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物の個数
ある人が「ラーメンをください」と言うと、大体の人が「ラーメンがひとつか」と認識しますが、個数が指定されていないのにどうしてひとつだと思う人が多いのでしょうか。
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店は一人前を最小単位として売っている。 人数、頭数でカウントするから。 5人行って1人が「ラーメン」って言って他の人が黙って席についたら「みなさん ラーメンでいいですか?」って確認すると思います。 そして「はい」って1人が答えたら、「ラーメン五人前」ってオーダー入れると思います。 頭数が大人5人だった場合。 そこにちびっこい(5歳くらい)のがくっついていても、大人の数でカウントして、小どんぶりつけてくれると思います。 私がいつも思うのは、ラーメンって言うとしょうゆらーめんが出てくるのが、おもしろいと思う。 ラーメンだけだと 醤油ラーメン。 味噌ラーメンを食べたければ「味噌」って言う。 で、略している。 「味噌ラーメン1人前」と言うべきところだけど「味噌」で通じる。 「ラーメン」は醤油ラーメン一人前の略。 2人前以上になると、数を言う。 でも 一人前の場合は省略するのが慣わし。 数によって異なるんです。 一の時は言わない、二以上のときは数を言うって。 会話語だと、略が結構あるかも。 「こんにちわ」ってのも 何かの略じゃないかと。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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回答番号:No.3 私たち日本語を母語としているものは、何かと人称や定冠詞、不定冠詞を厳密ではないにしろ、几帳面に区分して付する(I, my, me など)言語心理も甚だ馴染めないものである以上に、精神文化の後進性を妄想(*敢えてこちら側の妄想であるという)せざるを得ません。 言語で指示する対象客体の数に敢えて拘って、区分することによる認識、認知、そして伝達をすることも、根源者からは距離を大きくしていく現象かもしれません。
お礼
そういう文化の根づいた日本人には仕方ないのですね。
- 来生 自然(@k_jinen)
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No.5です。 ごめんなさい リンクが誤っていました。 http://www.ntv.co.jp/marumie/onair/090824/090824_04.html で、今もリンクが生きていました。
お礼
わざわざどうもです。
- 来生 自然(@k_jinen)
- ベストアンサー率30% (80/261)
日テレの「世界まる見え」にて、西洋と東洋での認識の差異について的確に示されていました。 ※リンク先は既に存在しませんが、下記に番組の内容が紹介されていました。 http://www.ntv.co.jp/marumie/onair/090824/090824_04.html たとえば、5人の顔が描かれていて、中心人物が「ニコニコしていた」とします。その周りの人の顔が「ニコニコしている」場合(1)と、「怒ったような表情をしている」場合(2)の二通りのパターンが提示されたとき、中心人物は「幸せそうに見えるかどうか?」といった質問を西洋人と東洋人にした場合の差が取り上げられていました。 日本人(東洋人)は「(1)の場合、幸せそうに見えるが(2)の場合、幸せそうには見えない(違う)」と答えるそうですが、西洋人は「(1)の場合も(2)の場合も幸せそうに見える(同じ)」と答える傾向があるとのことでした。 また、存在・宇宙観対する(歴史的な)概念の差も指摘されていました、「西洋の考え方は、空間・宇宙とその中にある物とは独立して存在し、東洋の考え方は、物は周り(空間・宇宙)と密接に関連しているもの。」といった考え方の違いが取り上げられていました。 そういった観点からすれば、たとえば、「ラーメン」といった概念・対象を発言者から切り離して考えるなら、「単数」・「複数」および「特定の」・「不特定の」といった概念区分がどうしても必要になってくるでしょう。 しかしながら、「ラーメン」といった概念を、発言者から切り離さないで想像するならば、「一人で来たから、この人は一つ欲しいんだな」とか「定番は味噌ラーメンだから、味噌ラーメンかな?、でも、念のため聞いてみよう」とかいったことまで、織り込まれて考えられているのではないでしょうか?
お礼
この番組は私も見ていました。やはり文化が違うと物の概念は大きく変わってくるのも不思議ですよね。
- puppetman
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一人 だからでは? 二人で行って同じこと言ったら、個数を聞いてくるでしょ。
お礼
それもそうなんですよね。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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http://okwave.jp/qa5401763.htmlから追ってきたわけではありません。 哲学訪問はやめていましたが、他のところを開きついでに訪問したら、遭遇したので私の上記での最後の投稿は哲学の回答になるかと存じ皆様のお目を汚させていただきます。 http://okwave.jp/qa5401763.htmlにおける回答番号:No.1のご補足に対して:回答番号:No.4の投稿は寧ろ哲学の投稿だと存じますので再掲させていただきます。 言語は事実と異なる象徴の記号符合ではありますが、生活してとは離れているものではないですね。 そして言語自体も生態として存在しています。 上記補足の事例でいえば、その場の状況と発語している主格体と密接不可分の中で、人間であれば理解し受け取るからでしょう。 物事は切り離して考えてもいい事、そうしなければならないものがあると同時に、そうしてはならないものがあると存じますよ。 僭越ですが、質問者さんのものの考えと取り扱いについて、自己検証をすることをお勧めします。
お礼
わざわざこちらでもすみません。しっかり検証してみます。
- SOLAR_RAY
- ベストアンサー率21% (12/56)
1は基礎数、基本数であり、他の数とは違ってやはり特別です。 数を何も言わなければ(特に指定しなければ)1として判断するのも自然だと思います。 1はすべてであり、全体でもあります。あるかないかの、「在る」に値します。
お礼
数を言わなくても存在するものとしては伝わるということでいいんですね。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
物の数というのは常識的な単位数があるからですね。特に食べ物は日々のものですから大体決まっていますね。 ラーメンだと一杯、定食も一人分は決まっていますね。一人で来た人に2杯ですかとは聞かないですね。ところがたこ焼きや温泉饅頭、飲茶などは決まった個数が単位になっていますが、個別売りだと何個いりますかと聞きますね。理由は簡単で1個ではお腹に不十分だからですね。 まあ、普通の人のおなかに会うように食べ物は作っているからなんでしょうね。そうでない場合は大盛りとか、ざる2枚とかいわない限り標準の1個でしょうね。そのように常識的単位数が決まっているのですが、特に日本語は複数と単数の区別がないのでそれが顕著なんでしょうね。
お礼
数自体は書かなくとも日常的な意味合いで決めるのが日本語なんですね。参考になりました。
お礼
1の時と2以上で略のパターンがあるのですね。これも省略の文化の根付いた日本ならではのことなんですかね。