてる。 人間なんて、それくらい怖いもの。どこまでも誇り高く生きられる。道徳にも、法律にも、彼らを縛ることはできない。 じゃあ何がかれらを縛れるの? やはり、それは経験、、それしかない。よい経験をして、そこから自然にわき出てくる感情、情緒、、、。頭でこねくりだした狂信的なものじゃない。心のうちから、自然にわき出てくるもの。 その為の文化を目指すのですね。 ありがとうございました。ちょっと気が晴れました。