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小林秀雄、江藤淳

安房 与太郎(@bilda)の回答

回答No.3

   文章道入門 ~ 設問の作法と手順 ~    両者の文芸批評は、内容はともかく、文体口調に人気があったのです。  あなたの云わんとする趣旨は伝わっていますが、文学的に同意を得る ためには、つぎのような表現・語法が、いささか未熟です。   △ 不適切「って言う名前」「拭い去りがたく」「取り付く島もない」 × 不注意「結構ぶつかり」「読書層の中」「向きになって」 ● 不統一「分ってくれる人」「全然分らない」「全然わかんないんだ」    複数の文学者を論じるには、年代や年令・経歴などの外形的な条件を 対比し、共通点や代表作を列挙するのが常道です。  ふつう、一世代を三十年と数えるので、両者は同時代ではありません。   <PRE>  小林 秀雄 文芸評論 19020411 東京 19830301 80 /~《無常といふ事》  江藤 淳  文芸評論 19321225 東京 19990721 65 /自傷自殺~《漱石とその時代》 </PRE>    そのうえで、具体的な論点を示すために、引用と書誌が必要です。  このサイトの閲覧者は、すでに基礎研究をすませた人々とは限らず、 あなたの質問によって、初めて文学に興味を抱く可能性もあるからです。   ── もう二十年も昔の事を、どういふ風に思ひ出したらよいかわから ないのであるが──丁度その頃は、ネオンサインとジャズとで充満し、 低劣な流行小歌は、電波の様に夜空を走り、放浪児の若い肉体の弱点と いふ弱点を刺激して、僕は断腸の想ひがしてゐたのである。 ── 小林 秀雄《モォツアルト 194612‥ 創元:創刊号》   ── この「涙だか、洟だか知らないもの」に、どのような感慨が込め られていたかを推測するのは愚かなことである──いやむしろ、敗戦を 期待しながら生きるという知識人の姿勢の根本にひそむ虚偽と不誠実を 見たのである。 ── 江藤 淳・解説《モオツァルト・無常という事 196105‥ 新潮文庫》  

akarinn365
質問者

お礼

ご回答有難うございました。 私は、小林も江藤も確かに、生きてるときに多くの本を読み、教養も積み、世間の評判も立派な方だと、いわれていたと思うんですが。 人生の最後で、小林は、長い間、妹が訪問しても、沈黙し亡くなっていったといいます。死に臨んで、妹に対しても何も言わず死んでいったということは、それまでの、彼の文学的な努力っていったい何なんだろうかって思うんです。 基本的に、私にとって努力って言うのは、死ぬ時に、何か気の利いた言葉の一つも、言えるようになることじゃないかなって思ってるもんですから。

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