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「査定大臣」は、「森を見て、樹を見ず」?

「国家目線」とは、「森を見て、樹を見ず」、「国民目線とは、「樹を見て、森を見ず」という対応で、間違いないでしょうか? これに関連して、民主党政権では、「査定大臣」という言葉が頻繁に使用されますが、比較すれば、これは、明らかに、「国家目線」だと思われます。すると、「国家目線で、予算を査定して、現状で不必要な金額を抽出」し、その「搾り出した予算を、国民目線で、組み替える」というのが、「予算組み替え実行の、説明方法の、文法」ではないでしょうか? 「選挙の期間中は、国民目線」を強調し、「政権の大臣になれば、独裁者のように映る」根本理由は、この「2つの表現が重複する場合」に、「目線という言葉に宿る2つの意味」の使い方を、「折り畳みのトリック(=国家目線の意味を、省略して、潜在化させる)」によって、「表に、見えないようにする文法構造」のような気がするのですが、いかがですか?

みんなの回答

  • honde
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回答No.2

>「査定」を「ヤフー辞書」で「検索」すれば、「金額・等級・合否などを調査した上で決定する」と書いてあります。これは、普通の使用法(=審査?)で、「基準は1つ」です。 この時点でおかしいでしょ。 「金額・等級・合否などを調査した上で決定する」なら「基準は1つ」ではないじゃないですか。 金額・等級・合否など、とある以上、国の収入額の全体像「も」基準になっても何ら不思議はありません。

  • honde
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回答No.1

>「国家目線」とは、「森を見て、樹を見ず」、「国民目線とは、「樹を見て、森を見ず」という対応で、間違いないでしょうか? 間違い。 根本が間違ってるので、その先も論理的に間違いです。

dsu323
質問者

お礼

「査定」を「ヤフー辞書」で「検索」すれば、「金額・等級・合否などを調査した上で決定する」と書いてあります。これは、普通の使用法(=審査?)で、「基準は1つ」です。 一方、「政治」の場合に用いられる「査定」とは、元々、「財務大臣が、他の大臣の要求予算を、査定する」という場合の、「使い方が標準」です。これは、「財務大臣には、国家予算の収支の全額が、念頭にある」からで、「各大臣のイメージ基準」の外に、「国の収入額の全体像という、もう1つの基準」があることになります。つまり、「全体イメージの基準が先行」して、「もう1つの基準が存在」し、「2つの基準の間で、バランスを取る必要である」というイメージを、「分かりやすく例えたかった」のですが、どうも「不十分な例え」だったようです。 「民主党の新人議員(=最初の段階では、多分、国民の代表者という自覚だけで、国家運営の責任者という自覚はないのでは?)」には、「官僚出身でない限り、査定の、政治的な意味」が不明ではないか、と心配していました。「民主党の刷新会議」の「査定作業」より、「新人研修を優先させなさい」、という「小沢さんの強権発動は、ごもっとも」という感じがするのですが。 「国民目線で、予算を査定する」という表現は、いかにも違和感(=国の収入の額は、当面、どうでも良いから、国民目線という1つの基準だけで審査せよ、というイメージ)が感じられないでしょうか?つまり、「通常感覚の審査と、政治用語の査定の、違い」が、「あいまい」に聞こえるような感じがするのですが。「新人議員(=官僚未体験の政治家)」でさえ、そうなので、「政治に無関心な国民の場合は、なおさら」ではないか、という余計な心配かもしれませんが。

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