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知的頽廃の萌芽
「知的」とはとりあえず知的好奇心や知的探究心を持ちそれを追究する「心性:こころのあり方」としておきます。 「頽廃」とは本来の目的から外れ堕落してゆくこととします。 では、知的頽廃は何から始まるのでしょうか? 例えば(順不同) (1)未消化の概念を援用する (2)知的虚栄心を充たそうとする (3)党派的表白が始まる (4)知的好奇心の衰退(自己評価含む) (5)他者の知的達成を剽窃する (6)権威への扈従または寄り掛かり (7)自己模倣 (8)その他 などがその萌芽といえるのでしょうか? (8)を選ばれた場合、例示と簡単なコメントを頂戴できると幸せです。 ※質問の主旨の沿った回答をお願いします。
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- SOLAR_RAY
- ベストアンサー率21% (12/56)
>現在あることそのこと自体への「自己目的化」も頻繁でしょう。 これは、言い換えれば「今ここに自分が居るから、それだけで正しい、存在そのものが善である」と言ってのさばっている一部の人たちのことを言っているのですね。その通りです。 しかし、第三者の思惑による介入もあり、なかなか彼らが自覚することは難しいようです。第三者の意図思惑が入ると必ず「メンドクサイ」ことになるようです。
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
知的頽廃の萌芽 つまり、学問に淫す(これは誰の言葉だったか?)、逃げる。学問が目的となる。
お礼
度々の回答をありがとうございます。 「手段」の「目的化」ですね。この顛倒は容易に起こりそうです。 現在あることそのこと自体への「自己目的化」も頻繁でしょう。
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
大命題といったような大それたものでなく、哲学しないで普通に考えれば、解ることではないでしょうか。 はっきりいって、「哲学的には初心者」、と言われてもおかしくない文章を自分で書いたと思います。 熱いものを、人によっては 冷たい と感じるはずがない、丸いものを四角いと認識するはずがない、高い音を低い音として認識する他者がいるはずがない。そうであったとしても、『確認のしようがない』つまり、考えたところで意味がない。共通の「赤」という認識があり、それが科学技術や日常生活においての共通の認識として互いに分かり合えるなら、なにも問題はない。 「あの、赤い道具を持ってきてくれ」と言われて、「ああ、わかった」と、普通に生活できるなら、何を「違うのではないか、おかしいのではないか」などと、考える必要が在るだろう。 結局は、「思考、思索」に、逃げているだけなんだろう。
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
我流の唯識でしたら、簡単に説明できます。 あるかないかでいえば、今確かにここに私はある。この、あるという感覚さえ嘘、虚であるとすれば、そこから派生する全ての概念は虚であろうから、何も始まらない。私はある という実感を確実なこととする。それが、あらゆる事象を考え、認識するための根本の立脚点とする。 それが全てであり、それさえ否定するなら 何も考える、認識する必要はない。 私が存在する、ここに在るということを前提にして、物事を観ていく。 こんな感じですか... 赤と黄色 という色があったとして、私が見ている赤は、他者にとっての黄色であり、私が黄色と見ている色が、他者にとっての赤である ということが在るだろうか?人間の目鼻口耳が、大体同じ形で、同じ数あり、同じような位置に、同じ構造で設置されている。このことを考えれば、自分が見ている赤色は、多少の誤差の可能性はあれども、大体同じ色を見ているだろう、ほとんど同じ色を見ているだろう。と思う。
補足
いわゆる「他我問題」という大命題に関わる認識のありかたですね。 お教え戴いたことは参考といたします。
- RingQ
- ベストアンサー率19% (4/21)
多少の社会経験からしますと、病んだ回答にはスルーがよいです。相手をするのは不健康です。すでに優れた回答も出ているのですから、掘り下げる意味のない地層は掘り下げないことが肝要です。これは回答主旨です。 時と場を一顧だにしないで掘り下げれば何か得られる的な、一種の欲目とか我執とか自己充足とか惰性のようなものが、存外、頽廃(どっちかというと退廃がなじむのですが)をみた頭脳労働のなすことではないかと思います。病んだ方のしつこさというものが、そういう特徴に集約していることからもそのように言えます。 知的というのは追及心を持つのかどうかも括弧に入れておきたいところです。ポンと飛べばポンと着くようなわざをもって発揮される性質のような気がします。それは着こう着こうとするような追及よりも飛び方の変化自在なうまさといったものです。 例示されたようなものは、ネームドロッピングとか怠惰とか日和見とか剽窃とか老いとかの、志が低いという例です。そういうことよりもむしろ志が空回りしている状態をもって、知的退廃と呼びうるのではないかという回答でした。
お礼
回答をありがとうございます。 さらに御慫慂戴いたことは参考にさせていただきます。 >志の空回り 言い得て妙という感想です。
- imatu
- ベストアンサー率32% (10/31)
こんにちは。 このコミュニティーも「知的」な部分もあると考えられます。 しかし「荒らし」などによって「頽廃」に転ずることもあると考えられます。
お礼
回答をありがとうございます。 おっしゃる通りですね。
>詳しいですね。 ある程度知識があることは認めています。 教養はありませんが、、、 今「知的」でないのだから過去に「知的」であっただろうと推測することは容易い。
お礼
追加回答をありがとうございます。 >今「知的」でないのだから過去に「知的」であっただろうと推測することは容易い。 「容易い」の根拠を敷衍してください。
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
そもそも、真理を探究する動機が「ゴキブリを誅滅」(おっと、過激ですね、「汚れた川を綺麗に保ち、自分が清流の魚から川魚へ変貌するのを防ぎたいために」なら、良いでしょうか)することから発したのであるとすれば、 頽廃 と見えたとしても、それはいよいよ動き始めた と捉えても良いかもしれません。 部屋にひょっこりと顔を出したゴキブリを叩き潰したところで、事後処理に過ぎず、根本原因を冷静に把握しないと問題解決、とはならないですからね。
お礼
回答をありがとうございます。 「唯識」学習中です。早くも挫折の予感が…。 ちょっとハードルが高いようです。明示的なパラフレーズをお願いします。
- ratesu
- ベストアンサー率13% (16/122)
煩悩。
お礼
回答をありがとうございます。
補足
知的頽廃は宗教心によって免れるということでしょうか?
好奇心は本来が生存のための本能的な全身的行動でありますからして、そういった生命的な前向きの方向性を失った時、それは頽廃が始まったといっていいのではないでしょうか。2から7までそれぞれ間違いではないと思いますが、もっと根源的に括れば、やはり純粋な好奇心そのものを失ったヴァーチャルな科学的探究活動全体をそういいたいと思います。
お礼
回答をありがとうございます。 キーは「知的好奇心」ということですね。
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お礼
回答をありがとうございます。 >第三者の意図思惑が入ると必ず「メンドクサイ」ことになるようです。 仰るように面倒くさいものですね。