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幸福の科学さんは仏陀が再誕するということを、どのように説明されているのでしょうか

最近、仏陀再誕という映画がネット上で話題になっており、私も興味を持っています。 そこで疑問なのですが、仏陀が再び生まれ変わるなどということが、ありえるのでしょうか?私の記憶では仏陀(悟った人)というのは、輪廻転生から解脱し、二度と後生を受けない者だったはずです。幾つもの経典にもそのことはきちんと説かれています。 映画の原作は幸福の科学の教祖の方が書かれているようです。一体、幸福の科学さんは、自らの教義と仏教の教義との整合性をどのように説かれているのでしょうか。よろしくお願いします。

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noname#97081
noname#97081
回答No.21

下続き 今回質問者さんも、宗教間の差異を「排他」ではなく「追求」しようとされました。その姿勢には私自身敬意を持っています。 もし、宗教者同士が話をする時に「相違」でなく、相手の理論や行動に明らかな「間違い」と思う事があったなら、批判しあう事も時には出てくると思います。しかし、以前述べたように、私は悪質な宗教をつぶす為に、マスコミ等の権力が攻撃をしかける事には反対です。というのは、悪質な宗教を批判し戦うのは、真理を求める人々であるべきだと考えるからです。真理を求める気持ちもなく、真実の悟りを求める気持ちもない人が、宗教叩きをする資格があるとは思いません。 つまり、相手をうちのめす為に批判するのではなく、真理の為に批判するという根本精神に立つべきです。 質問者さんは充分その模範を示せる方だと思い、私自身も学ばせてもらう事ができました。質問者さんがどこの宗教に属するかは存じませんが、あなたのような方の今後の活躍が宗教全体に信頼を取り戻す一助となる事を期待しますし、今後のご活躍を、お祈りしています。求道者として、実り多い人生となりますように

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noname#97081
noname#97081
回答No.12

こんにちわ! これまで、釈迦の無我解釈についての歴史的流れを説明しました 要するに小乗仏教の主流学派によって仏教に唯物論の流れが入り、この流れが初期の大乗仏教まで影響し、さらにその流れの一部が現代にまで伝わっていて「ソフィの世界」で見られるような仏教解釈(仏教は唯物論であるのだから霊魂はないとする解釈)が、いろんな仏教系の書籍でも扱われていること、をお話しました。 そして、こうした文献で仏教を教養的にかじったような方が、「仏陀再誕」という言葉に対して違和感をもたれるのは、ある意味自然な感覚だと思います。ただ、この「無我論=無霊魂」なる仏教解釈がおこった為に、仏教の存在論や輪廻解釈など、その後の仏教学が難解化してきた流れがあるということ、またその為に、現代の唯物論者がスピリチャル系の思想を攻撃する時に、仏教学を引き合いに出す事があるということ等を、幸福の科学の人達は知っていて、そのため、仏教学的な論点からの整合性を批判されても、信者さん達は、ひるまないのではないかと思います。

  • nakayan57
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回答No.11

あの教団が、金儲けのために作った映画です。 前回の選挙でのマニフェストにも 徴兵制の復活を謳うものまであった集団です。 まともに相手しないほうが懸命だと思います。 あのような集団は自らの教義があれば、それで良いんですよ。 整合性なんて全く気にしてないはずです。 それでも、信者は何処まででも付いてきますからねw ほとんどカルト集団ですよ。 映画館へ見に行ったり、 DVDを買ったりレンタルして見ることも 私はしません。 あんな教祖の下へ1円たりともやる気はありませんからw

noname#97081
noname#97081
回答No.10

下の続き 唯識学派の説は八識というものです 眼・耳・鼻・舌・身・意の六識の奥に末那識があり、その奥に阿頼耶識があり、全部で八識ある、と。その阿頼耶識の部分が輪廻の主体である、という(簡単にいえば)説です。仏教学のこの段階で出てきたのが、質問者が補足質問でお話されていた「阿頼耶識」(アラヤシキ)ですね。つまり、輪廻する主体として阿頼耶識という存在がある、という学説を打ち出したのは唯識学派という学説です 長々とすいませんね 一口に仏教と言っても、釈迦の思想をひもとく為に作られた経典というのは、みな後世の仏教徒たちによる記述であり弟子達の仏教思想なんですよ だから、宗派によっては全く正反対な思想も沢山ある。 お釈迦様の言葉のどこを取って、どう解釈するかというのは、2500年の歴史の中で様々に分かれてきています。例えば創価学会が奉ずる法華経(日蓮が、「これこそ正しい」としたお経なども、実は原典はインドではないんです。つまり正確には釈迦の思想ではないのですが、法華経は確かに言葉の美しいお経なので、多くの人に愛されているのだと思います 続きはまた今度書きますね

taka-kazu
質問者

お礼

長文に渡って仏教史を解説していただき、本当にありがとうございます。 おっしゃられる通りのことを、仏教学者の中村元氏も述べているそうです。釈尊の教えを無我と捉えるようになったのは後のことのようです。初期仏典を読む限り、「○○は自己ではない」という形式で、あくまで非我が伝えられているそうです。なので、自己が存在するという解釈も捉えようによってはありえます。 今回のご解説を読んで,多くの人が仏教に対する正しい知識を学べられたらと願っています。

noname#97081
noname#97081
回答No.9

下の続き 小乗仏教で主流となった無我解釈は以下のものです それは「実体的な魂存在としての『我』なるものは存在しない。人間は『五蘊の仮和合』である」という解釈です。 五蘊とは、「色、受、想、行識」です。つまり、色=肉体、受=感受作用、想=表象作用、行=行為する力、識=識別。 言って見れば肉体と神経とか脳とかの知覚作用、精神作用のようなものの固まりとして人間の存在を分析する見方を、釈迦の無我解釈とした、という事だと思いますが、要するにこれって唯物論だと思いますが… この説一切有部で統一された無我解釈、実体論としての魂とかアートマンを否定する考えに対し、「それでは、転生輪廻はどうなるのか」「無我(魂がない)のであればなぜ転生輪廻があるのか」という反論、疑問が歴史的に当然起こってきます。特にバラモン教やヒンズー教からの批判に応えるために、仏教側としては、この無我思想と転生輪廻の思想との理論的な整合性を持たせる必要が生じてきました。 そこで、現われたのが仏教の中の唯識学派です。唯識学派が、転生輪廻の主体として、(説一切有部における無我解釈において一端否定された)“アートマン”の概念に変わるものとして、“識”というのを説きま

noname#97081
noname#97081
回答No.8

udongeです 今回は「仏教学の輪廻の思想からは「仏陀最誕」はありえない」という論点について考えていきたいと思います。 ベースは主として前に述べた「悟りの挑戦」です ただ、その前に、まず、現代の仏教学における「無我の思想」について確認していきたいと思います。 今からさかのぼること2500年、お釈迦様が生まれた頃のインドでは「梵我一如」という思想がありました アートマンとブラフマンは一体である、という思想です。そして、この「アートマン」こそが、転生輪廻の主体(有我)であるという思想があったのはご存知かと思います 仏教はこのバラモンの考え方に異を唱えて興った宗教でもあるため、その時代背景から、釈迦がといた「無我」思想は、バラモン教の「有我」説と正反対に解釈される方に行きやすいという部分があります。 正反対の解釈とはつまり、「無我」=「我が無い」=「アートマンが無い」=「自己の核になるべき部分、輪廻の主体であるところの自己の存在など無いのだ」という捉え方です 釈迦入滅後2~300年後、釈迦の思想を文献的に解釈する流れがおき、小乗仏教の主流であった学派(説一切有部)が、釈迦の無我の思想を次のような解釈としてして統一しました。それ

noname#97081
noname#97081
回答No.7

いろいろご質問、ご意見ありがとうございます。まず、はじめにご了承いただきたいのは私は幸福の科学の読者、末端信者であって講師ではありませんし、仏教の専門家でもありません。大学で私がかじった思想は主にギリシャ思想と実存主義ですが、もう20年近い昔の話です。その後は中高生に勉強を教えたり家事・子育ての中を生きてきた、平凡なおばさんですので、私自身も人生の学びの途上にあり専門家ではありませが、それでもよければ、私の現段階の考え学びの範囲でお応えしたいと思います。卒論で京都学派の田辺元という哲学者を扱った時に親鸞の他力思想を扱った経験がありますが、いわゆる仏教学に関しては素人ですので、ご不満な点はどんどんご指摘いただいて結構ですし、私で不十分な点については幸福の科学のサイトに質問すれば専門の方がいるのではないかと思います。一度に全て説明する時間的余裕がないので、時間のある時に一つずつ論点を絞って考えていきたいと思います。時間がかかるかもしれませんが気長に読んでもらえたら幸いです。まず、はじめにソクラテスやプラトンの思想についてですが、私の言葉足らずで、誤解を招いたかもしれません。仏教の転生輪廻の思想にあたるものが、プラトンの著書「パイドン」に出てきているという事を言いたかったのです ただ、仏教学における無我解釈について、幸福の科学は真向から否定しているため、輪廻転生について話がおそらく、かみあっていないものと思われます。 昔ソフィの世界という本でも書かれていましたが、仏教学では無我説を唯物論的に解釈するのが(東京大学の宇井教授が主流)一般的なため、それをベースにした輪廻転生解釈からは、仏陀の最誕はありえませんよね、確かに。 幸福の科学の輪廻思想はそういう意味ではプラトンに近いのかもしれません。 仏教学の無我解釈に対して幸福の科学がどう批判しているかについては次回にまわします

noname#97906
noname#97906
回答No.6

幸福の科学の今回の衆院選のマニフェストはそんな次元のものじゃないんじゃないの? 地球温暖化に対してCO2ガス濃度は影響しないとかいって明確な嘘もいってるし。 駄目だよ教員がそんなことじゃ。 口先で平和を言いながら世界のどっかで戦争をしているようなもんだよ。 馬鹿の上塗りかよ。 カルトだねぇ。

noname#97081
noname#97081
回答No.5

宗教やってる人が教員やるなんて…そう思われるのは現代の日本では自然な事なのかもしれないですね。 ただ、私に幸福の科学を紹介した人も教員ですし、医学関係者と教員関係者の信者が多いのは幸福の科学の特長なのかもしれません。というのも幸福の科学の思想は倫理思想を子供たちに教えたいと願う人間としては、とても役に立つものです。宗教は現代では嫌われてますが、偏見を除いて見れば、倫理の根幹にあるものはやはり宗教なんですよ。 哲学の源流にあるソクラテスやプラトンの思想も仏教の転生輪廻をといています。 私は「どの宗教が正しいか」という事を議論するのは個人的に興味味ありません。 幸福の科学に関するカキコをターゲットにして、ネット上で誹謗や揶揄しにかかってる人達を一部知ってはいますが、それを一つずつ見つけだして論駁しようとも思いません ただ、キリスト教であれ仏教であれ神道であれ、世俗的な権力闘争や物質的な欲望の中で苦しむ人達に救いの原理を与え、人に精神的な高みを与えさせたり人生を立ち直らせる立場であるべき宗教を、軽蔑しなおざりにする現代日本はやはり病んでいると思います。 もちろん、オウムのように宗教の名においての殺人や拉致等の犯罪をも認めるというわけではありません(彼らはむしろ救われるべき立場の人間です) ただ損か得かだけで自分の道を選びながら人生を生きてきた人が、自分の中に自分なりの価値観を樹立し、保身と闘ったり、良心に従った生き方を可能にし、人を改心させる力があるものならば、どこの宗教でスピリチャル思想であれ、守られるべきだと私自身は思ってます。私は教育者なので、生徒のどのような信条が生徒を幸せするのかという事が関心の中心であって、その為に幸福の科学の思想はとても役に立っています。どの宗教団体が善でどこが悪かという問題を判定したり、断罪する為に教師をしているわけではありません。世界の大宗教の中に流れる倫理思想には普遍的な部分があり、そこの部分さえ生徒達に掴んでもらえたら、私の仕事の目的としては充分だと考ています。今休職中でたまたまネットでこの質問を見つけたので、参考になるかは分かりませんが、読者として私のおこたえできる範囲で回答させていただきました。質問者の意図から離れた方向に行ってしまった部分についてはお詫びします

taka-kazu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >>今休職中でたまたまネットでこの質問を見つけたので、参考になるかは分かりませんが、読者として私のおこたえできる範囲で回答させていただきました。質問者の意図から離れた方向に行ってしまった部分についてはお詫びします いえいえ、udonge13さんの宗教への姿勢も非常によくわかり、私も考えさせられました。特に >> ただ損か得かだけで自分の道を選びながら人生を生きてきた人が、自分の中に自分なりの価値観を樹立し、保身と闘ったり、良心に従った生き方を可能にし、人を改心させる力があるものならば、どこの宗教でスピリチャル思想であれ、守られるべきだと私自身は思ってます。 という部分は私も共感する点が大きいです。私は、新宗教だから、他と変わっているから、といった理由で特定の宗教を差別したり、攻撃したりする現在のネットの風潮には私は怒りを覚えており、udongeさんとほぼ同じ考えを有しています。  今回、初めて幸福の科学の支持者の方のお話をうかがうことが出来ました。今回の騒動では、批判する声ばかり大きく、支持者の方の意見を聞くことが少なかったので、これは貴重な機会になったと思います。

taka-kazu
質問者

補足

 阿羅漢から菩薩、仏陀への道のりを魂の向上として捉えるのは、幸福の科学さん独自の捕らえ方だと思います。仏教では表面的には魂という存在を否定したところに成り立っているからです。あくまで”無我”が仏教(特に大乗仏教)の教理ですので、仏教の教理は魂(アートマン)という直接的なものが輪廻するとは言っていなかったように思えます。あくまで意識(阿頼耶識など)が輪廻するといっているはずです。(仏教の教理に関しては、私の記憶はあいまいですので、ご勘弁ください。)  さて、ここで再び質問させていただきます。回答者さんの回答を読んでいても、なぜ仏陀が再誕するのか、私にはまったく理解できません。仏教では仏陀は二度と輪廻をしないはずです。(こちらのページに詳細がついていますのでよろしければごらんください。 http://d.hatena.ne.jp/ajita/20090909/p1) 輪廻するのであればあくまで菩薩です。釈尊が「我は後生を受けず」と発言しているのが、経典の中では何度も描かれています。  私は仏教の最終目的は輪廻転生からの解脱であり、それを実践したのが釈尊その人だと理解していました。その仏陀が再び転生するというのは仏教徒としては到底受け入れざるを得ません。幸福の科学さんは既存の仏教思想を独自の視点で解釈されているということになるのでしょうか。 また >>哲学の源流にあるソクラテスやプラトンの思想も仏教の転生輪廻をといています。 というのはどういうことなのでしょうか?ソクラテス思想と仏教との間には関連性は無いように思えますが…… もうひとつだけお願いします。 >>ただ、キリスト教であれ仏教であれ神道であれ、世俗的な権力闘争や物質的な欲望の中で苦しむ人達に救いの原理を与え、人に精神的な高みを与えさせたり人生を立ち直らせる立場であるべき宗教を、軽蔑しなおざりにする現代日本はやはり病んでいると思います。 現代日本が宗教を軽蔑しているとありますが、それではいつの時代が日本人が宗教を重視していたと思われるでしょうか。よくいわれることですが、八百万の神の国といわれるように、日本人は宗教に関しては寛容かつアバウトな国です。昔から神道の神様を仏教の仏様と混在させたり、お寺の中に鳥居があることなどは昔からありました。そのような国が昔は宗教を軽蔑し、なおざりにしていなかったとは到底おもえません。むしろ、スピリチュアリズム、新宗教が盛んな現代のほうが、よほど宗教を尊重しているように私には思われます。  そのほか、いくつか思ったことを書き足しておきます。  >> ただ損か得かだけで自分の道を選びながら人生を生きてきた人が、自分の中に自分なりの価値観を樹立し、保身と闘ったり、良心に従った生き方を可能にし、人を改心させる力があるものならば、どこの宗教でスピリチャル思想であれ、守られるべきだと私自身は思ってます。 回答者さんの言われるとおり、どんな宗教も人を救う力があるという点では守られるべきものでしょう。大筋では了承します。しかし、世の中には人を救うと同時に、人をだまし、不幸に陥れてしまう宗教も(本人にその気がなくても)実在しています。回答者さんのご意見を基本的に尊重しますが、私としてはそれが問題のある宗教も無い宗教も一緒くたにしてしまう点を危惧しています。  仏教を大学で研究された方にこのようなことを書き連ねるのは、まさしく釈迦に説法ということで、大変失礼だとは思います。しかし、まだ納得しきれない部分がありましたので、質問させていただきました。ご都合がよろしければ返事をいただければと思います。

noname#97906
noname#97906
回答No.4

幸福の科学の信者が教員をしているというのは問題ありだな。 匿名性があるからこんなところで告白できるうえに おすすめの本を紹介する広報までやってのける。 大学で哲学を専攻するということも 哲学科までいって幸福の科学に染まるというのも馬鹿丸出しで 自らの哲学を通して現実と乖離した教理との違いを見分けることもできず何も分かってないということを告白してるだけだ。 今の40代あたりがよくないと言われ 80年代から90年代にかけての社会に顕著になった異常性をテレビとか何らかの影響で強く受ける傾向があったと考えられるのであるけれども そういうのが教員になっていたりすると生徒が誤って導かれることが考えられるわけだ。

noname#97081
noname#97081
回答No.3

こんにちは。幸福の科学の支持者す。幸福の科学で私が今まで学んできた知識の範囲で恐縮ですが、お答えさせていただきます。 仏教では確かに修行し仏陀となった方は生まれ変わらないと教えられています。 私も大学で哲学を専攻し、卒論も仏教だったので、その事はもちろん学んで知ってはいます。ただ、幸福の科学における悟りの階梯は、仏教におけるそれとは、多少解釈が異なっています。例えば仏教における「アラカン」は幸福の科学では「個人としての修行が完成した」段階ですが、仏陀として最高の悟りを得た段階にはなく、まだその上に「菩薩」として他人を助ける修行があると書かれています。つまり菩薩になれば「修行」目的での輪廻から脱し、カルマを刈り取る為に生まれ変わらねばならない段階を終えて、自らが使命の為に選んで生まれ変わって来る段階に入るという事です。つまり、多くの人は(私もそうですが)、欲望や煩悩に振り回され、人間関係でもめたり、怒ったり愚痴ったり他人を傷付けてしまったり、様々な課題を残して、来世また生まれ変わる事になるのです。が、転生を繰り返し修行を重ねて行くにつれ、魂が鍛えられ、多くの人を許したり包みこめるような境地になり、菩薩や如来の悟りを得たならば、その後は人それぞれの個性の違いはありながらも、それぞれの使命の為、目的を持って転生する事になると信じられています。つまり、カルマの刈り取りとして自分の修行として生まれ変わらねばならない段階を終えて、ある目的や使命を持って自分で自由に生まれ変わる事はできるという事です。 ですから、仏陀の再来も、使命を持っての再来という事です。 ちなみに仏教学の十二縁起との関係については、「悟りの挑戦」という本に書かれています。 仏陀再誕については、涅槃経に少し書かれていますが、他の方がその事を質問されていたのでそちらで回答させていただきました。 幸福の科学の思想について参考になれば幸いです。

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