• ベストアンサー

国教会の成立について

こんにちは。 世界では現在も宗教問題は多数の問題を生んでいます。その中でも、16~17世紀の宗教戦争は、政治も巻き込んで酷い戦争となりました。 しかしそんな16世紀にあって、全国的な改宗を行ったのがイングランドのヘンリー8世です。 …というのが、私の知っている国教会成立です。  しかし疑問に思うのが、大陸では剣風吹き荒れる中、ヘンリー8世の離婚問題という、政治的…というより、極めて世俗的な理由からの改宗が成功した、してしまった理由というのは、どこにあるのでしょうか。  それとも、私の知らない虐殺や大反乱が当時あったのでしょうか。  ピルグリム・ファーザーズに代表されるカトリック勢力があるのはわかりますが、大陸での強硬な反対を考えると、あまりに穏健すぎるような…  国教会成立時のイングランド情勢について、詳しく知っている方、ご教授お願いします。

  • 歴史
  • 回答数5
  • ありがとう数6

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.5

他の方も言われているように、国教会成立の時点では、カトリックとなんら教義に違いがありませんでした。 ただ首長がローマ教皇かイギリス国王かの違い程度でした。 その後少しずつ国教会とカトリックは、教義内容が変わってゆくのですが、それを大きくゆり戻すのが、メアリー1世です。 母親がカトリックの本拠地スペイン出身であり、夫がスペイン王フェリペ2世という関係上、メアリ1世は、大きく舵をカトリックに戻します。 それによる弾圧などのため、メアリー1世は、血のメアリー(ブラッデーマリー)と呼ばれることになります。 メアリー1世の死後は、エリザヘス1世の治世となり、メアリーにより幽閉されていた関係上エリザベスは、徹底的な反カトリック政策をとり、国教会の基本を作り上げます。 この間カトリックは、スペイン、アイルランド、フランスなどに逃れます。 エリザベスの時代のスペインとイギリスとの対立は、ある意味カトリックと国教会との対立であったといえます。 (反イギリスの立場から、それまで非カトリックであったアイルランドはこのころカトリックに全面的に改宗しています) イギリスの宗教問題は、これからで、エリザベス1世の死後、スコットランドからジェームス1世がイギリス王としてやってきます。 このときスコットランドのカルビン派の考え方がイギリスに入り、国教会の考え方が、いかにカトリック的なのかに疑問をもった人々による国教会の改革運動が起こります。 それがピューリタンです。 ピューリタンは、弾圧され、そのためイギリスから逃れたのが、ピルグリム・ファーザーズなどです。 ピューリタンの逃れた先は、アメリカとオランダがほとんどでした。 ジェームス1世の次のチャールズ1世の時代になると、ピューリタンばかりでなく、スコットランドのカルビン派、カトリックも弾圧の中心となり、それらが団結し、一挙に国教会側との対決に至ります。 これがピューリタン革命です。 国教会との戦いが進むと、考え方の違いから、カトリックが、そしてスコットランドのカルビン派(長老派)が戦いから手を引き、革命軍のほとんどが会衆派となり、ピューリタン革命が成功します。 会衆派の中心であったクロムウェルの死後、会衆派は勢力を失い、チャールズ2世が王政復古となります。 チャールズ2世は、カトリックを優遇したため、国民の大多数の国教会の反発にあい、チャールズの子ジェームス2世の時に名誉革命が起こり、イギリスでは国教会中心がようやく固まります。 その間会衆派をはじめとするピューリタンは、アメリカに逃れて、後のアメリカ合衆国の基礎をつくります。

jazzyheart
質問者

お礼

丁寧な説明、大変参考になりました。 回答、ありがとうございました

その他の回答 (4)

  • tiuhti
  • ベストアンサー率66% (447/668)
回答No.4

No.3の方も仰っている様に、国教会成立の時点で、それほど目立った反発がなかったのは、教義の点でほとんど違いがなかったからでしょう。 (参考URLもご覧ください) 英国国教会が、教義の点でもプロテスタントになったのは、次のエドワード6世の時代で、英語の一般祈祷書の使用の強制をきっかけに、イングランド南部で農民暴動などが起きています。 その後も宗教対立は、ピューリタン革命(それと同時期のアイルランド支配の強化)等々、長く影響を及ぼしていきます。

参考URL:
http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761562628_3/content.html
jazzyheart
質問者

お礼

ありがとうございます、参考にさせていただきます。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (674/1410)
回答No.3

 私の理解なのですが、英国国教会ってTop(首長)がローマ教皇か英国国王かの違いで教義に殆ど差が無く、教会の上層部以外には国教会に変っても対して影響が無かったからでは?  (実際、英国内の聖職者に対して国王がキリスト教の首長であり、保護者である事を認めさせた事が、国教会の始まりな訳で…。)  まあ、大法官トマス・モアの様に反対して処刑された方もいますが…。  なお、英国でも大陸で有った様なプロテスタントとの抗争は有りました。もっとも国教会(国王)側がプロテスタントを迫害するという形でしたが。  ヘンリー8世の娘であり、ブラッディ・マリーと渾名されるメアリー1世による大虐殺、メアリーの異母妹のエリザベス1世による迫害、そして清教徒革命(内戦)が有る訳ですし…。

jazzyheart
質問者

お礼

確かに、有名どころではあります。ただ、大陸側に比べるとマイナーな気がするのはわたしだけでしょうか。 回答、ありがとうございました

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

アンリ四世 元々ユグノーだった、アンリは王様になるために(パリに平和理に入城するために)カソリックに改宗しています。 ヘンリー八世のカソリックバッシングも、金に困ったヘンリー八世が教会の資産を没収するために行った面もあります。 宗教戦争が政治を巻き込んで というのではなく、政治や経済問題が「宗教を理由に」戦争したという感じです。

jazzyheart
質問者

お礼

なるほど。色々な理由が並行的に、といったところですね。 回答、ありがとうございました

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

ピルグリム・ファーザーズ → これらは清教徒 宗教改革は、一面で経済と政治闘争。 30年戦争は、ハプスブルク家によるドイツの一元支配に対する、各領邦の自治権確保運動です。フランスのユグノー戦争も三人のアンリに象徴されるように、次は誰が王様になるのよ?の闘争。 で、この視点でイギリスを見ると 1 ノルマンコンクエストでそもそも王権が強かった 2 バラ戦争で、その王権の中で、だれが一番強いか決着が付いていた これの生き残りゲームで、勝ち残ったのが、ヘンリー八世の父親、ヘンリー七世となります。 なので、国内で宗教にかこつけて大げんかをする必要が無かった分けです。

jazzyheart
質問者

お礼

王権が強いというのは、納得がいきます。 回答、ありがとうございました

関連するQ&A

  • イギリス国教会は何教?

    イギリスで、何世紀かにできた国教会というのは、どこの宗派なんでしょう? 国王の結婚問題でもめて、ローマカトリックから独立したという風に 記憶しているのですが、どこの宗派と考えればいいんでしょうか? あと、イギリスで、国王、政府、神に順位をつけるとしたら、どうなるでしょう? 王は君臨するので政府の上のような気もしますが、 それでは、神は、王の上なんでしょうか下なんでしょうか?

  • イングランドの宗教改革(16世紀を中心)について

    イングランドの宗教改革(16世紀を中心)について ヘンリVIII、エドワードVI、メアリーI、エリザベスIをふまえて 説明をA4サイズの紙に書くぐらいお願いします。

  • カトリックとプロテスタントの君主について

    1534年にヘンリー8世が離婚問題によりカトリックを離脱して英国国教会にりました。 政治的な原因で離脱したため、カトリックの教えを守り、しかしプロテスタントであるという 複雑な立場であるということを習いました。 そこで質問なのですが、Catholic monarch(カトリックの君主)と a Protestant monarch(プロテスタント、つまりここでは英国国教会の君主) とは一体だれなんでしょう? プロテスタントのほうは、ヘンリー8世ですか? カトリックのほうは、ローマ教皇という方ですか? キリスト教はまったく無知です。教えてください! 英語に詳しい人がご存知かもしれないと思い あえて英語のカテゴリーにしました!

  • 世界史で質問です。

    世界史で質問です。 18世紀、アメリカ大陸を巡るフランスとイングランドの植民地戦争で、 七年戦争でイングランド&プロイセンにフランス&オーストリアは敗戦し、 同時にアメリカで、ミシシッピ伊東のルイジアナをイングランドに割譲しました。 ミシシッピ以西のルイジアナは、スペインへ割譲しました。 ここが分からないのですが、スペイン継承戦争のユトレヒト条約で 1713年にスペインをブルボン朝が継承したはず。 なのに、スペインへ割譲とはどういうことですか? この50年ぐらいに、体制が変わったのでしょうか。 すいません、宜しくお願いいたします。

  • Calais Pale

    ヘンリ8世時代(主に16世紀)の外交関係についての英語文献を読んでいると、「the Calais Pale」という地名がよく出てきます。電子辞書で調べると、「百年戦争後もイングランドが支配していたCalais周辺の地域(English P~)」と記されています。これを和訳する際、どのような日本語にすればいいのか迷っています。「カレーのペイル地域」などと訳して差し支えないのでしょうか?

  • マグナ・カルタと第4回十字軍についての論述です。

    1.「マグナ・カルタ」以後のイングランドの政治史は、「マグナ・カルタ」をどうするのか、という問題としてもよいほどに重要な役割をこの文書は果たしている。その過程は、1340年頃今日に近い二院制の形成に至るが、それまでの過程を次の用語を使って、300字以内で説明しなさい。【ヘンリー3世・エドワード1世・模範議会・フランドル=ギエンヌ戦争・シモンドモンフォール】 2.第4回十字軍の歴史的意義について150字以内で説明しなさい。 解答の糸口が欲しくて他の方のまとめ方を参考にしたいので質問させていただきました。 そこまで神経質になってまとめていただかなくても結構ですので、 どうぞよろしくお願いします。

  • 山岳保険について

    勤労者山岳会の遭難対策基金以外で、おすすめの山岳保険を教えてください。勤労者山岳会は趣意書の中で先の戦争を日本の侵略戦争だといっております。このような組織とはかかわりたくありません。実際ある会員と接する機会がありましたが、「大陸に軍隊を派遣したんだから侵略だ」の一点張りで会話が成立しませんでした。異常な会だと思います。

  • 「政教分離」

    こんばんは。 「政教分離」は、ですね。 やはり、大変な問題ではないでしょうか。 「カリフ=スルタン制」なんて、学校の勉強では習っていましたが、 実際問題としては、「宗教の権威が、世俗も統治する」というのは、 ・・・ある意味、相当な無理ではないか、と思います。 (例えば、「オウム真理教」がですね、政権を取ったりしたら、 「政教分離」なんて認められるかどうか、判りません。) 【訊きたいポイント】・・・「「政教分離」という問題は、 「政治のほうが、まだしも、リーズナブル」ということではないでしょうか?」 宜しくお願い致します。

  • 「プロティスタント」って、一体何?

    高校の世界史の授業で習った程度では、プロティスタントって、カトリック・正教以外のキリスト教宗派の総称ですよね。 しかし、カトリックよりも超保守派のいわゆる「宗教右翼」といわれている組織や、社会活動・救貧活動に熱心なNPO団体としての方が有名な救世軍や、「穏健派」や、カトリックから分離独立したイギリス国教会や、統一教会のような反社会・犯罪集団・テロ組織の似非キリスト教組織なども、プロティスタントに「区分」されていますね。 一体プロティスタントって、その「正体」は何でしょうか。 そして、カトリック・正教以外の宗派を、全部まとめてプロティスタントとしてしまうことに、問題はないのでしょうか?

  • 改宗について

    現在イギリスで、ホストファミリーと一緒に生活しています。 私自身、宗教熱心ではなく建前としては仏教徒ですが、無宗教に近い状態です。 ホストファミリーは、キリスト教徒のプロテスタントを信仰しています。 今回ホストファーザーが問題となっています。 毎日キリスト教の話をしてきます。例えば、 ・太平洋戦争後、数人の日本人がキリスト教徒になった。 どうだ素晴らしいだろ。 (私にすれば、宗教を変えるのは個人の自由) →それで?改宗は個人の自由だと思うが。と回答 ・讃美歌、教会についてどう思う? 住んでるエリアにある教会はどうなの? (キリスト教に興味がないので、知らない) →住んでるエリアで教会は、見たことがない。と回答 ・聖書は、世界中で最も売れた本だ。 (そんなん知らんがな。私にはどうでもよい話) →読むつもりはないよ。と回答 ・カトリック派でも、キリスト教は全く同じ事を教えている。 (実際、カトリック派のハウスメートいるが勧誘は全くしていない) →興味なしという感じで、完全にスルー 等々ほぼ毎日のようにします。 上記の内容に関連づけて、 かなり熱心に毎日のようにキリスト教に改宗するよう求めてきます。 どの宗教を信仰するかは、個人の自由に委ねられているという認識なので、 私の意思に関係なく、執拗に改宗を欲求してきますし、 いくらキリスト教でもここまで熱心に改宗を欲求してきたり、 キリスト教の話をすることに違和感を感じています。 先日も、改宗を欲求してきたので、改めて改宗を拒否したところ、 「仏教徒は、地獄に堕ちろ。俺はキリスト教徒だから天国だ。」 という暴言を吐いて去っていきました。その後も、 「死んだらどこに行くんだ。キリスト教なら天国に導いてくれるぞ。」 と言ってきました。 完全に信用をなくしていた私は、無視しました。 上記ホストファーザーの言動は、 私の感覚的には、カルト教を信仰しているだけで、 キリスト教徒ではないという認識です。 いくらプロテスタントでも、異教徒を侮辱してきたりするのかがわかりません。 また、キリスト教では、異なる宗教でも敬意を払いなさいと教わらないのか? と疑問に思いました。 そこで、質問です。 このホストファーザーは、本当にキリスト教徒(プロテスタント)なのでしょうか? 少なくても宗教ではなくカルト教を信仰しているのは、間違いないという感覚です。