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お砂踏み 八十八か所遍路
どのカテゴリーで質問したらいいのか解りませんので、こちらでお願いします。 いつか四国八十八か所をお遍路したいと願っているのですが、まだ実行できません。そこで、最近も「お砂踏み」に行きました。ある一か所に八十八か所のお砂が敷かれ、そこを全部踏んでいくことで、実際に四国の地を回るのと同じご利益があるというのです。一か所ごとに手を合せ、祈ります。この話をしたら、知人からは、そんな横着な方法でご利益があるはずはないと笑われました。苦労して辛い思いをして、時間をかけて回ってこその八十八か所だと。お砂踏みでも、亡くなった家族のことを祈る気持ちはおなじなのですが、どうなのでしょうか・
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私も幼少の頃から親に、毎年節分になると近所のお寺へ連れられお砂踏みしておりました。 なので、私は「節分になると、お砂踏み」という行事が幼い頃から定着しておりました。 結婚後も、お砂踏みに足を運んでます。 1日で、たった1日で、八十八ヶ所のその地の砂を踏み、まわる事ができるんですもの・・ そういうのは本当にお遍路巡りを何日も何年もかけまわっておられる方にとっては 「そんな横着な方法でご利益があるはずもない」と思われるのもわかります。 しかし、私はannteizaiさんと同じく「祈る気持ちがあれば」というのにも同意です。 新年の初詣などのお参りで、御賽銭を5円くらいじゃご利益なんか絶対なく 100万円くらいしたら絶対願いやお祈りは届くのでしょうか。 御賽銭が千円でも、一円でも、はたまた御賽銭はなくとも、手を合わせ 心から願ったり祈ったりする事に意味があると思います。 御賽銭は神様に願いを叶えて貰う金額ではないですよね。 ご利益は御賽銭の金額や、自分が歩いた距離でもないと思います。 あんなに苦労してまわる事は、自分自身で各々の地を巡拝し、その各々の地に触れて 自身の達成感と精神力をより高めてくれる・・という事がご利益なのだと思います。 お遍路巡りを全て歩いて巡拝する方もいます。 しかし老年者や足腰の弱い方はバスや交通機関を使い巡拝されます。 その場合もご利益の大きさに差はないと考えてます。 自分の出来る範囲で、そして心からお祈りした者だけにご利益があるものと私は考えております。
お礼
ありがとうございます。御丁寧な回答をいただき、気持ちが晴れました。時間的にも費用の面でも、なかなか四国へは行けそうになく、それでも亡くなった家族のために、祈りたい気持ちでいっぱいでした。そんなとき「お砂踏み」ということができると知り、すぐに行ったのです。たしかに本来ならば、、何年も何か月もかけて、苦労して回るところを、一日で終えることができるのですから、手抜きだ、横着だと言われると、そうなのかなぁと落ち込みました。でも、祈る気持ちは本当です。亡き家族が、あの世で安らかに幸せに暮らしてほしい気持ちです。 御回答を読ませていただいて、元気がでました。感謝します。